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泉御櫛怪奇譚 第十一話

第十一話『回し売りの沼 妖怪参りの夜』

原案:解通易堂
著:紫煙

――巷では、流行り廃りや、物の総数によって価値が変わる作品がいくつも存在しております。勿論、櫛もその一つではございますね。
中にはその『時価』を利用して、作品を叩き売りする輩が世間に蔓延っているのもまた事実……今回は、そんな不正を働く人物の、意外な末路をお見せしましょう……――


 スーパーの休憩室で、友江は新しいアイフォンの画面を食い入るように見つめていた。画面には、いくつもの中古品が出品されている通販サイトが映されている。
「これと、これ……もう少し安くしたら買い手がつくかしら?」
 ぶつぶつと呟きながら、慎重に金額欄を編集していく。すると、直ぐに購入アイコンが光り、とある商品に【SOLD OUT】が表示された。
「やった! この金額ならまぁまぁプラスになるわ!」
 友江は嬉しそうにアイフォンの画面を閉じて、何食わぬ顔で職場に戻って行った。レジにはパートやアルバイトの従業員が並び、時折雑談を交えながら業務をこなしていく。
 時給で働く彼女の収入はそれ程高くない。週4日のパート勤務では、殆ど生活の中の消耗品を補うだけで精いっぱいだ。それでも、彼女が使っている鞄や雑貨はブランド物が多かった。
「あれ? 上條さん、また時計変えたの?」
「中古だから安物なんだけどね、可愛いのがあったからつい買っちゃったのよぉ」
 同じシフトの同僚に新しい腕時計を話題にされて、友江はにんまりと笑う。
「この前のは? あれも結構良い時計だったじゃない」
「もう売っちゃったわ。買った時より高値が付いたの!」
「上條さん達、私語は程々にね」
「あっ! はーい」
 パートの先輩に注意され、慌ててレジに向き直る。時間を確認する度に腕時計を見る為、友江の顔は終始緩みっぱなしだった。
 友江は退勤時間まで努めて真面目に働くと、駆け足で普段より一本早いバスに乗り込んだ。出口に近い席に座って、最寄りのバス停までの間ずっとアイフォンの画面を操作し続ける。
「えーっと……『ご購入ありがとうございます。明日お送りしますので……』と……」
 【ともちゃんママ】というアカウント名でメッセージを送り、自分の売り上げ金のページを確認する。
(う~ん……今月は中々買い手が見つからないわ……これ以上値下げしたら腕時計を買った元が取れないし……何か、新しいジャンルの物でも出品してみようかしら?)
 バスを降りて徒歩10分程で着くマンションの二階。急いで帰宅した友江は、早速注文された中古のドライヤーを梱包し始めた。
(年末の福引で当てた物だし、この金額だったらまあまあ妥当でしょ。そしたら……新しく出品できるものを探さなきゃ)
 梱包した荷物を台所の戸棚に隠して、食器棚の奥から使わなくなったマグカップを取り出す。
「これは……ダメね。状態が悪いし、食器系はあんまり売れないし……」
 独り言を呟きながら、何十年も住んでいる我が家を探索する。一度も使っていない贈答用の食器、いつかの引っ越し祝いに贈られたハンカチ、誰かの結婚式用に一度だけ袖を通したパーティドレス。
 どれも状態は良いが、需要があるかと問われると、如何ともしがたい品ばかりだった。
(うーん……いっそ、別の中古屋さんに行って、それに色付けて売ってみようかしら? それで売れなかったら本末転倒よね……う~ん、せめて今の月給の同じくらいはお金が欲しいんだけど……)
 そうこうしている内にアイフォンのアラームが鳴り、夕食を準備する時間が来てしまう。
「ああ! もうそんな時間なの?」
 友江は広げていた使わない物を慌てて片付けて、冷蔵庫の余り物から夕飯の準備を始める。簡単な副菜を作り終える頃に、夫の省吾が帰宅した。
 省吾は金融機関に勤めているが、息子が大学へ進学と共に独り暮らしを始めたこともあって、光熱費と最低限の食費以外は息子の生活費に回してしまっている。安定した収入があるとはいえ、とても裕福とは言えない家庭環境だ。
「お帰りなさい。今ご飯出来た所だけど、お父さん食べる?」
「ん。食べる……じゃあ直ぐ着替えてくるよ」
 省吾は自分でスーツを脱ぐと、寝室のクローゼットに仕舞いに行った。友江が食卓に料理を並べ終わって、ようやく彼が戻ってくると、二人きりの夕食が静かに始まった。
 息子が大学へ行くため独り暮らしをして、夫婦だけの生活を始めて2年。夫婦で向かい合って夕食を食べるのに、未だ慣れてはいない。
(出来ちゃった結婚だったから、結婚と同時に恵吾が産まれて……今更夫婦二人でってなると、話す内容が無くて困るのよね……)
 黙食を続けながら、省吾の食べる様子を眺める。結婚する前は彼が誰よりも綺麗な所作で食事をする姿が好きだった友江だが、今は素朴でパッとしない彼のどこに魅力を感じれば良いのか分からない。
 すると、普段は黙って食べ終えるはずの省吾が、突然、食事の途中で目を合わせて話しかけてきた。
「ねえ、お母さん。僕のネクタイピン、知らない?」
「えぇえ? どれ?」
(な、なに突然ネクタイピンの話振ったの? 中々戻ってこなかったのは、それを探していたから?)
