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#211 夢幻如也~流武安割布天王山「霞ヶ丘の戦い」

時は令和六年十一月二日。これまでの長い流武安杯の戦いを勝ち進んだ越後上杉軍と名古屋織田軍の二大英雄が、天下を賭けて激突することとなった。越後の龍、上杉軍は日本海側から関越隧道を抜け江戸を目指す。一方尾張の覇者、織田軍は東海を制しつつ東へ進軍。最終決戦が行われる天王山は、霞ヶ丘の国立競技場と相成った。

上杉軍は守護神全力(FULL GEAR)航斗を中心に、得意の車懸かりの陣を生かした構築進軍(ビルドアップ)を試みる。東洋大学より参った“越後隼人”稲無羅も健在である。そこに立ち塞がるは名古屋の“満智”=乱外楽。この戦いを最後に、故郷である豪州への帰参を認められていた彼は、有終の美を飾ろうと上杉軍の攻撃を悉く弾き返す。

織田軍は長篠の戦でも勇名を馳せた鉄砲隊の三段撃ち(永井、和泉、森島のハイプレス)で前線からの速攻に糸口を探る。戦場はまさに均衡、どちらが勝利を収めるか予測できない状況が続いた。

口火を切ったのは織田軍の一番槍永井。何度もこのような大舞台を経験してきた歴戦の猛者が全力航斗の過失を見逃さなかった。上杉の本陣を見事に突き、疾風の如き突撃を敢行。上杉軍は織田軍に、瞬く間に二失点を献上することとなってしまう。

戦いも折り返しを迎え、敗戦濃厚との懸念も漂い始めた上杉軍。しかしそこで起死回生の西南の風が吹き抜ける。勇猛果敢に騎馬で駆け上がった打新呂の白鳥十字攻撃に合わせるのは農園長海斗!兵農分離など何するものぞ、日本海加農頭(キャノンヘッド)炸裂!一点を返し、反撃の狼煙を上げる。尚も攻撃の手を緩めず攻め込む上杉軍。

しかし、それでも「負けてなるか」と守りを固め跳ね返し続ける織田軍の前に、勝利も風前の灯の上杉軍。絶望の淵から救ったのは、越後隼人の“丸刈元気印”小見洋太。最後の最後の攻撃で見事「報蹴」を掴み取った!その「報蹴」を自らの小刻歩戦法で攻略し一点を奪取。天王山の戦いは延長戦へと突入したのであった。

延長戦も互いに一得点を奪い合い奮戦するも、両者攻め手が尽き、ついに痛み分けを余儀なくされた。しかしながらやはり決着は必ず着けなければならない。両者五名ずつの猛者を選出し、最後の報蹴戦となった。

この報蹴戦で外したのはまさかの上杉軍次鋒、長倉親二十七。これまでの流武安割布での彼の活躍を鑑みるに、誰も彼を攻めることはできないであろう。織田軍は乱外楽の花道を飾ろうという勢いのままこの接戦を制し、遂には天下統一を果たした。織田軍は、「天下布武」の理想を実現し、六十倶楽部の頂点に立ったのであった。「尾張名古屋は城で持つ」ならぬ、「乱外楽で持つ」と言わざるを得ない。歴史に残る名勝負であったこの天王山の戦いは、両軍の名を歴史に刻み、以後の日本に伝説を残すこととなった。


天王山の戦いに敗れ、越後へと退いた上杉謙信(ニャポ太)は、その激闘の末に敗北を喫した自身の姿を絵に描かせることにした。体は傷つき、勇姿とは程遠い、疲れ切った面持ちの絵が完成した。その絵をじっと見つめ、「この敗北の悔しさを忘れるべからずニャポ。敗北は我らが次なる教訓となるニャポ」と自らに語りかけた。その絵は以後、上杉軍の決意と戒めとして残り、越後の武士たちの心に深く刻まれることとなった。

おわり



追記:
なんとなく軽い気持ちで始めた「ニャポ太の野望」。アルビが優勝すれば、まるでできすぎた物語だったのですが、最後は夢叶わず敗れてしまいました。それでも、ルヴァンカップ決勝が行われた国立競技場は、勝利を逃したこと以外は最高の場所でした。またいつかここに戻り、次こそはタイトルを手にできるよう、これからもアルビを応援していきたいです。まずはJ1残留を確実にしなければなりませんね。


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イトウタカオ
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