Feelin’ Go(o)d あとがき
何か言葉で創作したいなぁと思っていた時に、ちょうど藤井風さんのFeelin’Go(o)dを思い出してふとエッセイ?小説?のようなものを書いてみたくなりました。
書いてみて、曲に対して何となく感じていたものを言葉にしたりが楽しかったです。
曲が意味していること、解釈を私の視点で言葉にしただけなのですが、これまでぼんやりしていた曲の解像度が(自分の中だけですが)上がった気がします。
この曲では、外界の相手をする自分と、色んなことをいう内側の自分との対話なのかなぁと思いました。
超自我の自分と深層心理の自分というか。
その中で、どちらも自分であって、これまで誰かからか言葉であったり行動で愛情を受け取っている。誰かを通して自分を見ている。誰かに言われて嫌だなぁと思うことは、その実、自分が本当はしたいこととか、やりたいことだったりする。そんなことを繰り返しながら、自分自身を知っていく。
どちらの自分も受け入れて、共にドアを開き続ける(選択して行動し続ける)ことが幸せに繋がるんじゃないのかなという藤井風さんのメッセージかなと解釈しました。
というのも、つい最近読んだADHDの本に、「完璧な人などいないよ。大した問題じゃない。欠点があるからと言って世界が終わるわけじゃない。ありのままを受け入れていけばいいだけだ」「人は自分のありのままを全て受け入れて初めて、幸せになることができる」という一節を読んで、あてはまるかもなと感じた次第です。
丁度アンテナを張っていたところに、すっと収まるような曲があったということだけかもしれませんが、音楽というのはそれでいいと思ってます。
自分の人生の解釈を広げられるような曲に会えたことに感謝です。