20220922ワークショップ③豊平
開催日時:2022年9月22日 10:00~11:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
2人の参加者とそれぞれ砂連尾さんが1対1でワーク
1.KTさんと1対1で20分程度
2.Kさんと1対1で20分程度
***
豊平豪(文化人類学・torindo)
今回のワークショップはいつもと違う点がいくつかあった。
まずはスタートが午前中だったこと(いつもは13時スタート)。もうひとつは、時間変更の余波でスケジュールがいろいろと合わず、KTさんとKさんの2名のみとのワークショップになったこと。
最近は4名くらいの入居者のところを立て続けに訪れて20分ずつワークショップを重ねていたので、だいぶゆったりとした形になった。特に、KTさんとKさんの間には待ち時間が20分くらいあって(Kさんがトイレに行っていたから)、のんびりと画面を眺めながら砂連尾さんと雑談したり。
それでふと思ったけど、最近ぼくは「誰かを待つ」ことをしていない。
自宅からオンラインで打ち合わせはするけど、まず待つことはないし、誰かが間に合わなかったとて気楽にリスケ(リスケジューリング、日時再調整)とか言って時間を改める。わざわざ喫茶店やら会議室に出向いたわけではないのでそんなに腹も立たない。
多少時間つぶしが必要だとしても、ぎりぎりまで本を読んだり、別の仕事をしたりできる。なんだったらぎりぎりまでテレビをみていたってよい。なにせここは自分の家なのだ。いくらでもすることがある。
でも、ぼくが思うに「誰かを待つ」には「所在なさ」がセットだと思う。三省堂の新明解国語辞典によると、「所在なさ」は「そこにいても、することがない」となる。本を読むでもなく、仕事をするでもなく、ましてやスマホをみるでもなく、ただただぼんやり相手を待つ穏やかで柔らかい時間。
トイレを終えたKさんがえっちらよっちらカメラの前に座って、砂連尾さんをみて、瞬間いつもの満面の笑みをみせたとき、ぼくは久しぶりに「誰かを待つ」ことができたと感じることができた。なぜか心がゆったりとほどけていった。
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