 友江の声が上ずる。咄嗟に考える振りをして目線を逸らした彼女に対して、異変に気付かない省吾は箸を置いて、指を胸の辺りまで移動させて、ネクタイピンの形を模した。
「これっくらいので、端っこにプラチナが付いた……結婚する前の時くらいに買ったピンなんだけど……」
「そんな昔の? 流石にどこに仕舞ったか覚えてないわ。それに、見つけても気付かないで捨てちゃったかも……」
 余計な事を言わないようにご飯を口に放り込んで黙ると、省吾は一人で思案した後、食事を再開した。
「そっか……結構気に入っていたから、恵吾にあげようと思ったんだけどな」
「……ごめん。もし今度見つけたら教えるね」
 友江は早口で謝罪すると、その後も省吾と目を合わせることなく食事を終えた。食器を洗っている間に彼は手早く風呂を終え、一人で寝室に向かった。
 友江はリビングでテレビを流しながら、食い入るようにアイフォンの画面を睨みつけていた。
(あ~~~っ! あのネクタイピンもう使ってないと思って出品しちゃったよー!! 結構いい金額で売れたから、他のピンも売っちゃったしなぁ~……)
 【SOLD OUT】のマークが付いたネクタイピンの画像を見て、余計に重たい溜息がこぼれる。
(次からは、絶対に捨てるしかない物か、自分で調達してから売りに出さないと……! やっぱり中古で買って、アプリに出品するしか……)
 ブツブツと思案しながら不意にテレビの画面に目を移すと、特番で幽霊や怪談の話題が流れていた。
『この写真に写っている物体は、果たして……!?』
「きゃっ‼ 気味悪いっ」
 反射的に目を逸らして、慌ててリモコンでテレビの電源を落とす。
(もぉ~まだ夏には早いじゃない! 妖怪とかお化けとか、昔から嫌いなのよ)
 全身の鳥肌を抑えて、急ぎ足で寝室に移動した。寝室にはベッドが二つ並べてあり、省吾は入口に近い方で寝ている。友江は奥のベッドに横になると、なるべく省吾の方に身を寄せて眠りについた。


 次の休日、友江は息子が昔使っていた部屋を『掃除』という建前で物色し始めていた。
(確かこの部屋に、引っ越しで持って行かなかった恵吾の趣味の物が……あった!)
 小さい頃からカードゲームが好きだった恵吾の勉強机の中は、何百枚ものカードで埋まっていた。
(確か、状態が良くて、キラキラしているカードって良く売れているのを見たことがあるわ。恵吾は大学のサークルでも新しくカードを集めているみたいだし、確認して捨てても良いなら出品できる!)
 友江は早速アイフォンのチャットアプリを使って息子に連絡をすると、直ぐに返事が来た。
【恵吾、元気にしてる? 恵吾の引き出しにカードが沢山あったけど、あれって捨てても大丈夫?】
【デッキケースに入っているヤツ以外だったら捨てても大丈夫】
【ケース?小さい箱のヤツ?】
【そう。でも、なんでそこ開けたの?ぼくの部屋そんなに汚くないでしょ?】
(いけない。唐突過ぎたから疑われてる?)
 省吾の私物を勝手に売ってしまった反省を活かしたつもりだったが、敏い息子にとっては逆に疑われる材料だったらしい。友江は直ぐには返事をせず一巡り思案して、結局無難な長文で誤魔化すことにした。
【勝手に開けちゃってごめんね。いつもみたいに掃除機かけてるときに、どっか引っかけちゃって開いちゃったの。触らないつもりだったんだけど、取りに来る予定が無いんだったら、結局お母さんが整理しなくちゃいけないじゃん?だから、確認しておこうと思って】
【ふーん。別に良いけど…ケースの中身は触らないでね】
【分かった】
 チャットアプリを閉じた友江は、ホッと息を吐いて引き出しを覗き込んだ。
剝き出しになっているカードでも、父親に性格が似た息子だけに状態が良く、中には息子が小学生の時に見た覚えがあるカードでさえ、傷が無く新品の様に感じられた。
(私にはカードの事は分からないから、変な値段で中古アプリに出品するよりも、カードショップで正確に査定してもらった方が高値で売れるかも)
「……ふふ……」
 友江は新しい収入源を見つけて、にんまりと笑った。
 また別の休日には、省吾に「実家から片付けを頼まれたの」と嘘を吐いて、空のキャリーバックを片手に自分の実家へと足を運んだ。実家には亡くなった両親の代わりに姉夫婦が住んでいて、掃除も行き届いている。
(恵吾のカードは想像以上に高く売れた……もしかしたら、私が知らないだけで需要がある物がある……わざわざ中古屋から叩き売りしなくても、ここで何か見付けられれば……当面の資金源になる)
 母親の部屋だった和室へ入り、押し入れから桐箱やアクセサリーケースを畳の上に広げる。
「ちょっと友江、あんまり散らかさないでよね。母さんの遺品もあるんだから」
 突然訪問してきた妹に、姉が不機嫌な声で忠告する。
