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清濁併せ呑む覚悟
今日はマニアック、というか感覚的で変な内容かもしれません。
ここ最近の自分の中の「執着心」と「諦め」の移り変わりを観察してました。
面白いと思ったのは、「執着」の段階が過ぎると「欲をいうならしたいけど、最終的にどっちでもいい」という「諦め」の境地に入るということです。
執着心が強い間って、目の前にある、「欲しいな」っていう物事しか、存在を認めてない感覚があります。
それ以外を視界に入れたり、認めたりしてしまうと
「この世の終わり」でも来るかのような恐怖心
そして、最終的に、執着心に動かされるまま他に目を向けないことに神経を使うため。
「行動する」ことが、重くなる。
そのうち、一歩が重く感じ初め、「無気力感」に襲われる。
視野が狭くなることで、思考も広がらず、同じところをループしている感覚に陥る。
そんな感じでした。
そして、そのうち。
その状況が嫌になってきて、腹を括るんです。
もうどんな悪いことが起きてもいいから「えいっ」ってしちゃおう。
訳:思い付くことが、全部ダメになったとしても、今できることをしてみよう。
今までは、思い付くことをし尽くしたら、目の前が真っ暗になる気がして。「行動しない」選択を取っていた状況がありました。
しかし、全部やりきって、もう打つ手がなくなって、目の前が真っ暗になったとしてもまずは、一歩動いてみよう、に切り替えた瞬間。
そうなったときに「あ、もうどっちでもいいや」が訪れ、執着心が離れていくなぁと感じました。
もちろん、諦めてはいないので「執着心」が全部なくなるわけではありません。
どちらかというと、
清々しい「諦めブレンドの執着心」って感じなんです。
前は、欲しいもの以外の物事が恐怖だったけれど。
諦めブレンドが加わると、
どんな未来が来ても私なら大丈夫!上手くいかなかったり、ちょっと辛かったりするかもしれないけれど。死にゃぁせん!
という、腹が括られる感覚です。
腹が括れると、自分らしいところに戻ってこれた感じになり、清々しいんだと思います。
行動できていないときは、アクセルとブレーキ同時踏みくらいもどかしくて。
もどかしいけれど、何もできない。みたいな、ちぐはぐで。自分の本心が行方不明でした。
でも、今は。
大変だし、自分の無力感を痛感するけど、こっちのほうが気持ちいいーーー!
みたいな解放感。
もし、今月うまく行かなかったら、1年後、再チャレンジしよう!!それでいいじゃん!なんとかしてお金、稼ご!!
くらいには、腹を括れています。
なんのこっちゃな話しもありましたが、「執着心」ばかりでグズグズしてた頃より、「諦めブレンドの執着心」は気持ちいいなぁ。
という、お話でした。
うまく言語化できたか分かりませんが。
いいとこどりではなく。
清濁併せ呑むことを決めた瞬間、人間ってなんでもできるんだなって思いました。
毎回時間が足りないくらいで気がつくので、そろそろこの感じをサーフィン感覚でスルンと乗り越えていきたいものです。
今回は、3ヶ月間まったく動けませんでした。
今回発見した諦めブレンドは、自分の力不足をしっかり認められる感覚が凄い好きです。
今年は、間に合わなかったとしても。
この件に関して、自分のことを責め続けるループからは抜け出せた気がします。よかった。
自戒を込めて。
今日は、このへんで。
また、明日👋
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