自分の存在を、周りの価値にくっつけないことの大切さ
私の素晴らしい特技の1つに「きっと私のせいだ」というものがあります。
周りで起こったアンラッキーなこと
誰かが傷ついたこと
自分にとってよくないことが起こったとき
自分の周りにある全てが自分の価値と連動しているんです。
何でもかんでも自分のせい。
全てが自分を責めて、虐めぬく材料。
自分1人で楽しめる、なんとも奥ゆかしい特技です。(皮肉です)
そんな私ですが、今日、ふっと思ったんです。
わざわざ、外にあるものと、自分の価値をくっつけなくて考えなくてもいいのでは。
感覚的な表現で伝わりにくいかもしれませんが。
最近の私の中の課題に「人との境界線を引く」というのがあったんです。
自分のほんとうはこっちをしたいという気持ちをしっかり汲み、相手に悪いからという理由で時間や心の自己犠牲はしないでいこう!
というものでして。
今回の発見で、相手との距離を無理に取ろうとするよりも。
私と、それ以外のモノの価値をしっかり分けていくことで、この課題がクリアできる気がしたんです。
例えば、
今財布に1円しか入ってなかったとして。
それは、私がお金を持ってないダメなやつなのではなく。
お金が財布に「ない」だけのこと。
私がダメなやつだから、財布にお金がないのではなく、使ったからなくなった。だけのこと。
使い方に問題があるなら、どうしたら、そうならないか考えればいいだけ。
私がダメなやつだからって、お金が財布から足を生やして逃げることなんてないんです。
お金が、「こいつダメなやつだから、あっちの財布いこーっと!」なんてことは
異世界転生でもして、お金に足が生える世界にいない限り、早々あるものではないです。
伝えようと、例えを使ってみましたが。
今のこの感覚を伝えるには、いささか苦しい気がします。
つまり、周りの出来事を「自分のせいにするプロ」なんですよ。
全集中!責めの呼吸 壱の型
「全部自分のせい!!!」
こんな感じだと思ってもらえれば、問題ないかと。
悲しいけれど、これ以上の表現力が今の私にはないので。
このくらいで勘弁してもらえると有り難いのですが。
そんな都合よく、全部私のせいなわけないやろ。
を心に刻んでいきたいというお話なのでした。
しっかりと、価値を分け、ロジカルに物事を考えれば。
自ずと自分と人との境界線も見え、もっとフラットに世界を捉えて楽しめると感じています。
この表現しがたい感覚を表現しきれないところがほんとうに心苦しい。
同じ呼吸をしている同志がいたら、「それ、君のせいやない、大丈夫や!」と言い合いたい。
そんな心境でございます。
今のところ、そんな同志もいないので。
まずは、自分の無意識を引っ張りあげ、見つめて、「それ、君のせいじゃないからセルフ運動」をしていきます。
リアルな仮説として
自分の用事で、相手の期待に応えられなかったからといって、それはお互いの都合があっただけの話で。
それで、相手が傷つくようならそれは相手の課題。
もしそれで悲しんでいるとしたら、私にできることは、謝ることだけ。
といった形になるのかな?と思っています。
今日は、こんな感じです。
では、また明日👋
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