「分かってるよ姉さん。どうせ姉さんだって使わない物を私が集めてるだけなんだから、あんまり色々言わないで」
 友江は反抗期の子どもの様に言い返して、こっそり遺品の中を確認した。丁寧に保存された振袖や、恐らく本物だろう宝石が付いた指輪を丁寧に品定めする。
(確かお母さんが「金属は何年経っても値段が変わらないのよ。だから私の指輪は金が多いの」って言っていた。これもちゃんと鑑定してもらって、無理ならアプリで適当に出品すればいいや)
 値打ち物だけキャリーバックに詰め込んでいると、ふと、どこからか滑り落ちた櫛が目に入る。
(こんな櫛、お母さん持ってたっけ? でも、ここにあるってことは、姉さんのじゃないし……)
 櫛の相場は勿論友江に分かるはずがない。ひょいと拾ってじっくりと櫛を観察すると、牡丹に鳥と言う縁起物の代表みたいな柄が彫られていて、裏を返すと、解読は出来ないが文字の様なものも彫られている。
(これも、一回確認してみよう。売り物にならなかったら、間違えて持って帰っちゃったって言って姉さんに返せばいいんだし)
 友江は櫛をポケットに仕舞い込んで、ケースいっぱいの品々を家に持ち帰った。帰宅途中、着物や金品は質屋で査定をしてもらい、基準となる金額をアイフォンにメモした。
(よしよし。これに送料とか手数料って言って半額分上乗せしてアプリに出品してみよう)
「……ふふっ」
 重たいキャリーケースを引きずりながら、友江は嬉しそうに口角を上げた。
帰宅してから櫛を調べると、この櫛は彼女の祖母の時代から存在していたことを突き止めた。
「嘘! これって美術館に飾られるような櫛だったの!? これは絶対に高く売れるわ!」
 ネットの情報を鵜吞みにして、アプリの説明欄に誇張して文章を作る。ページを作成して出品すると、なんと今までで一番高額を付けた指輪と共に一瞬で売れてしまったのだ。
 頭のどこかで、理性の箍が外れる音がした。
(指輪は売れるって確信してたけど、櫛なんて女の私でもあまり使わないのに、こんなにあっさり売れるなんて……‼)
「もう、もっと高く売ってみれば良かった」
 友江はそう後悔しながらも、にんまりした頬は戻ることが無かった。
(宝石の指輪とかはもう難しいけど、櫛だったら私が買っても違和感じゃないし……もしも一点物の櫛とかに出会えたら、高めに売っても買ってもらえるかも)
 中古品を買って更に収入を得ようと画策する友江は、ただの『中古アプリ利用者』から『転売屋』の顔になっていた。


 中古ショップを巡りながら、友江はアイフォンのアプリ画面に夢中だった。
「ふふふふ。300円で買ったバトルカードが、あんなに高値で売れるなんて思わなかった……恵吾のデッキケースのカードも、査定したら凄い金額になってたし……いっそ、失くしたって事にして出品しちゃおうかしら……」
 友江のアプリ収入は、既にパートで働いている収益に並んでいる。彼女は敢えてその売り上げを換金せずにポイントとして利用することで、省吾や他の人の目を欺いていた。
(税金対策の方法をお父さんに聞いていて良かった。これで難しい事を考えずにお金が使える‼)
「うふふふ……うん?」
 何軒かの中古屋を回っている途中で、不思議な香りに立ち止まる。反射的に顔を上げた先に見えた看板には『解通易堂』と書かれていた。
(こんな所にお店なんてあったかしら……漢字全部知ってるのに、なんて読むのか分からない)
 看板につられて店内に入ると、異国情緒あふれる空間に驚く。何より目を見張ったのは、ずらりと並べられた多種多様の櫛だった。
(ここは……櫛の専門店? 今時珍しいわね)
「うんうん……ここなら売れそうな櫛に出会えそう」
 胸を高鳴らせながら櫛を眺める。並べられている櫛はどれも木櫛で、形や大きさ、木の色等、友江が想像していた以上の種類が揃えられている。
(値段もそこまで高くない……手頃に買えるって事は、やっぱり今でも櫛って需要があるんだ。ふーん……)
 相場を覚えながら食い入るように櫛を物色していた友江は、不意に感じた人の気配に反射的に顔を上げた。
(なっ何!? お化け?)
 後退さりながら気配のする方へ目を凝らすと、ゆらりと人の姿が現れた。友江の語彙では『ゴスロリ』以外の表現が出てこないような奇抜な格好をしていて、足は勿論床についている。長い髪はゆるくリボンでまとめられている。
(良かった。お化けじゃない。ちゃんとした人間だ)
 パッと見ただけでは性別が分からない程美しいその人は、丸眼鏡をきらりと光らせて、友江に向かって丁寧にお辞儀をした。
「いらっしゃいませ。解通易堂に、どのような櫛をご所望で?」
(ととやすどう? あ、このお店の名前『ととやすどう』って言うのね。ってことは……この人が、さしずめ店長さんかしら?)
