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身体のエッセイ6 宇野澤昌樹

※今回執筆いただいた宇野澤さんとの付き合いは考えてみればもう7年近くになります。あるとき、ふらっとグレイスヴィルまいづるでのとつとつダンスワークショップに来てくれて、それから自然に「とつとつ」に参加してくれるようになりました。要所要所でほんとにお世話になっているのです。(豊平)

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舞鶴の「北京」、秋田の「バーミヤン」

宇野澤昌樹(比較文化研究)

 とつとつダンスを僕が初めて目にしたのは2014年、舞鶴の赤レンガパークでの『とつとつダンスPart.2 愛のレッスン』の公演でした。砂連尾理さん、岡田邦子さん、西川勝さん、伊達伸明さんが出演した舞台はいわゆるオーソドックスなダンスとは違うユニークなものでした。久しぶりにいい舞台を見ることができて満足したのを記憶しています。

 その後、グレイスヴィルまいづるで月に1回行われるとつとつダンスのワークショップにときどき参加させてもらうようになりました。考えてみるとこれは不思議なことで、今までどんなおもしろい舞台を見ても自分が役者やダンサーになろうと思ったことはない僕が、なぜか「とつとつダンス」のワークショップには参加してみたくなったのです。もちろん、いつか舞台に立ちたいと思ったわけではありません。いったいどんなワークショップが行われているのか興味があったのです。

 グレイスヴィルまいづるは老人ホームなので、ワークショップの参加者はお年寄り、そして職員がメインです。しかし、僕のような外部からの参加者も(コロナ禍以前は)ちらほらといました。それぞれの関心もバックグラウンドもさまざまで、受け皿が広いのがとつとつダンスとグレイスヴィルまいづるの特徴だと思います。

 ワークショップは、はじめにストレッチをしてから、砂連尾さんがダンスの課題を出して、それに応じて体を動かしていきます。砂連尾さんの出すテーマや課題がユニークで、特別に表現の訓練を受けていない人が参加者のほとんどですから、みんなとまどいながらどうにか体を動かします。途中で西川勝さんが司会となって前半にやったことをみんなで言葉にしていきます。その後にまた砂連尾さんがお題を出して、体を動かして終わります。時間配分が変わることはありましたが、僕が参加したころはすでにこのような流れができあがっていました。

 繰り返しになりますが、参加している人間のほとんどが、体で表現することに慣れていないので、みんなの動きはぎこちないし、毎回とまどいもあります。体を動かすのは手探りで、何か素晴らしい表現がスムーズにうまくできるというようなことは少なくて、おずおずとなんとかやってみるという感じになることがほとんどです。だから、思いっきり体を動かして気持ちがすっきりするとかそういうワークショップとは違います。

 よくはわからないけど、何か言葉にならない魅力を最初に参加したときに感じました。でも、他人に説明できるような言葉もないし、自分でも明確には把握できません。何度か参加していくうちに僕なりにわかってきたような気がしたのは、洗練されてはいないけれども、おっかなびっくりの動きや、当たって砕けろとばかりに無理やり思いきって動く姿に、その人の何かが表現されているということです。日常生活ではじれったいと思い、いらいらしてしまうようなぎこちない動き、曖昧な訴え、不明瞭な言葉にも、一人ひとりの表現を見つけることができてきた、そんな気がします。

 とはいっても、それはワークショップ全体を振り返った印象で、実際にワークショップの西川さんのパートで、ワークショップの前半にやったことを言葉にしていくときも、それがうまく言葉になることはほとんどありません。それでも、参加者の言葉を西川さんがホワイトボードに書き留めているのを見ると、やったことが言葉になりそうな手がかりが見つかりそうな気がしてきます。それぞれが発する言葉の違いを目にすると、「こんなに違うんだ」というよりも「違うけど共有できそう」な予感がしてきます。

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 いずれにせよ、鍛えられたダンサーの素晴らしい動きとは違う、もっと別のダンスがあることを体験したワークショップでした。

