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【炎上美容外科物語】正義の医療か、それとも欺瞞の美か

第一章:「静かな炎上」

朋美は40代にして美容外科医としてのキャリアの頂点にいた。高校生の頃から成績は常にトップ、大学でもスムーズに医学部を通過し、卒業後はすぐに美容外科の分野に進んだ。人の顔や身体を美しく変える手術は、彼女にとってまるで彫刻のようなものだった。それは技術とセンスの結晶であり、努力の結果だった。

クリニックは常に予約でいっぱいで、患者は数ヶ月待ちが当たり前だった。雑誌にも取り上げられ、業界のトークショーでは常連スピーカー。SNSでは美しく整った施術例を投稿し、フォロワー数も数十万人を超えていた。朋美自身も整った美貌とエレガントな物腰で、まさに「成功した女性医師」の象徴だった。

しかし、その成功はある日、突然崩れ始めた。炎上のきっかけは彼女が投稿したある一枚の写真だった。それは、ある患者のビフォーアフターを示したもので、朋美としては自信作の一つだった。だが、その投稿が公開されるや否や、コメント欄には批判的な意見が殺到した。

「これは患者の人権侵害ではないのか?」「美しさを商品化する医療の倫理は?」「本当に医師として正しいことをしているのか?」

朋美は最初、そうしたコメントを軽視していた。ネット上の批判は一過性のものであり、特に目立つ人間には常にそうしたリスクがつきものだと理解していたからだ。しかし、その炎は消えるどころかさらに大きく燃え広がり、業界内でも話題になり、メディアで取り上げられるまでになった。

クリニックのスタッフは影響を受けた患者のキャンセル対応に追われた。朋美自身も診察室に向かう道中、通り過ぎる視線に針のような冷たさを感じるようになった。夜遅く、自宅に戻り、ソファに沈み込んでスマホを眺めると、次々と更新される批判や炎上記事が目に飛び込んできた。

「どうしてこんなことになったのだろう?」

朋美はふと、天井を見上げた。かつて、この仕事を選んだときの純粋な情熱を思い出そうとした。だが、その記憶はどこか薄れ、霞んでいた。今の自分は何を目指していたのか、何を求めていたのか。それすら分からなくなっていた。

「私は本当にこれを続けていけるのだろうか?」

炎上という出来事は、朋美に初めて自分の職業倫理について深く考えさせるきっかけを与えた。彼女はそれまで一度も疑問を抱いたことのない、自分の「成功」とは何なのかという問いを心に抱えながら、深い眠りに落ちていった。


第二章:「割れた鏡」

炎上の翌週、朋美は診療室の大きな鏡の前で立ち止まった。診察台に座る患者が見やすいよう配置されたその鏡に映る自分の姿は、いつものように白衣をきっちりとまとい、メイクも完璧だった。だが、その完璧さがかえって虚ろに感じられた。

クリニックの中は相変わらず慌ただしい。患者は減少したが、完全に途絶えたわけではない。しかし、スタッフたちのぎこちない態度や、妙に慎重になった言葉遣いが、朋美の内側に静かな痛みを突き刺してきた。患者が帰った後、手術器具を片付ける若い看護師が小声で誰かと話しているのが聞こえた。

「先生、最近元気ないですよね……」

その言葉に耳を傾けることなく、朋美は足早に診察室を後にした。自分の気配を消すようにして、無機質な廊下を歩いた。ここにいる全員が、自分について何かを思っているのだろうという被害妄想にも似た感覚に囚われた。

その夜、いつもより遅くまでクリニックに残り、事務所のパソコンで過去の資料を整理していた。気づけば、学生時代の写真を写した一枚のデータが表示されていた。それは、朋美が高校生の時、医療ボランティアに参加したときのものだった。真っ白なTシャツを着て、小児科病棟の子どもたちと笑顔で写っている写真。その頃の自分は、ただ人の役に立ちたいという純粋な気持ちで医師を目指していた。

