ゆるやかに、されど突然に
とつきさん主催の【季語で遊ぶワークショップ】に参加してきた。とても楽しかったのでワークショップの感想はまた別に書きたいのだが、その前に、その日の自分に対する気付きを日記に認めたい。
ワークショップのお部屋に入ると見知ったガールズさんが揃っていた。間違えた部屋の扉を開けなくてよかったと安堵していると、部屋の奥からあきやさんが「totonoさんっ!!」と真っ直ぐ駆け寄って来てくれた。目をまんまるにしている。わーいあきやさんとも会えて嬉しいな〜お久しぶりです〜😊と呑気にしている私を他所に、あきやさんは何やら興奮している。「え〜っ全然!違う!進化がすごい!泣いちゃう…!泣いちゃう…!」
えっそんなに変わったかな??
そういえば今日の服上下とも教室後の購入だな〜確かに去年の今頃に教室を受けたときとテイストが違うな〜とあきやさんの興奮を他人事のように受けとめる。呆けている私を他所に「えっ!?皆さんは知ってたんですか!?皆さんが知ってるtotonoさんはこのtotonoさん!?」と周囲にまで聞いている。
証言を集めてみる。
「湖森会のときは…金髪…?」
あ、そうだ毛先金髪だったな。
「講演会のときは黒髪のボブでしたよね?」
あー去年の四月…は染めてたけど茶髪…?一昨年の秋の講演会のときは黒髪だったな…。
実は夏に「人生で一度は自分でブリーチしてみたい」と金髪にしていた。あまりの似合わなさと落ち着かなさにさっさとバターカラーで紺色に染め、ジワジワ色落ちして毛先の金髪だけが残った…という経緯だ。
そして、この日は毛先をバターカラーでピンクに染めていた。人生で一度は幸田実果子になりたい夢を叶えるべく、一週間前にチャレンジしたら意外と色が抜けず、そのままワークショップの日を迎えたのだ。
そう言われるとこの半年でずいぶん変わったなあ…と他人の履歴見るように思い返す。本当に『他人事』で、あきやさんの驚き方だけが、ガツンと衝撃だった。
名前と好きな人や物を言って自己紹介する時間に、私は黒柳徹子さんと、B'zの稲葉浩志さんをあげた。
「一見共通点のないお二人に見えると思うんですが、お二人とも"自分が自分でいられるための努力"をし続けて来てる方だと思っていて、私もそういう風に生きたいなと思えるんです。」
"努力"ではなく"選択"の方があってるな、と思い返しつつ、自分で言いながらじわりじわりと染みて来た。お二人は何かを決めるときに、自分の心と向き合って選んで来てる。(ように私には見えている)私はどうだろうか。
そうだ、私はこの一年間『私が私でいるための努力と選択』をしてきた。
私だ!と思えるリップとマニュキアを買った。
私の安心だ!と思える香水を買った。
私だ!とは思えないけど、「なりたい」かも!と思い切って夏の制服を買った。
人生で一度はやりたいと思っていた「自分でブリーチをする」を行動に移した。
天候に行動を制限されず、自由になれる!と冬のスカートを買った。
人生で一度はなりたかった「幸田実果子になる」という願いも叶えた。※ショートカットでピンク頭の意味
特に、人生で一度は幸田実果子になりたかった。
ウィッグで体験することも出来たかも知れないが、実果子は地毛でやらなければ昇華出来ない何かがあった。自分でブリーチしたのも、実果子がやっていたからだ。ピンクに染めるのは誰にも会わない期間にやりたいけど、誰にも見て貰えないのも寂しくて、mimoさんと図書館で春の雑誌祭りをする際に染めた。失敗しても、図書館なら人目も気にならないだろうと思ったのだ。
結果、一週間ピンク頭で過ごしたらもっとこの頭でいたくなった。黒髪とピンクのまだら感が気に入った。
実果子になったら何かが動き出すような予感があった。
頭をピンクにしただけでは「わーい😊」くらいだったが、一週間ピンクで過ごしたら、じわりじわりと糖衣を被っていた自分に気づき出した。
もう、髪型とか、服装とか、生き方に我慢したくないなあ、とぽつりと心から溢れて来た。
ずっと、思うように動かせない身体から抜け出したかった。
ひと息ひと息、空気を肺いっぱいに吸うことすら出来ずに過ごして来た。
それが、息を吸えるようになって、一人前の食事を食べられるようになった。
美味しい、と思えるようになった。
楽しめるようになった。
外に長時間いられるようになった。
ひとりで都心に出られるようになった。
人と会えるようになった。
服を、買えた。
出来ることが増えたら、自分の小さな願いも叶えてあげられるようになった。この一年は、特に意識して叶えるようにしていた。
小さな「やってみたい」を叶えていたら、たった一年で、あきやさんが驚くほど変わっていた。
変わった自覚はなかったが、少なくとも、鏡を見たときに"自分がいない"と、がっかりはしていない。
私は気付かず「自分が自分でいられる為の努力と選択」をしていたのだ。全くの無意識に、尊敬する人たちの真似をしていた。変化って、こんなに緩やかに、優しく包み込むように、いつの間にか訪れてるものなのか。
焦らなかったことが良かったような気がする。
焦らず階段を踏みしめ、一段上がるごとに観察し、味わって、楽しんで、また一段。
ワークショップでは皆さんの選んだ俳句がそれぞれがそれぞれらしく、説明される前に何を言わんとするか分かってしまうくらいぴったりだった。私のこの一年を俳句にしたらなんだろう。さっそく歳時記を開くとこんな句を見つけた。
『雪解けやひよろひよろと鳶の声 村上鬼城』
長い、長い冬が終わりを告げてる。
この一年はどんな一年にしよう。
ひとつひとつの選択を大切にして生きたい。
あきやさんは「まさに、"細胞の全部が私さくら咲く"って感じでしたよ!」(作・神野紗希)と言ってくれた。いまも、書いてて泣きそうだ。
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