#205 戦国最強~流武安割布伍回戦
天草四郎長崎軍を撃破し、流武安割布の伍回戦に進んだ我らが上杉新潟軍。次なる相手は、最近「戦国最強」の名を欲しいままにしている本多忠勝町田軍。黒田官兵衛ならぬ黒田剛という軍師を招き、堅守速攻と長距離投石器を武器に勹一総当戦で首位を席巻していた(9月10日現在は2位)。
流武安割布に先立ち、勹一総当戦で前哨戦を行った両軍は、どちらも決め手を欠き無得点の痛み分けに終わった。その後、我ら上杉軍は織田軍の待つ尾張へと攻め入らんとするも、台風により遠征は延期されることに。こうして勹一総当戦二十八節から流武安割布伍回戦にかけて、本多軍とはまさかの三連戦が決定したのであった。
まずは越後の地で迎え撃った第一戦。この時、本多忠勝の愛槍「蜻蛉切」壱型(雄世奮)と弐型(出勇駆)はそれぞれ韓国と豪州に遠征中であり、上杉軍にとっては絶好の好機となった。そして、長崎戦に続いて輝いたのが柳生二十七兵衛!彼の大活躍により本多軍から五点を奪い、初戦は見事に蹴散らしたのであった。彼はもう柳生二十七兵衛では収まらない、新選組最強の剣士長倉新二十七となったのであった。
続く第二戦は敵地町田へ乗り込んだが、前戦の勢いそのままに長倉新二十七が攻め立てるも、最後の砦を落とせず苦戦。自国での敗北は許されぬと背水の陣を敷いた本多軍に二点を奪われ、上杉軍も一時浮き足立つ。しかし、中入り後に見事立て直し、守備を固めて本多軍を抑え切った。こうして上杉軍は、とうとう流武安割布の四強に名乗りを上げたのであった!
さて、他の戦況を見てみると、織田軍が毛利軍を辛くも打ち倒し、横浜北条軍も蝦夷の刺客を見事に討ち取った。そして次に我が敵となるのは、因縁深い甲斐の武田軍を破った川崎北条軍。これによって四強での「川中島の合戦」の再現は叶わず、実に残念至極。しかし、武田軍の無念を汲み取り、次戦は川崎北条軍を撃破し、流武安割布天下分け目の天王山へと勝ち進もうではないか!