「美しさを追求するのも、人を幸せにするためだったのに……」

朋美はそっと画面に触れた。その手が震えていることに気づいたが、理由は分からなかった。今の自分に足りないものは何か。それを探すためには、もっと違う医療の現場を見なければならないという思いが心をよぎった。

翌日、朋美は診療の合間を縫ってネットで情報を集め始めた。形成外科や緩和ケア、地方医療の求人情報が目に入るが、どれもピンとこなかった。焦る気持ちとは裏腹に、心の中にぽっかりと空いた穴は埋まらない。

そんな中、ある日曜の午後、朋美は何気なく入った喫茶店で一人の男性と出会うことになる。年配のその男は、医師のようには見えなかったが、朋美の胸元に付けられたネームタグに気づくと、話しかけてきた。

「美容外科の先生ですか?」

朋美は一瞬警戒したが、男の穏やかな口調に気を許した。名を伊坂と名乗るその男性は、かつて地方の病院で総合診療医として働いていたという。今は定年退職し、第二の人生として転職エージェントとして医療に携わる若者を支援しているらしい。

「私は、患者の外見を変えることで彼らの人生を良くしたいと思っていたんです。でも、最近その目的が薄れている気がして……」

朋美は思わず、自分の抱えている思いを吐露した。伊坂はしばらく沈黙していたが、やがて静かに言った。

「外見も内面も、どちらも人間にとって大切なものです。ただ、それをどういう形で支えるのかは、医師それぞれの選択です。答えを急ぐ必要はありませんよ。」

その言葉は、朋美の心に小さな火を灯した。彼女は再び自分の道を考えるための第一歩を踏み出そうとしていた。


第三章:「エアポケット」

喫茶店で出会った伊坂との会話は、朋美の中で静かにくすぶり続けていた。「答えを急ぐ必要はありません」という言葉は慰めにも聞こえたが、一方で、自分が宙ぶらりんの状態にいることを再認識させるものでもあった。

ある日、朋美は診療後に遅くまで残り、机の上に山積みになった資料をぼんやりと眺めていた。手術件数や収支報告書、次の月の施術スケジュール……どれも以前なら彼女を満たしていたものだったはずだ。それが今ではただの数字と文字の羅列にしか見えない。

「何か違う。」

その一言が頭をよぎると、朋美は衝動的に資料を閉じ、手に持っていたペンを乱暴に机に置いた。その音が部屋の静けさを破り、やけに大きく響いた。

翌日、彼女は思い切ってスタッフに数日の休暇を申し出た。「研修のため」と伝えたが、本当の目的は自分が置かれている状況を整理し、他の医療の現場を見ることだった。伊坂から聞いた地方医療の話が頭に残っていたことも影響していた。

朋美が訪れたのは、地方の山間部にある小さな総合病院だった。医師や看護師が常に不足しているというこの病院は、専門性よりも幅広い診療が求められる場所だった。院長に頼み込み、数日間だけ見学をさせてもらうことになった。

病院に着くと、想像以上に質素な建物と、手狭な診療スペースが目に入った。朋美が最初に案内された小児科の診察室では、院長が子どもの診察を行っていた。古い聴診器を使いながら、子どもに優しい声をかける院長の姿には、不思議な温かさがあった。

「これが、本当の医療の現場。。。。」

朋美は自分が慣れ親しんだ光景とはあまりに異なるその場に、圧倒されるような感覚を覚えた。

その日の午後、朋美は緊急外来の現場を見学した。一人の高齢女性が転倒して救急搬送されてきた。患者を診察し、骨折の疑いがあることを即座に判断したのは、まだ20代の若い医師だった。彼は朋美に向かって少し照れたように笑い、「ここでは専門分野なんて関係ないんです。なんでもやらなきゃならないんで」と言った。

彼の言葉は、朋美にとって衝撃だった。彼女のキャリアは専門性を高めることに集中してきた。だが、この病院では医師たちは一人で複数の役割をこなし、限られたリソースで必死に患者を支えていた。