 友江は緊張を解いて店長に近づくと、あくまで『客』を装って話しかけた。
「えっと……店長さん、ですか?」
「そう……ですね、この店を……任されている者、です」
「そうなの! じゃあ、とにかく珍しくて、ここでしか売ってない櫛はあるかしら?」
「ほう……珍しい、とは、具体的にどんな商品をご想像しておられますか?」
「えぇ? 具体的に……ですか? ええぇっと……じ、実は私、木櫛って初めてで、どれも珍しく見えるんですよ! だから、先ずは本当に高価な櫛の条件? みたいなのが知りたくて」
(んん~ちょっと無理矢理すぎる言い訳だったかしら? でも、木櫛を知らないのは本当だし……)
 友江が緊張して冷や汗をかいていると、店長はゆっくりと微笑んで、彼女を帳場の前まで案内した。
「木櫛を扱うのが初めて、とおっしゃいましたが……そもそも、櫛が人間にとって……どういったものなのか、ご存じですか?」
「え? 櫛って、髪を梳かすだけの物じゃないんですか?」
 あまりにも唐突な店長の問題に、友江は咄嗟に対応出来ず、素直に聞き返してしまう。
「ふふ……間違いでは、ございませんよ。そうですね……先ずは、櫛についての基本的な説明に……お付き合いいただけますか?」
「……っ! は、はい……」
 眉目秀麗な店長の笑顔に、友江は思わず見とれてしまう。
(ん~~~。櫛の話に興味はないけど、アプリの説明書きに加えられるネタがあれば、そこだけ聞いておこうかな。この店長さん、俳優さんみたいにイケメンだし)
 店長は、見本品と思われる年季の入った櫛を一つ帳場の机に置くと、ゆっくりと説明を始めた。
「先ず、木櫛は他の櫛と違い……水分にとても弱いです。梅雨の、湿気た空間や……プラスチックなどの、ブラシのように……濡れた髪に使うことが、出来ません。髪を梳かす為に必要な、油が剥げてしまったり……櫛そのものが、歪んで使えなくなったりして……しまいます」
「え? そうなんですか?」
(やだ、ちょっとデリケート過ぎない? 私だったらそこまで気を遣えないから、木櫛は使わないわ)
 意外だと言わんばかりの友江の反応を楽しむように、店長の話は続く。
「ですが……手入れそのものは、難しくは無いんですよ? 櫛を長く使い続けるための油は、植物性であれば……ご自身の好きな物を、選んでいただいて構いません。それに、わざわざ漬け置きしなくても……櫛の表面を塗るだけで良いんです」
「じゃあ、百均の油とかでも問題ないってことですか?」
「はい。おっしゃる通り、です……」
(これは有益な情報だわ。マニアじゃない、私みたいな初心者の人が櫛を買ってくれる可能性だってあるんだもの。これくらいの情報はケアしてあげるに越したことはない)
 友江の目の色が変わる。持っていたアイフォンの画面を開いてメモアプリを起動させると、店長に向かって目を輝かせた。
「そうなんですね。そのお話、興味あるので、もっと聞かせてください」
「……ええ、喜んで」


 太陽が西に傾いていく。友江は行く予定だった中古屋のことなど忘れて、櫛の店の店長の話に耳を傾けていた。
「櫛の使い道は、人間だけに留まりません……中には、ご自宅で飼っているペットの体毛や……球体関節人形といった、ドールの髪を梳かす用途としても……利用されます。木製なので、ヘアドネーション等で……作られたウィッグを、熱加工する際にも……重宝されている、そうですよ」
「ペットやお人形さんにも使えるなんて、便利ですね!」
「そう、ですね……実用性だけではなく、縁起物としても意味があります……苦悩を意味する『苦』と、人が亡くなる意味の『死』の音を持つ櫛ですが……その櫛が折れると『苦死が絶つ』として、悪い物から遠ざける……といった言い伝えがあります。中には、折れた櫛をもう一度……接着剤等で固定して、25年以上ご愛用されている方も……居るとか、居ないとか……」
「……へぇ~」
(縁起物とか、迷信とかはあんまり興味ないんだけど……一応メモしておこう)
 リズミカルに画面をタップして、店長の言葉を簡潔にまとめる。彼の声は耳心地が良いが、どこか詠っているような間延びした言葉遣いの為、聞きながら文字を打つのは容易だった。
「以前、解通易堂の櫛を……結婚の申し込みに、ご利用いただいたお客様が……いらっしゃいました。新しく、櫛を手に入れる夢を見ると……恋の成就の兆し、としても……知られていますね」
「あら、そうなんですか。結婚する前に知りたかったなぁ……」
(まあ……うちは出来ちゃった結婚だったから、告白も何もなかったけど……両親に恥ずかしいって言われて、結婚式も挙げなかったし……ほんと、櫛とは無縁な女なんだ、私……)
 友江がメモを読み返しながらため息を吐く。ふと、帳場に置かれた櫛が目に留まったが、彼女の興味は既にどこにも無かった。
「他にも……畳に擦り付けた櫛を、患っている部分に当てると……翌日その部分が、治ると言われていたり……とある職人の櫛を使うと、翌日寝ぐせが付かないと言われていたり……と、いった事例もあるそうです。ふふ……ここまで逸話があると、櫛一本で人の人生が……変わってしまいそうな気が、しませんか?」
「え? えぇ……そうですねっ!」
(いけない。今ちょっと考え事していて、最後の部分聞き取れていなかった……)
 アイフォンをタップするフリをしながら見上げると、顔の良い店長に微笑まれた。眼鏡越しの切れ長の瞳は穏やかで、まるで敵意を感じない。
「お客様にも……人生を、変えてしまうような……そんな櫛と、巡り会えたら……良いですね」
「……そうですねぇー。こんなに素敵な話聞けたら、益々欲しくなっちゃいましたぁ」
 友江は感情の無い言葉で愛想笑いを浮かべると、アイフォンを仕舞って身を乗り出した。
「たくさんお話聞かせてくださって、ありがとうございます! そろそろ『高価な櫛』が一体何なのか、教えてくれませんか?」
 彼女の目的は、あくまで『お金に代わる価値がある櫛』が、存在するか否かである。店長は眼鏡越しの目を狐のように細めると、帳場の奥から3つの櫛を取り出してくる。
「櫛の価値は、必ず『この条件が揃うから価値が点く』……という訳では、ないのです……木材や、使われている油……作家様が、丹精込めて描いた……唯一無二の柄等、櫛の価値は……櫛を選ぶお客様の価値観で、決まります」
「はぁ……」
 店長は分かりやすいように『江戸時代以前から存在していたとされるみねばりの木櫛』『一本何万円とする椿油が使われた木櫛』『緻密な鯉の滝登りが彫刻としてあしらわれた木櫛』を用意した。
(ふ~ん……一番画像映えしそうなのは、この鯉のぼりの櫛ね。じゃあ、私にとって価値があるのは『柄』が高価な櫛ってことか)
 友江は元より自分が使うことなど微塵も考えておらず、見栄えだけで一番端の彫り櫛を選んだ。
「私は、この櫛が一番高価に見えます。こっちの方向で、何か良い櫛はありますか?」
 店長は眼鏡の奥で目を細めると「それならば……」と、商品棚の中から一点物の美しい花と蝶が描かれた櫛を紹介する。
「こちらは、かの葛飾北斎が描いた『牡丹と蝶』をモチーフに、作家の方がデザインした……」
「あら、可愛い! これにしようかしら?」
 以前買い手がついた実家の櫛とよく似た柄の為、深く考えずに即決する友江に、店長はそれ以上何も言わずに櫛をちりめんのケースで丁寧に包み込んだ。
「お買い上げ、誠にありがとう……ございます」
 店長は丁寧に挨拶すると、友江を出口まで見送り、店内に戻って行った。フリーペーパーだった櫛の取り扱いについての説明書を折り曲げないように鞄に仕舞い、友江は浮足立って帰路に着く。
(思ったより値段かからなかったし、この店の最高額で出品すれば、これでもっと収入が増えるわ!)
