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SHINING

先に、普段そう呼ばないし自分で書いてて気持ち悪くなってしまったので笑、敬意を表した上で敬称略とさせていただきます、よしなに。


SHINING
それはアイドルグループThe Pattiの楽曲のひとつであり、明るく疾走感のある曲調が多い中、唯一しっとりとしたバラード調の楽曲。

作詞は元メンバーであり僕の推しでもあったキキリリによるもの。
キキリリは前身のグループRoom205からも作詞に携わり、The Pattiでは他に"REBORN"や"STORY"も彼女の作詞曲である。

そして何よりSHININGは、キキリリの卒業ライブの一番最後の曲であり、個人的な思い入れも一段と深い1曲。

だから、彼女に会えなくなったあの日からつい最近まで全く聴けなかった。
卒業の日はもちろん、それまでのたくさんの事を思い出してしまうので。

キキリリとはそりゃ楽しい思い出も嬉しかったことも沢山沢山、数え切れない程ある。
でもそれと同じくらい思い出したくもないような、自己嫌悪で反吐が出るような思い出もある。
まぁ詳しくは前回のnoteで。

綺麗な思い出だけを上手にすくえるほど僕は器用ではないし、その一つひとつが数珠繋ぎのように、蜘蛛の巣に絡まっているように1箇所を手に取っても見たくないものまで見えて来てしまう。

なら、それすら蓋をしてしまおう。

とは言っても僕はまだThe Pattiのライブには行っているわけで、もしライブでその曲が流れたら受け止めるしかない。
耳を塞ぐ、出ていくという行動はしたくない。

幸いと言ってはなんだが、彼女が卒業してからThe PattiのライブでSHININGを見ることはほとんどなかった。
やらないのかやれないのか、憶測を立てられないことも無いけど、僕がThe Pattiのライブをただ楽しむ為には正直ありがたかった。

キキリリが卒業してから約半年が経つ中でThe PattiがSHININGやったのは昨年12月のワンマンと先日の沖縄遠征の対バンの2回のみ。

そもそも僕がこのnoteを書こうと思ったきっかけはその2回SHININGを聞いた時、全く逆の気持ちになったからだった。


1回目のワンマン。
やっぱりどうしてもそこに居ないはずの彼女がちらついてしまう。声も聴こえる気がしてしまう。寂しさとか後悔とか蓋をしていたものを思い出し、べちょべちょになった顔をメンバーに向けながら見ていた。

カメラも持ってたしそれまで写真も撮ってたが、SHININGの時は撮らなかった。撮れなかったのかもしれない。
彼女がいないという現実を受け入れたくなかった。
だからメンバーのこともちゃんと見れていなかった。
正直、またすぐ聴きたいという気持ちにはなれなかった。

それから季節は変わり4月。

The Pattiは同じ事務所のGREAT MONKEYSと対バンツアーとして全国をまわり、ファイナルの沖縄を残すのみとなっていた。

そんな沖縄に行く直前、ふとSHINING"聴いた。
ツアーファイナルだからやるかもしれない。でも次はちゃんと聴こうと心の準備的なものだった気もする。
いつも落ちサビで目を閉じ空を仰ぎ手を伸ばす彼女の姿が思い浮かんだ。
やっぱり1番大好きな声。
蓋をしていたものを少し覗く事が出来た。

そして4月7日ツアーファイナル翌日の対バンイベントにて再びSHININGを聴く。
確かに色々過ぎるけど、僕はステージにいるメンバーをちゃんと見ようと思った。いや、思わされた。
SHININGは僕以外の人も同じようにキキリリのイメージが強いと思う。
それは当然メンバーもきっと。
だからこそ、自分たちらしいものを見せようとする彼女たちに僕の心とレンズは向けられずにはいられなかった。

