59.大好きな先輩②
大好きな先輩2人目もセビアンの先輩です。
5つ上の島谷さんです。
5つ上なので現役時代一緒にバスケしたことはなく、ほとんど接点はありませんでした。
親しくさせていただくようになったのは、僕がしたあるご迷惑がきっかけでした。
泥酔しても記憶はあるのですが、かつて一度だけ記憶を失ったことがありました。
大学1年生の時のセビアンの飲み会です。
OBの方々も多数来られていたので、何かのイベントの飲み会だったのではないかと思います。
いつものように18条のつぼ八で飲んだのですが、その日は尋常じゃないスピードで、尋常じゃない量のお酒を飲みました。
先輩方が泥酔した僕に自宅に帰るよう促すと、「僕が帰った後でみんなでつくしのこで盛り上がるんでしょ!僕も次行きますからね」などと言って、言う事を聞かなかったそうです。
住所を聞き出して自宅に連れて行こうとすると、「北200条の西100丁目です」などと、ありもしない住所を言うので、他のメンバーに電話して僕の住所を聞き出し、強制送還されることになりました。
その時に、僕を自宅まで連れて帰ってくださったうちの一人が島谷さんなのです。
泥酔した僕は、大変失礼ながら島谷さんのことをずっと「鎌谷(かまたに)さん」と言っていたそうです。
翌日は史上最悪の二日酔いでした。
起きたらベッドの上に靴があるし、頭には血の塊ができていたし、記憶は全くないし、二日酔いが収まってからいったい何があったんだろうと恐怖さえ覚えました。
おそらく、島谷さんには相当めんどくさい絡み方をしたのだと思いますが、その後敬遠されるどころかむしろ仲良くしていただけるようになりました。
しかし、僕が学生時代には深い話までさせていただくような関係ではありませんでした。
2004年8月13日、メーカーを辞めてニートをしていた時代に、当時釧路にいらっしゃった島谷さんと再会しました。
ダメもとで直前に電話したのですが、遊びにおいでと受け入れてくださいました。
その時、僕がメーカーで経験した話や想いを何時間も親身になって聞いてくださいました。
翌日には隣の鶴居村で行われていた職場のご友人とのキャンプに僕も飛び入り参加させていただき、楽しい時間を共有させていただきました。
以降、島谷さんとは毎年飲ませていただくようになりました。
転勤で札幌に来られてからは、つくしのこで年に何度も飲ませていただくようになりました。
夕方6時から翌日の1時過ぎまで飲んだこともありました。
2010年10月11日に札幌で行った結婚式には島谷さんだけでなく、奥様やお子さんも参加してくださいました。
娘さんからは素敵な本のプレゼントもいただきました。
島谷さんが東京に転勤になられてからも、僕が東京遠征の際にはかなりの確率で連絡させていただき、かなりの確率で飲ませていただいています。
2004年の時には小学生だったお子さんたちも大きくなりました。
社会人になった娘さんと二人で食事に行ったこともあります。
「人生で怒られたことがあるんだろうか?」と思うくらい穏やかで、物腰が柔らかい先輩です。
僕より5つも上なのに、先輩風を吹かせられることもありません。
見倣いたいけど、真似できない、尊敬する先輩の一人でもあります。
そんな先輩に知り合えたことに感謝です。
出会いは人生の宝物です。
(つづく)
次のはなし
60.大好きな先輩③
https://note.com/totoro0129/n/n1dc25f2ec2da
<0.プロローグと目次>
https://note.com/totoro0129/n/n02a6e2bda09f
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