「ふふ……ふふふ……」
 帰宅した友江は、早速今日買った中古品と櫛を写真に撮って出品する。【新品/未使用/一品物】のタグを付けた櫛は、彼女の想像よりも早く買い取りが付き、あっという間に売れてしまった。
(よし! 櫛はカードと一緒で、マニアやコレクターの層にウケるのね! ここの界隈はちょっとくらい高くても買い取ってもらえるわ! もう恵吾のカードも、失くしたことにして出品しちゃおう)
「くっふっ……うふふふふ……!」


 それから友江は、味を占めた商品を集中的に買い込んでは高値で売るようになった。恵吾のデッキケースにも手を付け、スリーブに入れられた貴重なカードは全て金に換えてしまう。
 一番高額で売れた櫛の店に行きたかったが、何故か店の名前も店へ向かう道も忘れてしまった。
(確か、全部知っている漢字が並んでいたんだけど……櫛を売っちゃった時にフリーペーパーも一緒に送っちゃったから、調べることも出来ない……)
「……ま、いっか。暫くはカードで稼げるし」
 人間とは、収入が増えるとそれだけ豪遊してしまうものである。
 友江はポイントに入りきらなかったアプリの売上金を換金し、税金対策で副収入をふるさと納税に使った。新しい服を買ったり、夕飯のおかずを一品増やしたり、少しずつ生活が豊かになっていくのを感じて悦に浸る。
 とある日の夕食後には、省吾に新品のネクタイピンを贈った。
「え? 今日って何かの記念日だっけ?」
「ううん。ほら……この前、ネクタイピン失くしちゃった、じゃない? 最近パートの時給上がったから、えっと……プレゼント」
 省吾は「ありがとう」と素直に受け取ると、珍しく夕食の食器を片付けてくれた。細やかな夫婦生活の変化に、友江はホッと溜息を吐く。
(お父さんの機嫌も直ったし、これで安心ね……変に中古アプリで探さないで、デパートまで行ったの久しぶりだったけど……買い物ってあんなに楽しかったんだ)
「ふふ……」
 この日から、友江は実際に店へ訪れてはブランド物のバックを買ったり、夕食の副菜をデリバリーしたり、金遣いが荒くなっていった。


 そんなある日、日用品を買いに出かけた友江は、再び『解通易堂』を見つけた。
「あ! あの時の櫛屋さん‼」
(探していた! 金になる櫛の店!)
 飛び込むように中に入ると、以前とは違った装いの店長が変わらず迎えてくれた。
「いらっしゃいませ……本日は、どのようなご用件で?」
「あの櫛、とても良かったんです! 是非他の友達にも薦めたいから、何本か買って行っても良いかしら」
「ほう……とても、良かった……ですか」
 店長は眼鏡の奥で意味ありげに微笑むと、音もなく友江に向かって顔を近付けた。
「ひゃっ!?」
(突然なに? この店長さん顔が良いからビックリするのよ‼)
 店長は何かを確かめる様に友江の髪を指で撫でると、直ぐに体を離して帳場の奥へと姿を消した。
再び柄の良い櫛を見繕っているのだろう。友江が帳場の前で待っていると、程なくして店長が5枚の櫛を持ってきた。
(奥から持ってきたってことは、店頭に並べられないくらい高価ってことでしょ? これは凄い櫛なのね!)
 友江が瞳を煌めかせながら身を乗り出すと、店長は一枚ずつ櫛の柄を紹介する。
「こちらは、かの……が、彫刻された……『花鳥風月』の木櫛……でございます」
「……はい?」
(彫刻家の名前が聞き取れなかった……もう一回聞かないと……)
 しかし、店長は友江が聞き返す余裕を与えない、見えない『圧』のようなもので彼女の口を塞いだ。
「注目すべきは……4枚一組で、作られたにも関わらず……1枚で『花鳥風月』を、彷彿とさせる点で……ございます。例えば、この桜の花の櫛には……こちらに『鳥』に続く、鳳凰の一部があしらわれていたり……」
「はい? えっと……」
(あれ? 最初話した時は凄く聞き取りやすく感じたのに……今日はなんか、変な間が逆に聞き取りにくい。なんで?)
 メモを取る余裕のない店長の話に、友江はこっそりとバッグの中のアイフォンを録画モードに設定した。情報はあるに越したことがない。
 桜の花、鳳凰、風に揺らめく雲と猫、艶やかな月。以前購入した椿に蝶の柄よりも豪華で繊細な作りの彫櫛を愛し気に触れる店主の姿は、それだけで一枚の絵画に見えた。
(……と、見とれている場合じゃないわ。要は、4枚一組でも売れるし、バラ売りも可能ってことよね。でもそそれだとまとめて買い手が見つかったとしても原価割れしちゃうわ……もう1枚くらいないかしら?)
