救いはあるのか
かくれキリシタン、長崎に今も約20世帯約40人…唯一の指導者「貧しくても信仰続けられた」(読売新聞オンライン) Yahoo!ニュース
公園で紙芝居をやっている人がいて、お菓子もくれるんだよ。友達からそんな話を聞いたのは小学生の低学年の頃だった。家の近所には公園が2ヶ所あって、普段僕があまり利用しない方の公園にその人は来ているらしかった。
そんな話を忘れかけていたある日、例の公園で遊んでいると、その人はやって来た。予想に反して女性で、おせんべいだったかクッキーだったか忘れたが何かしらのお菓子を子供たちに配布すると、紙芝居が始まった。
それは桃太郎や浦島太郎などのお馴染みの物語ではなく、聖書のエピソードを子供向けにリライトしたものだった。子供ながらに「あぁ、この人はあそこの教会の人で、キリスト教の教えを広めているんだなぁ」と察した。子供が楽しめるようなストーリーでもないので、僕はこっそりとドロンした(笑)
無宗教で育っていた僕が初めて触れた宗教でもあった(ほんの数分だが)。
大学生になってキリスト教の勉強をする必要に迫られたので、宣教師の話を聞いたり、礼拝に出席してみたり、聖書を読んでみたりしたけれど、感化されなかった。
社会人になって数年経ったころ、僕も御多分にもれず仕事の悩みを抱えていた。仕事のことを考えながら憂鬱な気持ちで歩いていたら、突然、小学生の男の子が2人近付いてきて「はいっ!」とハガキくらいの大きさのカードを手渡してきた。なんだろう?と見てみると、クリスマス礼拝の案内である。ふと横を見ると教会があって、どうやらそこに通っている子らが道行く人に案内を配っているようだった。
僕はこの時初めて、フラフラと教会に吸い込まれそうになった(笑)
クリスマス礼拝の日は仕事が休みの日で、せっかくの休日を礼拝なんぞに潰されたくなかったので行かなかった。やっぱり無宗教の人な自分だ。
そういえば、留学していた某女史が、慣れない外国生活の中で教会に行ってみたら影響を受け、洗礼を受けたという話を聞いたことがある。それで救われるのなら「あり」なのだろう。
最近は統一教会の問題が世間を騒がせているが、何百万、何千万という献金をすることで信者が「救われた」と感じているのなら、それもまた「あり」なのだろうか。それともそれは「洗脳」だろうか。
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