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何でブルワリー?①


どうしてブルワリーを始めるに至ったのか。そこにはなにか野望や狙いのようなものがあったのか。この時代検索をかければそのほとんどが答えを得られる時代になったからこそ、その過程を飛ばして決定的な答えを欲しくなることが増えてると思います。
実はその過程にこそ本物の答えがあったりすると思うのです。

僕らがどうしてブルワリーを始めたのかは時間をかけてじっくり話せば、たぶん幼少期までさかのぼれるかと思います。



僕は3人兄弟の真ん中に産まれて、ほどほどな田舎だったけど自然豊かなエリアでもなく小学校も歩いて10分以内にあっていわゆるどこにでもある町で育って、人並みに兄弟喧嘩したり、人並みに友達がいて、これといった特出するような環境であったわけではない。
概ね人に流されて生きてきて、これといって芯があるわけでもなかったからなるべく少数派に入らないように先頭を行く人を見てから動いていた、そんな幼少期でした。

そうやって先頭を行く人を憧れの眼差しで見ていて2軒となりの家に住んでた4つ年上のたかとし君がそれで、とにかくかっこよかった。
学校が終わってたかとし君が帰ってくるのを広場で待って一緒に遊ぶ。たまに帰ってくるのが遅い日の落胆具合は今でも覚えてたりします。たかとし君が来てる服とか恰好とか歩き方とかもマネしたりして、まさに憧れの人。たかとし君が中学校に上がった頃に家庭の事情で引っ越すことになって、そこからはもう会うこともありませんでした。(実はその数年後にヤンキーになったたかとし君を見つかたけど声かけられなかった)

その頃からは少数派の方がかっこいいと思い始めて人並みな過程の中でも人がやらないことをやりたいとぼんやりと思ってた頃があっても結果、相変わらず流されに流されてみんなが行く地元の高校に進学を決めた。そんな中衝撃的なニュース。それは毎日遊ぶような仲のいい友達の一人が高校進学は親元を離れて市外の高校へ進学すると言い出したのでした。もともと勉強は手を抜かないやつで先頭を進んでる人だったけど、このころからは友達ながら尊敬した。自分には今の環境を離れるほどの理由になる大きな何かなど持ち得ていなかった。

僕らの時代はサッカー全盛期で、Jリーグが開幕して始まったサッカーブームに乗って、僕らの地域でもたくさんの子供たちがサッカー少年団なるものに加入していました。仲のいい友達もたくさんいたから全然嫌いじゃなかったし泊まりの合宿とかは夏の最高の思い出の一つでした。
その流れで中学高校とどちらもサッカー部に所属していて、高校では強豪ではないけど監督は強豪校を渡り歩いてきた人で、それなりに厳しく練習をはじめ礼儀作法みたいなやつも教え込まれました。今思えばあれななんだったんだみたいな事もあるけど、当時は?マークすら浮かばなかった。1年の頃は朝練も行かないし、午後連はたまにサボるし、週末はほぼ練習も試合も行かないやつだったのですが、3年生の最後の試合を見て感動して、その次の日から人が変わったように猛烈にサッカーに取り組むようになった。上手くなるためなら全ての時間をサッカーに費やしていて、なによりそれがとても楽しかったのです。
この頃に転機になるような出来事が起きました。それは自分たちが3年生になるその年にこれまで絶大な信頼をしていた監督が他校の教頭?校長?になるかなんかでいなくなる事になった。結構ショックだったけど、勝手に責任感みたいなものが沸々とわいてきて当時主将だったりしたので自分で監督みたいな事をしました。練習決めたり、時に厳しくしたりと。今思えば全くもって間違った事もしてたと思うけど、そうやって長になる事に嫌な感情は一切なかったし心地よかった。
しかしやっぱり現実は漫画みたいに行くはずもなく精神的支柱をなくしたチームはまとまりをなくし技術を向上させる事やそれを評価される事もできずに、あっけなく最後の大会は終わりを告げた。
この不完全燃焼の経験こそが今につながる最大の要因で、今こうやってブルワリーをしているといってもおかしくない出発点であったと思います。



次回に続く
では。

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