 友江はどれも売れそうな華やかな柄に、声をあげて喜ぶフリをしながら両手を合わせた。
「そうそう。これです! これ全て、一点物なんですよね? 買わせてください!」
「ええ……ですが、この『花鳥風月』よりも……珍しい櫛が、あるのですよ」
「本当ですか!? それも見せてください!」
(まさか、店長さんの方から櫛を紹介してくれるなんて、丁度良いわ)
 「うふふ」と笑う友江に、店長は再び帳場の奥へと姿を消すと、厳かな包みを取り出して戻ってきた。
包みを緩やかに開けた途端に、友江の顔が一瞬にして青ざめる。
「きゃっ‼」
「おや? 櫛の柄、といえど……やはりこちらは、少々刺激が……強すぎましたか?」
 中から現れた櫛には、世にも恐ろしい『百鬼夜行』の絵が焦がしつけられていた。点描だけで表現された濃淡、何を狙っているのか、どこに向かっているのか分からない悍ましい妖怪の徘徊図に、店長はうっとりとした表情で紹介してくる。
「弟子を取らないで有名な、とある作家様が……気まぐれで描いた、世にも珍しい『百鬼夜行』……でございます。一等目につくのは、この『餓者髑髏』……でございますが、私が注目しておりますのは……」
「えっ……はぁ……」
(なに、この柄……髑髏に河童に妖怪? 気持ち悪い……なんでこんな柄を描いたのかしら。説明を聞くのも嫌なのに……早く終わって欲しい)
 平静を取り繕って説明を聞いている友江に、店長は「ここからが大事」と言わんばかりに、焦がし櫛をずいっと持ち上げた。
「焦がし櫛のこんな逸話を、ご存じですか……? 焦がし櫛に描かれた妖怪は、持ち主に挨拶を……する為に、夜になると……ふわりと現れて、挨拶に来るとか……来ないとか」
(いやっ! なにそれ……お化けが出てくる時なんて、大体驚かすか呪い殺す時くらいなんでしょ? この手の話題は苦手なんだからやめて欲しいわ)
 友江は辛うじて笑顔をキープすると、冷や汗を気取られないようにハンカチを取り出して握りしめた。
「まあ! なんて格好いい櫛なの! 『花鳥風月』と一緒に、これも買わせてくださいな」
「本当に……それが貴方の、望みですね?」
「え?」
「貴方は、本当に……友人にこの櫛たちを紹介する為に、ご購入されるのですよね?」
「え……ええ、勿論……」
 店長に念を押されて少し怖くなった友江だが、金になる櫛をみすみす手放すわけにはいかない。
「とても珍しい物なのでしょう? でしたら、是非買わせてください」
 こうして友江が手に入れた櫛は5枚。金のなる木櫛が入手出来たと浮かれながら帰宅すると、早速全ての櫛を出品した。
(【新品/未使用/一点物】で、説明が……)
「もう、せっかく録音したのに……会話がこもってて何も聞き取れなかったせいで、最初から考えなきゃいけなくなっちゃった……」
(思ったよりもお金かかっちゃったから、バラ売りする方は前回より上乗せで設定して……こっちの気持ち悪い櫛は、きっと珍しいから倍額にしても買ってもらえる筈!)
 アプリの出品ページを設定して、公開ボタンをタップする。ワクワクしながら画面を更新続けるが【いいね】ボタンは付くものの、高額にし過ぎたせいで中々買い手がつかない。
「ん~……ちょっと色付けすぎちゃったかしら? 明日まで様子見て、それでも売れなかったら値下げしよう」
 アプリを閉じると、ホーム画面がもう直ぐ省吾の帰宅時間だと表示している。
「いけない! まだご飯作ってないのに……えーっと……」
 焦りながらも、手元はいつでも郵送出来るようにと、櫛を梱包していく。最後に焦がし櫛を梱包しようとした瞬間、数多の妖怪の目がちらりと友江を見やったが、考え事をしている彼女が気付く筈もなく。
 後にくる災厄の兆しを、友江は自分の欲で見逃したのだった。


 この日の夕食は、デリバリーした寿司だった。櫛の店から帰って来てから夕食の時間までずっとアプリに齧りついていたせいで、料理する時間が無かったのだ。
「ごめんなさい、お父さん……これは私のお金から出すから」
「いや、良いんだけど……最近出前とか外食とか多くないか?」
「た……たまたまでしょ! さ、食べましょう」
 違和感を口にした省吾を雑にはぐらかして、友江はわざと大袈裟に、美味しそうに寿司を食べ始めた。彼女の利き手には、いつ買ったのかも分からない指輪やブレスレットが煌めいている。省吾は更に何か言いたげに友江を見つめたが、結局は何も言わずに食事を終えて風呂へと行ってしまった。
(お父さん、面白くないって顔していた……別に良いじゃない。自分で『稼いで』買った物なんだから……要らなくなったら『また売れば良いんだから』)
 寝室に向かう前に、再びアプリをチェックする。既にカードの買い手は付いたようで、何人かのユーザーと同時にメッセージのやり取りをする。
 その間に、省吾は先に寝室へ行ってしまったらしい。リビングの電気を消して自分のベッドへ向かうと、既に規則的な寝息が聞こえる。
(「おやすみ」くらい言えればいいのに。素っ気ない人)
 友江は溜息を吐きながら自分のベッドに横になる。一日中歩いたり立ち話を聞いたりした影響で、直ぐに微睡が体全体を包んでいく。
(はぁ~。疲れたなぁ……休日なのに一仕事した気分……でも気持ちいいな。そよ風と花の香りがして……)
「……え?」
 心地よい違和感に、逆に眠気が覚めて飛び起きる。省吾が寝ている方とは反対側の窓を確認すると、確かに鍵は閉じられているのに、寝室に風がそよいでいるのだ。花の香りは香水でもお香でも使ったことが無い。柔軟剤の香りにしては脳が揺らぐような強さに、友江の違和感がどんどんと膨らんでいく。
「なに……これ、夢?」
『……みゃぁ、にゃぁ……』
『チチチチチチ……』
「ヒィッ‼」
 ペットも飼っていないのに猫や鳥の鳴き声がして、反射的に窓から離れる。床だと思って下ろした足の下には、見たことのない奇妙な花が咲いていた。
「きゃぁ!」
(なに? この夢……待って、本当に夢なの!?)
