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「残ってる」をやろう 計画編

 気が付くと入道雲は現れなくなり、掴んだ傍から手の中でしゅわしゅわほどけそうな見た目の雲が空を覆うようになりました。空気にはまだ湿気が残っていますが、気温は涼しく、薄手の長袖で過ごすのがちょうどよい気候が続いています。そう、夏が死にかけているという訳です。それでいて、私はずっと今日を生き続けたいとも思いました。一秒後には様子の変わる空や気温がもったいなかったので、せめてと思いベランダで過ごしながら、私は弱っていく夏を看取っているような気分でいたのでした。

 そんなふうに、死にかけの夏を偲ぶときに、とても適した曲を私は一つ知っています。夏の終わりは人間の感情に働きかける特殊な含みがありますから皆さんもそんな音楽や小説やらの一つや二つお持ちかもしれませんね。そんな中、私がこの時期擦り切れるほど聴くのが吉澤嘉代子の「残ってる」です。聴いたことない人は聴いてきて下さい。聴いて戻ってきて下さい。今です。歌詞も噛み締めて下さい。あるかもしれない、しかし自分には一生ないのかもしれない、夢見がちと諦めるには身近な歌詞だと思うはずです。

 聴いて戻ってきたのであろう方々の余韻も冷めやらぬうちで恐縮ですがここで私の話をさせていただくと、今年大学三年生、今や死にかけの夏も例年通り実家で過ごし、恋人もなく外で活発に動くことも無ければ友達も少ないという境遇にあります。それでも楽しく生きているので何のことはないのですが、ふと、このまま「残ってる」が訪れないまま若い日を終えていくのかなと思って寂しくなったりもするわけです。「残ってる」だけは人生で体験しておきたいものですが、当てがなければ見込みもありません。

 しかし、同時にただでは転ばない私でもあります。「『残ってる』に対して受動的であるからいつまでも訪れないのではないか?『残ってる』に対して積極的であれば、『残ってる』の方からやって来るのではなかろうか」そう考えた私はまず、形から入ることを思いつきました。幸い、いつまでも生きていたい今日を体験したいばかりですから明日の早朝に実行すれば、(親しみとリスペクトを込めて名前を呼び捨てますが)嘉代子の歌詞とはかなり意味合いは異なりますがとりあえず昨日を生きていたい奴にはなれるはずです。いわば「残ってる」のジェネリックということになりますが、安価でお手軽なジェネリック医薬品が必ずしも劣化版でないことは今や常識となりました。そう、やるか、やらないか、です。

 諸々の準備は寝る前に整えるとして、最も大きな問題は明日の始発が4時台という事です。朝帰り、と言うなら始発かその一本あとが相場でしょうからとにかく今は明日起きる事、それのみに神経を注ぎたいと思います。実行後必ず訪れるのであろう虚しさを、今は見ないふりして、風呂入って寝たいと思います。ここまでご覧になった皆さんに良い「残ってる」が訪れることを祈っています。それではひとまずお休みなさい。


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