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5年前と、この世界は全然変わってなかった。
やっと今年の夏のできごとを言葉にできるくらい、私の頭が整理され始めた。
目の前で起きていたことが、
やっと、なぜ起きてしまって、本質的な原因は何なのか、
状況を冷静に分析できるようになった。
落ち着いてこのできごとを向き合うには数日では足らず、
冷静な頭になるには、約2ヶ月の時間を要した。
私がこの問題をこの世界から無くそうと決めて5年。
5年前と、この世界は全然変わってなかった。
14歳が働かなければいけない世界
今年の夏の出来事
私は今年の夏、スタディーツアーの現地モデレーターを務めるため、バングラデシュに1ヶ月滞在した。
自社工場に到着したその日。
6ヶ月ぶりの再会を喜んでいた矢先、一緒にKids schoolを進めるNazmulさんから、『Tottoさんが来たら、報告したいことがあった。』と1つの報告をもらった。
それは、開校当初からKids schoolに通っていたBristyが来なくなり、
さらには公立学校も退学し、すでに3ヶ月に学校に通っていないという内容だった。
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Bristyはまだ14歳の女の子。
お父さんが病気で働けなくなったことをきっかけに、学校を退学し、家計を支えるため近くのプリント工場で働き始めた。
もうすでに4回Nazmulさんが母親と話し合う時間を作り、Bristyを学校に通わせるように説得をしたが、母親は考えを変えないらしい。
『これがバングラデシュの現実なんだよ。』
黙ってしまった私に、そうみんなは声をかけたけど、
私たちの自社工場でも、『子どもが働かなければいけない』状況が起きていたことに言葉が出なかった。
勉強がしたい。
私はすぐ、Bristyに自社工場に来てもらい、本人と話をする機会を作った。
これは、工場長のAmin sanや現地代表のFarukさんからのアドバイスで、
勉強を続けるか、続けないかは、本人の意思が一番大事だと言われたから。
基本、学校に行けない状況にある子どもたちに『勉強したい?』と聞くと、
90%以上の確率で、『私は勉強がしたい。』と答える。
でも実際に学校に行く話が進むと、ほとんどの子どもたちが意外と学校へ行かない。
これは、学生時代から途上国に関わり、何百人もの子どもたちにインタビューをしてきた経験からくるものだと思う。
日本で言うと、iPhoneを持っていない人に、『iPhone欲しい?』と質問しているようなもので、(iPhoneはきっと使うけど。)
一種の誘導尋問のような質問だ。
だから、様々な角度から質問し、言葉だけではなく行動で確認し、
子どもの本音を、逆に一緒に見つけていくスタンスで話を聞くのが良い。
工場にやってきたBristyに、これからどうしたいか質問すると、
泣きながら、『私は勉強がしたい。』と言った。
そういうだろうと思っていた反面、
私はもう十分だとも思った。
14歳の女の子が勉強がしたいと権利を主張することは当然のことだ。
そしてそれは、どれくらい本気なのかの調査を時間をかけることよりも、その権利が行使される環境を作ることの方が大切だ。
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もしかしたら彼女は、16歳で勉強を辞めてしまうかもしれないし、
もしかしたら彼女は、運命の出会いをして、2年後には駆け落ちをするかもしれないし、
もしかしたら彼女は、夢だと言った警察にはならないかもしれない。
でも、14歳の彼女が勉強をしたいと望んだら、
勉強をできるチャンスがある。
そんな世界を作りたいと思っていたし、
彼女が勉強を続ける理由は、『勉強がしたい』と言えることで十分だと思った。
最後の敵
彼女本人から意思を聞いた私たちは、
『彼女が学校に戻れる方法探し』を始めた。
お父さんが病気で働けなくなり、稼ぎ柱が突然お母さんのみに。
国の支援が充実していないバングラデシュでは、こういう場合、親戚に頼れなかったら、解決策は他にない。
お父さん分の収入があったら、彼女は学校に戻れるのか。
教育にかかるお金のみサポートがあれば、彼女は学校に戻れるのか。
学校に行かない時間に、アルバイトとして働く仕事があったら、彼女は学校に戻れるのか。
目の前にいるBristyと、
バングラ中にいるであろう、Bristyのような子どもたちが勉強が続けられる選択肢を作れたらと思って頭を悩ませた。
でも、進んでいくと、
本当の敵は、子どもの意思でも、お金の問題でもなかった。
彼女のお父さんが、学校に行かせることに最後まで首を縦に振らなかった。
あと数年で結婚させるから、学校に行く意味はない。
家で自分の面倒を見て、働いて、家にお金を入れて欲しいと言った。
彼は最後まで、
学校に行かせる意味がない。と言った。
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このままだと子どもたちは働く
このできごとは、3つのことを教えてくれた。
1つは、今のビジネスモデルだけでは、子どもが働かなければいけない環境が生まれてしまうこと。
それはシングルマザーや稼ぎ頭が1人になってしまった家計。
今の私たちの給料設定ではシングルマザーの場合、子どもが働かなければいけない状況がきっといつしかやってくる。
2つめは、子どもが働かなければいけない世界と、紙一重の場所に、ずっといたということ。
たった数ヶ月で、kids schoolに初日から通っていたBristyは働きに行き、
自社工場を出て見渡すと、たくさんの働く子どもたちに出会う。
子どもたちは簡単に、たった一歩分の距離で、『働く』世界に行けてしまう。
状況は常に、『子どもが働く世界』と隣り合わせだった。
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3つめは、今の仕事内容では、給料があげきれていなかったメンバーがいたこと。
私たちのビジネスは、彼らはミシンで服を縫う技術を習得し、スキルと給料を上げていく。
中には、ミシンが得意ではないから、検品やカッティングという得意分野を見つけた人もいる。
でも、ミシンが苦手て、検品も苦手で、カッティングも上手にならなかった人は、仕事も選べず、ヘルパーというステージからなかなか抜け出すことができず、
給料も大きな昇給は見込めない。
Bristyのお母さん・お父さんがどちらもヘルパーであったことも、今回のケースに繋がった原因であったように思う。
変えられなかったこと
今回、Bristyが学校に行きたいと臨んだのに、
私が最後までBristyを学校に行かせられなかったのは、父親の存在が大きい。
彼の意思は家庭では絶対で、
彼の最終的な決断は、アンコントローラブル(コントトールできないこと)だった。
子どもの意思とは関係なく、
『子どもに学校に行かずに働いて、家にお金を入れて欲しい』
と、はっきりと言う両親がいて、正直
怖かった。
でもそれはコントロールできないことであることも学んだ。
最終的な結果を変えることは私にはできない。
だから、仕組みをつくるのだ。
そうやって多くの仕組みをつくり、変わるかもしれないチャンスを生み出し続けることが私が絶対に辞めていけない歩みだと思う。
そんなことをやっと整理ができた。
父親を説得に行った日、話を聞きながら涙を流していたBristyを今でも思い出す。
振り返ったとき、感動したような、困ったような、そんな表情をしていた。
忘れられないくらいが、ちょうどいいんだと思う。
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