子育てのラスボスは私の親だなあ【私の場合】
スキップコーチのみさです。
数年前は子供が勉強しないことに悩んでました。どうしたら勉強させられるのか、ばっかり考えてました。
勉強は子供の問題だし、子供には自分で考える力があるし、私の人生と子供の人生とは別物だ、とだんだんと理解してきました。
でもね。
アタマでは分かるんだけど、どうしても、どうしても、「子供に任せる」なんてできないし、イヤだし、やっちゃいけない、という気持ちが強かったのです。(「任せる」って「もうどうでもいいよ、ってあきらめるってこと?」って思ってた。)
この気持ちはどこから来てるんだろう・・・?
それは、シンプルな感情で言えば
恐怖
でした。
「子供を放っておけば、ラクな方、ラクな方に流されて、ついにはどうしようもない人生になる。」
って心の底では信じてました。
ん?えらい限定的ですよね。漠然とした不安と言うよりは誰かへの言葉。いったい誰の話??
実はこれ、私が親からずっと言われていた言葉です。
「どうしようもない人生」ってフレーズ。
私にとっては、こわーい言葉でしたが一体どんな状況を指してるのか、改めて考え直してみると、実はちょっとよく分かりませんでした。
なんだか、衣食住に困って借金?みたいなイメージでした。(そんな状況ってどんな状況?!)
今、思うのですが、自分の子供の頃に言われた言葉や経験をそのまんま自分に受け入れて、あんなにイヤだったのに子供に同じマインドで接していました。
「だから、あなたはこうなっちゃだめだよ」
「こうなったら大変だよ、だから勉強しなさい」
「言われたことをきちんとやって、何かに打ち込み、礼儀正しい良い子でいなさい。そうすれば、どうしようもない人生にはならないから。」
って。
「私の言うことを聞いていれば大丈夫だよ、だから、こうしなさい。」
子供を思い通りに育てたかったんです。
それは、幸せになってもらいたいという親心でしたが、その幸せって、私が思う幸せでした。(え?それが最高の幸せでしょ。それ以外あるの?くらいに思ってました)
「親の代わりに子育てのやり直し」
してました。親が育てたかった子供にならなかった私。だからこそ、今度こそ、親好みの子供を育てて、私が認められたかった。(わー、ややこし!)そんな気持ちがありました。
それが根っこだったと気づいたとき。
自分に「ご苦労さん・・なんか大変だったね」とねぎらいの言葉をかけて、
親の気持ちは「あなたはそう思うんだね。」と親の気持ちとして受け止めて、(受け入れるではなく、受け止める、ね)
気持ちがぐっと軽くなりました。
そしてね、その時にばばばばばーっと線が引かれていったのです。
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それって誰の問題?
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という線引きができたのです。
私は、
親の問題を私の問題にして
子供の問題を私の問題にして、
それでいて、私の問題を誰かしっかり教えてくれないかなあ、と
コントロールしてくれる人を探してました。
線が、どこにもない状態。
それを
私の問題は私が考える。
子供は子供の問題を考える。
親は親の問題を考える。
と線を引きました。(境界線を引く)
幼い子供には考えるアタマがない。
と思ってましたが、同時に
親が困ってるなら私がなんとかしなくっちゃ、って思ってました。
これって、私が親の問題をどうにかしようと思っている、ってこと。
そして、私の困りごとの答えを誰か専門家や先輩ママ、先生に「こうしたらいいよ」という正しい道を示してほしかったです。
私の問題を誰かに考えてほしいと思ってる、ってこと。
大丈夫、私は考えられるし、子供も考えられるし、親も考えられる。
大丈夫、任せてよし。
大丈夫、思い通りにいかないことはきっと豊かな経験になる。
大丈夫、うまくいかないなあ、と思ってるときは成長の一歩手前。立ち向かえ!
お読みいただきありがとうございます。