 夢だと思いたい。その一心で花から飛び上がると、梱包した筈の櫛が寝室に散らばっている。
「片付けた筈なのに……? なんなのこの櫛!」
 足で櫛を蹴り飛ばすと、突然床から咲いた花がケラケラと笑い、鳥の羽ばたく音が部屋に響き渡った。
(嫌! 夢でもこんな怪奇現象、怖すぎる‼)
「ひっひぃぃいいぃ~~~‼」
 寝室を抜けてリビングへ逃げると、世にも悍ましい光景が広がっていた。嫌な予感が友江の頭を過ぎる。
 予感は的中した。どこからともなく現れた妖怪たちが、群れを成してやって来る。
『オオォオオォォ……』
『ウラァア……アァァアア!』
「――――っ‼」
 人は本当の恐怖と対峙した時、呼吸と共に言葉を失う。
 友江は腰を抜かしてその場でへたり込むと、目の前を闊歩する妖怪達に震え上がった。一つ目、蛇女、猫又、河童。 動きは違えど、どれも楽しそうにリビングやキッチンを見物したり、香りを確かめたりしながら徘徊している。中には、どこから持ってきたのかも分からない酒を交わし、宴会を始めた妖怪までいた。
 それらだけではない。怖い物が苦手な友江の知識では到底出てこない名前の妖怪がリビングを練り歩く中、ぬらりと現れた一体の妖怪と目があった。
――焦がし櫛に描かれた妖怪は、持ち主に挨拶を……する為に、夜になると……ふわりと現れて、挨拶に来るとか……来ないとか――
 小柄な老人程の体型に、顔が二つ付いているのかと勘違いしそうな歪な頭部、煙管を片手にくつくつと笑うその姿に、友江は恐怖で後退さろうと、力の無い足を必死に動かす。
――一等目につくのは、この『餓者髑髏』……でございますが、私が注目しておりますのは……精巧に表現された、この百鬼夜行の総大将……ぬらりひょんで、ございます――
「あ……あぁ……っ‼」
 やっと出てきた情けない声に、ぬらりひょんは恐怖に気付いたのか、怖がらせまいと小さい体を更に屈めて友江と視線の位置を合わせた。
『ご主人……儂がここの総大将だと知っているようですなぁ……』
 ぬらりひょんは自分の耳に届きそうなほど口角を上げてくつくつと笑った。リビングは既に妖怪で埋め尽くされ、一番大きい髑髏はこちらを見て「カカカカ」と笑っている。
「いや……ちがう……違うの……!」
『どうされましたご主人? 無礼が無いように、儂の力で挨拶にと全ての妖怪を顕現させたのじゃが……』
 ぬらりひょんの肩から、小さな魑魅魍魎がちまちまと現れ、手を振ったり飛び跳ねたりして友江に存在を示そうとしている。目の前の妖怪が言っている『全ての妖怪』の意味を悟った友江は、遂に冷静さを失った。
「いやぁ‼ 来ないでぇ~~~‼」
 ようやく絞り出した悲鳴で妖怪達を否定すると、泣きながら玄関まで逃げようと這いつくばった。
幻覚か夢なのか現実なのか、そんな些末な事どうでも良かった。
「違うの! 私は櫛の持ち主なんかじゃない‼ だから早く消えてちょうだい‼」
 今まで不当に売り付けていた物まで妖怪化して顕現してくるこの現状を、何とかして消し去りたかったのだ。
『ほう……妖怪と言えど、我等は邪気を払う百鬼夜行……我等を買い取ったのは、ご主人ではございませぬか?』
 じろりと睨むぬらりひょんの眼光に、友江は「ひっ!」と体を震わせた。
「ごめんなさい。ごめんなさいゴメンナサイ御免なさい‼ もうしません! しないから許してぇ……」
『何を謝る? ご主人が手ずから儂等を選んでくれたのじゃろう?』
「違う! ちがうの。私が使う為に買ったんじゃない。転売するために買ったの‼ ごめんなさい、ごめんなさい‼ 」
『転売……? 叩き売りの為に我等を選んだと?』
 せっかく出会えた『櫛の持ち主』では無いことに、妖怪一同は哀愁を漂わせた。酒宴で浮かれていた妖怪達も残念そうに盃を置き、髑髏が「カタカタ」と悲し気に骨を鳴らすが、友江は耳を塞ぎ目を閉じている為、それらの感情の機微に気付かない。彼女は土下座の姿勢で更に体を丸めると、何度も何度も妖怪達に謝った。
「ごめんなさい! もうやらないから、早く消えて……お願いします! ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
 妖怪の表情が分からない彼女には、それらがまるで、転売していることに怒り、呪いをかけようとしている様に感じ、泣いて床を叩いて命乞いをする。
「アプリも消す! 不当に買った物は返す! 今取引している商品も、全部、全部断るから……お願い、早く消えてぇ……‼」
 一つ目が大粒の涙を溜めながらふわりと消える。それに続いて、他の妖怪達も煙に変化した様に次々と消えていく。
『儂等だったら、ご主人の役にも立てたと……そう思ったんじゃがなぁ……』
 ぬらりひょんの声が、段々と遠くなっていく。友江がいよいよ何かされるのではないかと体を強張らせた、その時、
「……ぃ、さん! お母さんっ‼ と……ともえ、友江‼」
「っ!」
 突然、大きな手に肩を掴まれた。友江が反射的に顔を上げると、省吾が心配そうに彼女の背を抱きしめている。
「どうした……? 突然リビングで大声がしたから来てみたら、友江が取り乱して……どこか痛いのか? 救急車呼ぶ?」
