映画、睡眠、そして人生の芸術性
芸術とは、外部世界を純化し、単純化することで、人間の内的生命を描き、それを他者と共有可能な形にする営みである。内的生命とは、各人が経験を通じて蓄積した内面史のことであり、言語化するには非常に曖昧で象徴的なものである。内的生命を無理に言葉に押し込めれば、それは限定的で不完全な表現に留まってしまう。だからこそ、芸術はその限界を超え、言葉以上に深く、直接的に内的生命を伝えるための手段として存在する。
映画も、この芸術の本質を体現している。映画では、物語やキャラクターの行動、カメラの画角、編集、音響といった手法によって、外部世界を組み替え、純化し、単純化する。そして、観客に提示される映像は、現実そのものではなく、純化された「虚の実存」(虹のように触ったり所有することはできないが、確かにそこにあるもの)として内的生命を形作っている。観客は映画を通じて、他者の内的生命に触れ、自分自身の内的生命を再発見する。そのプロセスは、共感と共有を生み出し、観る者の心に深い影響を与える。
しかし、芸術の本質は映画のような特別な形式だけに限定されるものではない。それは、私たちの日常生活にも深く根付いている。たとえば、睡眠という行為を考えると、そこには芸術と似た構造が見える。睡眠は、日中に得た外部世界の経験や知識を整理し、一部を忘却し、単純化するプロセスである。このプロセスによって、私たちは新たな一日を迎える準備を整える。睡眠という行為そのものが、ある種の純化と単純化を行い、内的生命を保ち、更新しながら生命活動を続けているのである。
このように考えると、人生そのものが、芸術と同じ構造を持っていることに気づかされる。日々の生活は、外部世界との触れ合い、それを内面で整理・純化するプロセスの繰り返しであり、その中で私たちの内的生命は成長し、新たな行動や創造へとつながっていく。芸術は特別な行為ではなく、生きることそのものと深く結びついている。
芸術とは、私たちの生命活動そのものであり、外部世界を整理し、純化し、新たな形で提示することを通じて、他者とつながり、深い共感を生む営みである。そして、この営みが、私たちの人生を豊かにし、幸福をもたらす大きな力となっているのである。