20220721ワークショップ①砂連尾
開催日時:2022年7月21日 13:30~15:30
場所:グレイスヴィルまいづる-東京(Zoomオンライン)
内容:
4人の参加者とそれぞれ1対1で砂連尾さんとワークショップ。
1. Kさんと1対1で20分程度
2. AKさんと1対1で20分程度
3. KKさんと1対1で20分程度
4. Aさんと1対1で20分程度
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砂連尾理(ダンサー・振付師)
今回のとつとつでは四組の方とのワークをしました。
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おちゃめなKさんが一組目で、この日も20分近くのダンスセッション。彼女とのダンスは毎回、僕にとって至福の瞬間です。
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続いて、久しぶりのAKさん。彼女とは何だか哲学的な問答になりました。
AKさんの言葉に、私は毎回必ずと言って良いほどハッとさせられます。発せられているのは確かに間違いなく彼女の言葉/声であるのだけれども、それと同時に彼女の意思とはかけ離れたところから発せられている言葉/声のようにも感じられ、主体性と匿名性が重なる言葉/声はもしかすると存在するのかもしれないと、この日のAさんから私はそんなことを思ったのでした。
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続いてのKKさんとのやり取りはこの日も前回に引き続き変則的な会話でした。ワークの最後には一緒に『ねんねんころりよ』を歌い、途中から彼女の歌に合わせて踊ったのですが、KKさんの歌い方はとってもグルービーでした。
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さて、この日のラストは最近ちょっと会えていなかった常連のAさん。このセッションの前に生きがい支援員の浦岡さんから、Aさんが最近元気がないという話を聞いていました。久々に会ったAさんは確かに浦岡さんが心配されているような姿に見え、私からの呼びかけや動きに対する反応も以前と比べると少し緩慢になっているように感じられました。
Aさんとのワーク終盤、私が画面に向かって手を差し伸べる動きをするとAさんはゆっくりゆっくり手を伸ばし私の手が映っている画面に触れようとしました。
直接手を触れることができないことが分かると、Aさんは「訳がわからん!、離れてるやろ!」という言葉を言い放ち、左手人差し指を私が映っている画面に突き出しながら、『二人は若い』(1935年、作詞:サトウハチロー 作曲:古賀政男)を急に歌いはじめます。
2回繰り返し、歌い終わったところで私が拍手をしていると、今度はいきなり『靴が鳴る』(1935年?、作詞:清水かつら 作曲:弘田龍太郎)が始まりました。
歌い終わると、Aさんは大きな声で「あ〜あ」と言ったかと思うと、3回目の『二人は若い』を歌いはじめ、終わると、また大きな声で“あ〜あ”と、今度はあくびも混じります。
あくびが終わると2回目の『靴が鳴る』がまた始まる。浦岡さんが歌詞のラストに「ホイ、ホイ」と合いの手を入れて、Aさんの足を軽く叩くと、Aさんがニコッと笑います。
さていよいよこれでお終いかなと思った瞬間に、何と4回目の『二人は若い』が始まったのです。
『二人は若い』の4回目が終わった後、Aさんは独り言なのか、浦岡さんに言っているのか、はたまた画面越しの私に向かって言っているのか分からない言葉を語り出します。
語りが終わった後も、Aさんは止まりません。以下のように流れていきました。
3回目の『靴が鳴る』 → 「あ〜あ」→しばらくの沈黙(約15秒) → 5回目の『二人は若い』(歌詞最後の『二人は若い』の言葉は解体され「ふーとぁ、り、い、ふぁ〜」で途切れる) → この日のワークの最初で取り組んでいた首を回す動き → しばらくの沈黙(約20秒) → 大きな欠伸の入り混じった「あ〜あ」
浦岡さんが笑いながら終わりましょうと区切ってくれたこともあり、Aさんとのセッションはここで終わることになります。もし、彼のこの掛け声がなかったら、この一連の動作はきっとまだまだ続いたでしょう。
いま出来ることを懸命に行い、それと同時に欠伸をしながら「あ〜あ」と脱力し、淡々と過ごしていくAさん。生きていく、また老いていくというのは、そういうことなのかもしれないと、その日に繰り返されたAさんのルーティンから、私はそんなことを考えました。そして、出来ることがだいぶ限られてきた状況になっても、そこに歌が存在し、それを歌い続けるAさんは何だか素敵だなぁと思いました。
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