「あ……え……?」
 友江は呆けながら部屋の中を見渡すが、至って整然としていて、不穏な風も、化け物の気配も無い。悪夢のような時間が終わったのだと実感した瞬間、彼女の目から再び大粒の涙が零れた。
「ごめ……なさい。ごめんなさいおと……省吾さん……私、わたし……」
 友江は泣きじゃくって省吾に謝ると、これまで黙って彼や息子、他にも、金稼ぎの為に叩き売りしていたことを謝罪した。
「今日買った櫛の……妖怪が、部屋いっぱいに出てきて……もう、耐えられなくて……」
「妖怪……? そんなことより、友江……パートの時給が上がったんじゃなくて、転売で稼いでいたのか!?」
「……っもう、しない。やらないっ‼」
 泣きじゃくる友江に、省吾は流石にショックを受けた様子だったが、優しく彼女の身体を抱きしめた。
「……気付けなくてごめん。僕も一緒に謝るから、これから償っていこう。恵吾にも、僕から謝っておくから」
「ごめんなさ……ごめん……ええぇ……」
 泣きじゃくる友江を、省吾は一晩中抱きしめ、宥めていた。


 後日『解通易堂』へ訪れたのは、友江ではなく省吾だった。
「あのぉ……ごめんください」
「はい。いらっしゃいませ……解通易堂の、泉と……申します」
 迎えてきた『泉』と名乗る異国風の男に、省吾は事の経緯を説明した。妻の友江が、中古屋やセール品、専門店から買った物をそのままアプリに出品して叩き売りする『転売屋』に成り下がっていたこと。とある怪奇現象を切っ掛けに改心し、アプリを削除して転売するはずだった品々を、手分けして返品していること。
「僕も、金遣いが荒くなってきた妻に違和感を覚えても、何も言わずに放ってしまったんです。ここまで深刻な事態にさせてしまったのは、僕の責任でもあります……なので、こうして返品する手伝いをしているんです」
 櫛について、彼女は『解通易堂』という漢字は覚えていても所在が分からないと言っていたが、省吾が休暇を使って櫛の店を探そうとしたら、呆気なくこの場に辿り着いたらしい。
「この度は、妻が不当に買い物をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。既に売ってしまったものは返せませんが……せめてこの4枚の櫛だけは、この店で本当に使いたいと思う方に……買ってもらってください」
「それは、それは……正直に話していただき、ありがとうございます……」
「あぁ! こちらの都合で返品するので、お金は返さないでください。必要であれば、謝罪費もお出しします」
「いえ……結構です。ご足労いただき、ありがとうございました……」
 泉は省吾から彫櫛を手渡されると、一枚ごと丁寧に、傷や欠けが無いか確認した。櫛を宝の様に愛し気に触れる彼の所作に、省吾は思わず感嘆の溜息が零れた。
「……『花鳥風月』は、確かに受け取りました。それで……焦がし櫛の『百鬼夜行』は……?」
「あれは……妻が使うそうです 。もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように……」
「あぁ……ええ、それは良い案……ですね。きっと、その櫛が奥様のお心を……元に戻してくださるでしょう」
 省吾は、今朝も友江が焦がし櫛を使っていた事を伝えた。結婚する前から幽霊や怪奇現象が怖くて仕方がなかった彼女が、きちんと妖怪と向き合っている様子に、彼は驚いたと言う。
「凄いんですよ。子供向けのお化け屋敷にすら入れなかった妻が、僕に櫛に描かれた妖怪の話をしてくるんです『この先頭にいるのが総大将のぬらりひょんって言うんだけど、体型は亡くなったうちのおじいちゃんみたいに小柄でね……』って、まるで実際に見た風に説明してくれるんです」
 友江との会話が嬉しかったのか、省吾の表情が少しだけ優しくなった。泉は眼鏡の奥で微笑むと、彫櫛を布で包み直しながら言葉を紡ぐ。
「当店では……お客様が『使いたい』又は『特定の誰かに贈りたい』と……心の底から思った時に、お譲りしたいと……考えております。当店に限らず、これは全ての……作り手の願いとも、言えるでしょう」
 省吾は、眼鏡越しの微笑みに感動して、思わず言葉が喉に詰まった。
「全く……全く、その通りだと、思います。この度は……大変、ご迷惑をおかけしました」
「いえ……奥様は、きっと……心の深い所で、百鬼夜行を『使いたい』……と思って、購入されたのでしょう……お買い上げ、誠にありがとう……ございます」
泉が友江をフォローしてくれた事に感謝して、省吾はもう一度深くお辞儀をしてから静かに店を出て行った。
 泉は彼の背を見送りながら、ふわりと漂う花の香りに目を細め、そよ風に長い髪を弄ばれながら、こんな独り言を口にした。

――例えば、一度犯した罪に対して、一生を持って罪を償わなければならないと思い込んでしまうのは、この国に暮らす人々の特徴とも言える思想でございます。
ですが、貴方が思うよりもずっと、罪は梳き落とせば薄くなり、いつかは消えていくものなのですよ……――

【完】

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