 ワークショップの内容については、もっと的確な言葉で説明する人がいるでしょうから、ここからは僕の個人的なとつとつの身体的記憶の話になります。

 「とつとつダンスワークショップ」が行われた日は、砂連尾さんや西川さんも舞鶴に泊まることが多くて、夜はほぼ毎回舞鶴の中華料理店「北京」で遅い夕食を食べました。舞鶴の「北京」は高級店ではありませんが、それなりの人数が入れてメニューも多く、7、8人の人間で行くには都合がいい庶民的な店です。いわゆる町中華という言葉から想像する店は個人経営の小さな店が多いような気がします。そうした店よりは大きいけど、地元の人が使う毎日でも行けるし、ちょっとしたお祝いもできる使い勝手のよいお店だと思います。

 ワークショップのときと違って「北京」ではたわいもない話ばかりでしたが、やはり有意義な時間でした。砂連尾さんや西川さん、豊平豪さん、グレイスヴィルまいづるの施設長の淡路さん、スタッフのみなさんやワークショップに参加した人たちとの会話について細かい内容は覚えていませんが、その情景は鮮やかに記憶に残っています。福祉やダンスの話もしましたが、日々の生活やちょっとした出来事が話題になっていたと思います。

 僕は当時住んでいた香川県の豊島から、一度神戸の三宮に出て、舞鶴に向かっていました。瀬戸内海の中にある島から、神戸に行き、日本海側の舞鶴に移動して、とつとつダンスワークショップに参加していました。そして舞鶴の北京でみなさんと中華料理を食べるというのが僕の心の健康をとりもどす数か月に一度のルーティンでした。

 淡路さんは「遠くから来てくれてありがとう」と言ってくれましたが、遠いと思ったことはありません。むしろ、物理的な距離よりも、グレイスヴィルまいづるで行われているワークショップに、入所者であるお年寄りや、毎日お年寄りと接しているスタッフのみなさんが参加するのと、僕のような部外者が参加するのは心理的な距離があると思っていて、いつも受け入れてくれたことに本当に感謝しています。それは本当に気前のいい、学びの場であり、創造の場でした。

 ところで 「北京」という地名が店の名前に使われている店は全国にどれくらいあるのでしょう?中華料理のルーツというか象徴として「北京」という地名を店の名前に用いるのは珍しいことではありませんが、考えてみるとおもしろいことです。僕は舞鶴の「北京」の店主や料理人がどんな人かも知りません。中国から日本に来た人が開いた店なのか、中国人から料理を学んだ日本人が開いた店なのか。お店の人が中華鍋を振るってチャーハンを炒めている音はかすかに記憶に残っています。

 日本全国にいろんな「北京」があるのは、「ダンス」がダンサーによって違うのに似ているような気がします。世の中で流通している「中華料理」とか「ダンス」のイメージはありますが、よく見ていけばそこには必ず個人の考えや癖、記憶、人生の足跡が反映されているはずです。

 今、僕は東北の秋田に住んでいて、チェーン店の「バーミヤン」によく行きます。バーミヤンも地名ですが、中国ではなくアフガニスタンの地名です。この原稿を書くために調べてみると、「バーミヤン」を運営する会社は、西洋と東洋の文化を結びつける中継地点として栄えたバーミヤン(アフガニスタンの地名)から名前をとったそうです。

 「とつとつダンス」の話から脇道にそれたような気がするけれど、「脇道にそれることを恐れるな」というのが「とつとつダンス」(とくに砂連尾さんと西川さん)から学んだ教訓のひとつなのでご容赦ください。

 とにかく、秋田の「バーミヤン」でも餃子とかチャーハンを食べると、僕は「とつとつダンス」を思い出しています。砂連尾さんの不思議なお題、西川勝さんが汗をかいて体を動かしていた姿、入所者の方の人生の厚みがにじみ出た動き、スタッフの人たちの表現することへのためらい、淡路さんや豊平さんがワークショップをおもしろそうに観察している様子、舞鶴の土地、西舞鶴から川沿いの道を歩いてグレイスヴィルまいづるまで歩いたこと、すべてが僕の身体と心の中では舞鶴の「北京」で食べた中華料理の味と結びついているのです。


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