20211123 「見えない」と「見せない」
お久しぶりです。五月です。
久しぶりになってしまいました。最近色々ありすぎましてかけていなかったのですが、、、嬉しいことも悲しいこと、乗り越えるのが大変だったこと、さまざまなことがいつも通りあったのですが、今日はタイトルの「見えない」と「見せない」についてお話ししたいと思います。
私は前の記事にも書いているかなと思うのですが、あまり人に本音を言わないタイプで、人前の自分と本当の自分には大きなギャップがあるとどちらの私を知っている人からよく言われます。
現在いる大学で、心を開いても大丈夫な人ができました。今までは本当に一人でなんとかしていたことや、無理して乗り越えたり我慢していたことを、一緒に乗り越え考えてくれる人です。個人的には本当に助かっていて、その人の存在なしでは今の自分はいなかったのではないか、と心の底から思っていて感謝でしかないのですが、今回はその人とのすれ違い(?)で思ったことを記録として残していければと思います。
私はあまり頼まれたことに対して拒否できる人間ではないので、なんでも受け持ってしまって自分のキャパを把握できていないので気づいたら死んでいる、ということがよくあります。その人と時間を過ごしていく上で、他人には見せない疲れた表情や、苦しいと思っている雰囲気を知っているので、気づいたら私の行動や苦しんでいたり自分を追い詰めていることに気付かずに追い詰めているところを見てその人が苦しんでしまっている、ということ過去にありました。
そこから、自分の気持ちを整理して、何ができて、何をするべきなのかをしっかり分析して、その結果を踏まえて自分は行動していると思っていました。ただ、上の一件があってから、その人が苦しんでいることを知ってから、そのことについてお互い触れないようにしていました。それも原因だったのか、状況があまり変わっていない上、私がまたしんどそうにしていたらしいので、またその人を傷つけてしまいました。
その人に心を開くまでは、私は「見せない」ということが正しいことだと思っていました。その人が私が何しているかを知らないのであれば、周りは気にせずに行動してくれて、喜んでくれるならなんでもいいと思っていました。ただ、本当の私を知っている人がそれを見ると、「見せない」ことが辛くなる人がいるということも知りました。
ただ、努力が他人に伝わらない、やっていたことが「見えない」と言われるのも、また複雑な気持ちになりました。自分の中では気持ちも整理して、それに向けて自分自身行動もしてて、ただ周りが動いてくれなくて自分の行動に制限がかかってしまったりとか、そういうことが起きてまた苦しんでそれを見てまた傷つけて、という負の連鎖が始まるケースもありました。
どちらが正解か、いまだにわからずまだ悩んでいるのですが、「見せない」も「見える努力ができていない」自分も、どちらも辛いなというのが現状ですが、相手に伝わらない努力であればもっと頑張らないとなと思う自分も今はいるので、頑張るしかないと思っています。
本当に思ったこと・起こったことをつらつら書いただけですが、読んでいただきありがとうございました。
それではまた気が向いたら。
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