自分は天才だと信じていた、あの頃。
小さい頃、自分は天才だと思っていた。いや、いまだに少しは信じているかもしれない。
しっかりと根拠があったわけではなく、昔から運動神経は悪かったし、朝は弱いし忘れ物は多いし、勉強はそこそこ得意なものの、学校で一番の秀才というほどではなかった。ただ、なんとなく「自分がなりたいと思ったもの、したいと思ったことは叶うはずだ」という、根拠のない万能感を持っていた。少なくとも、高校生くらいまではそう信じていたはずだ。大学生のときも、多少はそう思っていたと思う。
社会人になって、住む場所や、仕事が、必ずしも思い通りに選べないことを知った。20代後半になったら普通に結婚して、子どもを産んで…という生活を漠然と思い描いていたが、その普通がいかに得難いことなのか気づいてしまった。
年齢とともに、世界は広がり、新しい人に出会ってきた。自分より美しい人も、かしこい人も、クリエイティブな人も、世の中には星の数ほどいることを知っていった。新進気鋭の若手女優はいつのまにか年下になり、同年代の起業家が社会を変えていく。何か、どこかで、別のものを選んでいたら、私もそんな人生を送っていたのだろうか。私は私なりに、毎日をがんばって過ごしてきたと思っているけど、幼い頃に想像していた大人とは、ちょっと違う生活を歩んでいる。
自分のことは好きだけど、ふと折り合いがつけられなくなる時もある。今週末もそうだった。雑然とした部屋、散らかった人間関係、やり残した仕事。自分を全部リセットしたくなる衝動が走るときはあるけれど、いま自分が持っているものを磨いていく人生しかないとも分かっている。
いまでもちょっと特別なのは、人よりやや繊細で、怠惰で、そこからくる生きづらさを感じていることくらい。こうして自分の気持ちを文章にすることが、一番のデトックスであり癒しにもなっている。自分の文章が世界を変えられなくてもいい。文章にして感情を吐き出すことで、いまのわたしが救われている。
小さい頃は、大きくなったらスーパーモデルになれるかもと思っていた(何がスーパーなのかは分からぬまま)。小学生のときは、イラストレーターか漫画家になることが夢だった。大学を卒業する頃には、いつか文章を書きながら日本とフィンランドを行き来する生活を送りたいと思っていた。思い返すと、昔の夢は叶っていなくても、いまの自分らしさをつくっている案外重要な要素になっている。まだこれから叶うかもしれないし、と少し思っているあたり、自分への期待を捨てきれていないんだろうな。今日も、洗濯して、街をぷらぷら歩いて、この文章を書くくらいしかしていないけれど、それでも多分いいのだ。夢に近づいたわけでも、心から休養できたわけでもない休日だったけれど、こうして水色のマニキュアを塗った指先で、自分を癒す文章を書いている。それで、今日のところは、いいではないですか。