恩田陸『灰の劇場』 | また新なジャンルへ
5歳児の息子が月曜日から体調を崩し、在宅勤務させてもらいながら面倒を見ていたので今週は疲れ果てました……。人間、健康が1番ですね、ほんとに。
そんな中、前回の記事がnoteの「今日の注目記事」に選ばれたことで沢山のスキをいただき、とても嬉しかったです!
いつもスキをくださる皆さま、ありがとうございます!
さて、皆さま、恩田陸と聞いて思い浮かべる作品はなんですか?
デビュー作の『六番目の小夜子』
吉川英治文学新人賞と本屋大賞をダブル受賞した傑作『夜のピクニック』
日本推理作家協会賞を受賞した『ユージニア』
山本周五郎賞を受賞した『中庭の出来事』
直木賞と本屋大賞をダブル受賞した『蜂蜜と電雷』
などなど。
では、恩田陸と聞いて思い浮かべる作品のジャンルは?
ホラー、ミステリー、青春、SF、コメディ……
……え、ホラー、ミステリー、青春、SF、コメディって、これってジャンル全部じゃないですか?
ジャンルってほかにありましたっけ?
こんな幅広いジャンルを書かれてる方って他にいます?しかもどのジャンルでも評価されて、どのジャンルでも「これが1番得意なジャンルなんじゃ」と思わせる。1ジャンルだけでも私にその才能を分けていただきけませんか?と聞きたくなるくらいの幅広さ。
私はホラーとかSF的なやつが苦手なので(タイムスリップ系の映画とか好きな割に本のSFは避けがち)その辺のジャンルは読んだことないんですけど、そういったジャンルの本でも「これぞ恩田陸」的に言われてることも多いですし、絶対面白いんだと思います。ホラー好きだったらホラー系のやつも色々読んでみたかった……!(でも読まない。恩田陸のホラー怖そう)
この記事に書いた『ドミノ 』も好きですが、
私は『夜のピクニック』が大好きです。
持ち運び易さからもお値段からも普段は文庫本しか買わない私が何故か珍しく単行本で持っています。
実写化された映画を見に行った時には、映画が始まる前に既に泣いてました。映画が始まる前に席で1人泣いてる女。やばい、完全に変な奴。
いえね、映画が始まる前に座席に座ってゆっくり小説の内容を思い出してたら涙出てきちゃったんですよね。映画見る前に頭の中で主演の多部未華子たちが動いてて、脳の中で映像化されて、それに感動して泣くという……(そして実際の映画を観ている時は泣かないという不思議な現象)
そんな恩田陸の文庫新刊『灰の劇場』。
前置き長かったですね。失礼しました。
「恩田陸の新刊でてるじゃん、買お〜」と特に何の前情報もなく読み始めた私は徐々に焦り出しました。
……これ、いつもの恩田陸じゃなくないか?
いつもの、読みやすくてエンタメ度が高い恩田陸じゃない。
なんか……なんか……自分の知能の低さを露呈させるみたいで言いたくないけど、なんか……
難しい。
※以下、ネタバレではないですが、構造のお話です。まっさらな気持ちで読みたい方は、読んだら戻ってきてください。
『灰の劇場』は章ごとに「0」と「1」とで分かれていて、最初は「0が現在(主人公「私」)で、1が過去の2人(もしくは小説の中)かな〜」とも思ったんですけど、1でも「私」が出てきてもうわけが分からなくなり、そこからは考えるのをやめて、ただただ読み進めました。
恩田陸も多数のインタビュー等に答えているので先にそちらを読めばもっとすっきり読めたかもしれません。
この小説は、以下の3つの時間が同時並行で進んでいるのです。
0……2人の女性の物語の執筆に取り組む「私」の日常
1……2人の女性の物語(「灰の劇場」というタイトルで2人を描いた小説内小説)
(1)……物語を書き終えた「私」が「灰の劇場」の舞台化に立ち会う物語
このね、(1)の存在がわかんなかったんですよ!
そもそも私は(1)の存在に気づいたのは小説のだいぶ後半です。
それまで0と1しか認識していなくて、(1)という独立したものがあると思ってなかったんです。要は数字しか見てなかったので、1を見ても(1)を見ても同じ「1」としか認識してなかったわけです。
(1)を見ている時は全てに()がついていたように思い、1を見ている時はさっき()が付いてたことなんて忘れてました。
これ、普通すぐ気づくものなんですか?
私は読み終わるまで1と(1)をごっちゃにして、ごっちゃにすることによって0との境目まで見失い、もう今自分がどのパートを読んでいるのかもわからない不思議な感じになりました。
読みながら何度も「視点変わる時は伊坂幸太郎の本みたいにわかりやすいマークいれといてくれー!」と叫びたくなりました。
途中、誰かが遺書の話をするんですけど、私はてっきり現在の「私」の過去の話かと思って読んでたんです。「私」は小説家なので、そういう話は「私」の話だと結びつけてしまい……
しかしながら、0、1、(1)の区分けを知って見直したら、なんとこれは1、つまり小説の中の2人の話だったのです。
ということで、いかに私が混乱しながら読み進めていたかわかるかと思います。
めちゃくちゃ間違えてるじゃん!!!と自分でも後から気づいてびっくりしました。
0も1も(1)も全く異なる時間軸の話なのに、読んでいるうちに混ざり合って、「私」も2人の女性(TとM)も私の中でどんどん輪郭がなくなって、生々しい印象だけが残っていく感じになりました。
物語の主人公を勘違いしているなんて国語のテストだったら0点ですし、解説読んでから小説読めばよかったなとも思います。
でも、誰が主人公でどこからどこまでが本当で今読んでいるのが誰の気持ちか混ざり合って感じるなんて珍しい体験もなかなかできないので、まっさらな状態でわけが分からないながらに読んだのも面白かったです。
それにしても、小説内小説に登場する「T」と「M」というイニシャルの生々しさは何でしょう。
ここに名前がつけられていたら、もっとエンタメ小説に寄った形になったかもしれません。読者も2人の女性のことを空想の人物として捉えやすく、普通の物語の登場人物のように愛着を持って読み進められただろうと思います。
でも今回、恩田陸はそうしてくれませんでした。
物語の登場人物ではなく、あくまで記号として呼び名をつけ、これはフィクションではないのだと、勝手に親しみを持とうとしてしまう私を拒否していました。
TとMはなぜ2人で死ぬことを選んだのか。
何か決定的に大きなことがあったわけではなく、日々少しずつ、自分たちでも気づかないうちにゆっくりと積もっていく不安や絶望。
同じタイミングで2人がそれに気付いたのか、1人が気づき、飲み込まれ始めたところでもう1人もそれに気付いたのか。
少しずつ少しずつ、年月をかけて積もったものだからこそ、もうそこから逃れられないような圧迫感を2人は感じたのか。
今回の『灰の劇場』はどのジャンルの小説になるのでしょうか。ジャンルの話の前に、そもそも「小説」なのかも怪しい気がします。
エッセイというのもちょっと違うし、実録でもない。でも完全な物語でもない。
なんというか、ところどころに小説の映像が挟まれるドキュメンタリーを見ているような感覚。本当の部分が多いけれど、それは完全な本当だけではなくて、どうしても制作者の誘導というか脚色が入ってくる。そのバランス。
恩田陸がまた1つ新しいジャンを開拓してしまった『灰の劇場』。
本の中で混ざり合う3つの時間の不思議を、流れに身を任せてお楽しみください。
おしまい。
最近の新作『spring』も面白そうですよね。
文庫になるのを気長に待とうと思います!