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田中一村展 東京都美術館でやります
奄美大島まで行かないと見られないと思っていた、田中一村の作品が!たくさん!東京に来るよ!!(何点集まるのかどっかでみたけど数を覚えてない。たくさんです。)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画
会期:2024年9月19日〜12月1日
以前テレビ…ぶらぶら美術館だったかな…千葉市美術館で田中一村展をやってたときに知って、そのときは体調悪かったんだけど、どうしても生で見たくて頑張って体調整えて行ったの。めっちゃよかった。めっちゃよかった内容を少しノートに書き留めてたのにそのノートが見つからなくて布教noteを書くのが遅くなった。ノートは見つからないし、もはや記憶もあやふやで一村の経歴もぼやぼやしてるけど、東京に来るこの機会にひとりでも多くの人に名前だけでも記憶に残って欲しくてnoteを書くことにした。
経歴はこちらのページを読んでもろて↓
私は今回、大作「アダンの海辺」だけを語ろうと思う。
海の波打ち際をずっと眺めていたいと思ったことはないだろうか。ずーーーっと眺めてボーっとしていたいのに、ちらちらきらきら輝く海の光は反射が強くて目を細めてしかめっ面になってしまう。あの輝きが描かれている力強い作品だ。絵なので、反射はしてない。なのに、思わず目を細めてしまう。絵が眩しい。
会場では、ずっっっと眺めていたくても、周囲の人の邪魔になるので近寄ったり離れたり、後ろの方でスタンバって人が捌けるのを待ったりしながらこの絵の近辺でずっとうろちょろしていた。十分でいいから独り占めしてこの絵と向き合えたら、どんなにいいだろう。そんな風にしながらも、ずっと眺めていたら、もどかしさを覚えはじめた。絵を独り占め出来ないもどかしさではなく、絵が訴えてくる感情。なんだろう、アダンの葉の先から感じる。背景には眩しい夕暮れの空が広がっていた。なんなんだ、この、届きそうで届かない感じは…なんだか胸が苦しくなる。息も浅くなる。必死に手を伸ばしてるのに届かない、あともう少し、もう少し、もう少しで届くのに…そんなときの苦しさ。単純な欲求じゃない。肉体の奥底から、欲する何かを求めて手を伸ばしてる感じだ。肉体が、心が、魂がそれを欲してる。これを手に入れずに死ねるものか!と思ってる。藻掻いてる。何だろうこの感情は…
会場で答えは出ず、数ヶ月ふっとこの感覚を思い出してはぼーっと、このアダンの海辺のことを考えいた。
あるとき分かった。
あれは、アダンの葉の先は、一村の手だ。
画家の頂点を目指す、一村の手だ。
描いてやる。描き抜いてやる。描いてみせるのだ、それをせずに死ねるものか、と。
求めているのは、一村の目指す光の先だ。画家としての頂点へ手を伸ばしてる。もう少し、もう少しで頂点に到達するのに、あと少しで!
一村の執念が、悔しさともどかしさが、絵に表れてが私に訴えて来たのだろう。
世俗的な栄達とは無縁な中で、全身全霊をかけて「描くこと」に取り組んだ一村の生涯は、「不屈の情熱の軌跡」といえるものでした。
改めて公式文章を読んでたら、力強く的確な文章で一村を表現していた。プロ〜〜〜〜感謝🙏
私以外の人にはこの絵はどんな感情を訴えてくるのだろう。
ひとことでいいです。感想を分けて貰えたら、とても嬉しいです。多分わたしはこのときの感覚に引っ張られてしまうと思うので、違う視点からもこの絵を感じたいのです。
強い感情じゃなくていいよ!
「綺麗だった〜✨️」
「海行きたくなった」
「アダンの実ってデコボコだね。」
なんでもいいです。
行かない人、絵に興味のない人は、今日は名前だけ覚えて帰って下さい。