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取り扱いと対処

自分の取り扱い方はまだわからないけど対処は少しうまくなったっぽい。



本を読むことも音楽を聴くことも私にとってはあまりにも日常に溶け込みすぎていて。
伝わらないことを承知で使うけれど、言わば発作みたいなものなのである。
文字を、言葉を、文章を、気が付けば目で追っていて、でもその時間がいちばん心が落ち着いている感覚がある。
ふとした時に求めてしまうのは言葉で、縋り付くのも言葉。
音楽だって音も聴いているけれど結局は言葉を聴いていて。
言葉が好きだなあという気持ちが年々膨らんでいる。

先月末あたりからなんとなく調子が上がらなくて。
そんな時だからこそ、と言葉に縋ったものの全く入ってはこないし、気付けば本を閉じて机に置いていた。
音楽を聴いていてもただ垂れ流しているだけで、メロディの空気に身を委ねているだけのような、そんな感覚。
あ、自分結構やばいかも、と、相変わらず自覚が遅い。

何年も自分をやっているといい加減わかってきたのはそれなりの対処法。
こうなったら私はとことんまで落ちるしかないな、と諦めて落ちてしまうことにした。
底まで落ち切って、存分に自分を責めて泣いて、そうするとなんだかどうでもよくなってくる。これ以上考えても答えでなくない?なんて最初からわかっていたようなことを3日ほどかけて気付く。
そのあとはあったかいお風呂に入って物理的に体温を上げてしまえば同時に気分が上がる。顔上げてみますか、となれば勝ち。よし、きた。

そしてまた手に取る言葉たちは数日前とは違った形をしていて。
この言葉選びいいなあなんて口角が上がったらもう完全復活は近い。
こうして新しい気付きをすることが楽しかったり、え、そのために病んでる説ある?あんまよくないね、それは。

ちなみにここ最近沁みまくっているのは相変わらずgo!go!vanillasの音楽。
聴くたび残る言葉やフレーズが違うんだよねぇ、不思議。
良い曲たくさんなのでぜひ。


あとどうでもいいけどしたいヘアスタイルがないけど今の髪型も気に入らなくて美容院に行きたい時ってどうしたらいいわけ?




misa

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