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桃太郎の気持ち【私が子育てのマインドを変えたきっかけ】

スキップコーチのみさです。

「子供には幸せになってもらいたい」

もうね、子供が生まれて以来ずっとそう思ってます。

ただ。

これに「私と違って」とか「私と同じような失敗をしないように」と私の経験からの作戦を授けよう、と思っていたのでちょっと方向がおかしくなりました。(でも、当時の私は気づいていなかった)

「私と違って、勉強に苦労しない」
「私と違って、先生から大事にされる」
「私と違って、親から否定されない」

こんな風に思ってました。

だから。

「勉強をたくさんやって勉強好きで積極的な子になる」
「礼儀正しく、優等生でいる」
「私が思いっきり大事にする」

こうしよう。こうなればうまくいく!って心底思っていました。

転ばぬ先の杖と言いますか、子供の前の道を掃き清めて通らせたいと言いますか、そんな気持ちだったのです。そうすれば効率がいいしね。(もちろん、親心)

桃太郎の童話そのものを思い描いていました。

桃から生まれた桃太郎は、おじいさんおばあさんのもとですくすく育ち、
大きくなって「鬼退治に行く」と言い出す。
おじいさん、おばあさんはとめたけど、とめても聞かないとわかると、
ハチマキやわらじや刀、きびだんごを準備して
「がんばってこいよ~」と送り出した。

これ・・・おじいさん、おばあさんは鬼退治についていかなかったんですよね。

私なら「微力ながら!」って助太刀に行くわ。役に立てると思うし。

でも、物語ではついていかず、送り出した。だから、

「私もおじいさんとおばあさんのように、どこかで社会に子供を送り出す時が来る。その時までに精一杯の装備をつけて送り出そう。送り出したら活躍を祈ろう。」

そう思っていました。

精一杯の装備。

それが、勉強とスポーツと人間力だったのです。
順番は
「勉強>スポーツ>人間力」
でした。

勉強させて、スポーツさせて、礼儀正しく、って子供の様子を観察しながら押したり引いたりしてやらせていました。


でも、現実は、子供は反発して勉強をやりたがらず、勉強をきらいになり、スポーツも嫌がっていました。

む。うまくいかない。


子供は大きくなって

「うるせー」
「うざい」
「だまってろ」

と言うようになりました。

むむ、ますますうまくいかない。


そんな時に、コーチに出会って、コーチの一言で私は決定的に欠けていた視点に気づきました。

「桃太郎ってさ、鬼退治に行くと決めた時に自分で準備しなかったんだろうか?おじいさんとおばあさんにすべて任せきりだったんだろうか?」


この言葉で、私は「あ!」と思いました。

そうだよね、本人が準備するよね。言い出したんだから。

今のうちの子だったら
「は?こんな貧弱な装備で鬼退治に行けると思ってるのか?」
って、言いそうだわ。(やらされてる感が満載の鬼退治)

この時、私は「子供の自立」ってなんだろう、って考えるようになったのです。

鬼退治に行くのか行かないのか、大人になってどうしたいのか、すべて本人が考えることだ。そう、考えられるよね。

「うちの子はだらしないからできない」「まだ幼いから考えられない」

そう思ってあれこれ勉強の作戦を練ってやらせてたのですが、本当にそうだろうか?自分でできるんじゃないか?

そこに気づいて、私は大きな大きな決断をしました。

「夏休みの宿題を本人に任せる」(当時中2)

え?そんなこと?なのですが、私的には高校入試に必要な内申を考えると手を抜くことはできませんでした。それを、思い切って、思い切って子供に任せたのです。(今思えば、ホント過干渉でした)

結果。やってました。自分でやってました。(出来栄えは不明。それも見なかったので)

「この子、自分で考えられるんだ」

そんなことに気づいた話でした。(「ちゃんとやらせなきゃ」が強かったので大きな驚きでした)

ここから私の子育てが大きく変わっていきました。そんなきっかけとなったのは「桃太郎の気持ち」でした。


お読みいただきありがとうございます。

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