少し歌詞の話をさせて欲しい。

SHININGの歌詞は全体的に
歌い手から聞き手を励ますような歌に聞こえる。
でも多分これは、
キキリリからキキリリへ向けた曲と
僕は思っている。

「僕は弱くなんかない」

自分を弱いと言っているのは自分
その自分を否定するためのこの言葉
ずっと言い聞かせてきたのかなって
自分自身に。

「光すらも捕まえ きっと空だって飛べる」

常識的に不可能なことの表現だけど
これは自分が自分に出来ないと思っていること
自分が自分に決めている限界を
打ち消そうとする言葉

頑ななところばかりなのに
君はいつも自分を否定している
あくまで僕の解釈ですが
めちゃくちゃキキリリらしいなと

だからこそ僕は君の全てを肯定しようとしていた
ここら辺は前のnoteにもあるように、ずっと僕が思っていること。

そういうキキリリらしすぎる曲を
4人は自分たちの曲だぞ、と
色々考えて落とし込んで
自分たちらしく表現していた

その姿に溢れてしまった

彼女たちはずっと大事に大切にしている
僕が蓋をして見ようともしなかったものを
分かっていたけど分かってなかった。
だからもっともっと、
「今の4人のSHININGを見たい」
シンプルにそう思った。

メンバーの中でもそれを分かりやすく表してくれるのがルカイチバン。

彼女は元々キキリリが抜けたパートを担当する事が多く、それに対する苦悩や諸々を僕に教えてくれていた。
そんな彼女が少し前からXの固定にしているポスト。

これはSHININGをイメージした一言と思うが
歌詞にこの言い回しは無い
これはオタクの勝手ななんとやらだが、
SHININGのイメージをルカイチバンらしく言い表したのがこの
「貴方の光になれますように」
じゃないかなと。

曲を大事に大事にして悩んで考えて
人一倍責任を感じる彼女らしい一言。

そんな彼女と沖縄でSHININGをやった直後に話した。
SHININGのラスサビは全てキキリリが歌っていたが、それをそのままルカイチバンが引き継いでいる。
その時僕を見ていたのが分かったか?と。
あの時キキリリさんは手をこうしていたけど私はこうする。と。
そういう諸々を含めた自分の気持ちが
"伝わった"かと。

伝わったよ、ひしひしと。
だから僕は"君たちのSHINING"をもっと見たい
そう思った。
蓋をとりちゃんと聴こう、見ようと思わせてくれた今のThe Pattiも大好きやと。

僕がXのアイコンとか固定とかにまだキキリリがいるのは、キキリリがどこいもいない日常になってしまうのが怖いから。
そうしないといつかみんな忘れてしまうんじゃないかと。いないのが当たり前だと。
変えてしまえば自分すら、今のこういう感情すら薄れてしまうのが怖い。

日常からも記憶からもキキリリが遠くなってしまうのが嫌で、今もすがりついている。

それも人から見れば正当化出来なかったり、滑稽に思われるのも分かってる。
その姿で他の子にすきすきいうのもまた同様に。

でも、メンバーがちゃんと大事にキキリリを想って曲を歌ってくれている。彼女が残してくれた曲を歌うことでずっと彼女を忘れさせないでいてくれる。
なら大丈夫かもしれない。そう思わせてくれた。


と、ここまで書いてきて最後に別のまとめを作り4月10日に投稿しようと思っていたがそういう訳にも行かなくなった。

オタクが嫌いな運営からの大切なお知らせが4月10日の20時にいきなり投稿され、先にも話した前身のRoom205からのメンバー、ミスユウとルカイチバンの卒業が発表された。
僕はもう少し先を見ていた。
これからもっと今のThe Pattiを見に行こうと思っていた。

なんとも言えない今は。
でもやっぱりオタクの顔が浮かんでくる。
今までもそうだし、沖縄では特に話したり一緒にいる時間も長かったから。

2人の卒業は5月8日
1ヶ月もないけど。ちゃんと僕なりにThe Pattiと向き合おうと思います。

とりあえずこのnoteで伝えたかったこと。
今のThe Pattiのメンバーがキキリリがいなくなっても彼女がいたことを証明し続けてくれていて、大切にしてくれているということ。
それにちゃんと僕が沖縄で気づけたということ。

今のThe Pattiも本当に楽しくてかっこよくて見ていて熱くなるのでひとりでもたくさんの人に見て欲しい。出来るならユウとルカがいる内に。
SHININGも凄く良い曲なんです。
自分が自分を、大事な誰かを
僕は弱くなんかないと、一緒に行こうと
勇気づけてくれる歌
1度聴いてもらえたら嬉しい。


長くなりましたが読んでくださりありがとうございました。
皆それぞれ推しや曲と色んなストーリーがあると思います。僕とSHININGはこんな感じで、全く違うように思ってる人もまたいて当たり前と思います。
それぞれがそれぞれを大切に出来たら一番幸せかなと。

ではまたどこかのライブハウスで!

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