その日の夜、宿泊先の簡素な旅館の一室で、朋美は小さなデスクに向かい、メモ帳を広げていた。ペンを握りながら、頭に浮かんだことを書き留めた。

「医療の本質は何か?」 「私は何を目指していたのか?」 「美しさとはどういう意味を持つのか?」

問いは次々と湧き上がるが、どれも答えには至らなかった。それでも朋美は、この数日間で感じた新鮮な空気と温もりに何かを見つけた気がしていた。それは確かに微かな光だったが、確実に彼女を次のステップへと導いていく何かだった。

帰りの電車の中、窓の外を流れる山々を眺めながら、朋美はふと心の中で呟いた。

「私は、違う川を渡る時が来ているのかもしれない。」

その瞬間、彼女の中に初めて「転職」という言葉が現実味を帯びて浮かび上がった。


第四章:「川の向こう」

朋美は再び地方の病院を訪れた。伊坂のアドバイスを受け、彼女は「美容外科」という枠を離れ、異なる医療現場での体験を深めるべきだと感じたからだ。前回の短い見学だけでは分からない、より多くの人々の思いや現実を知りたいという衝動が、彼女を突き動かしていた。

今回は長野県の山奥にある医療過疎地域の診療所を選んだ。診療所の医師はたった一人で、看護師も二人だけ。大雪の中、朋美が診療所に到着すると、中にいた医師は白髪交じりの中年男性だった。彼は朋美を迎え入れると、忙しい合間に簡単な自己紹介を済ませ、診察に戻っていった。

診療所では、体調不良を訴える高齢者、転んで骨折した女性、さらには幼い子どもまで、次々と患者が訪れた。医師が診察を終えるたびに、看護師が忙しく動き回り、診療所は昼も夜も常にざわめいていた。

朋美はしばらくの間、彼らを手伝いながら現場を見守っていた。診察の合間に医師と話す機会を得た彼女は、なぜ彼がこの地で働いているのか尋ねた。

「都会の大病院での仕事もいいけれど、ここには直接人の役に立っているという実感があるんだ。派手さはないけれど、この地で医者を待ち望んでいる人がいる。それだけで十分。」

彼の言葉には、特別な装飾も説教じみた響きもなかった。ただ、心の底からの真実がにじみ出ているように感じた。

その日の午後、朋美は一人の患者と深く話す機会を得た。70代の女性で、長年腰痛に苦しんでいたが、診療所があることで何とか日常を乗り越えられているという。

「先生がここに来てくれるだけで安心なのよ。私たちは、病院に行くのも一苦労だからね。」

その言葉に、朋美は心が揺さぶられる思いだった。彼女が美容外科医としてのキャリアを追い求めていた頃には、直接患者から感謝の言葉を聞く機会が少なかった。もちろん、成功した施術には喜びもあったが、それはどこか表面的なものに感じられていた。

夜、診療所を後にして雪道を歩きながら、朋美は自分の中で次第に明確になりつつある感情を噛みしめていた。

「ここにいた医師や看護師たちのように、もっと人に寄り添う医療をやりたい。」

朋美の中で新しい地図が描かれ始めた。その地図はまだ輪郭がぼんやりとしていたが、そこにはこれまでの自分が歩んできた道とは異なる風景が広がっていた。

翌朝、都会へ戻る電車の中で、朋美はスマホを取り出し、美容外科クリニックの退職についてメールの下書きを作り始めた。それはまだ完成には至らなかったが、彼女の中で「辞める」という決意が固まりつつあることを感じた。

彼女はそのメールを見つめながら心の中で呟いた。

「次の川を渡る準備はできている。」


第五章:「新しい地図」

朋美がクリニックの退職を正式に決めたのは、地方の診療所での体験から帰ってきた数週間後だった。これまで築き上げたキャリアを手放すことは、自分でも想像以上に大きな決断だった。しかし、彼女は美容外科医としての生活が、自分を本当に満たすものではなくなっていることをはっきりと理解していた。

退職の意向をスタッフに伝えたとき、最初に反応したのは事務長だった。

「先生、本気ですか? このクリニックは先生がいなければ成り立たないんですよ。」

その言葉は朋美の胸を締めつけた。彼女にとってこのクリニックは家族のようなものだった。共に働くスタッフたちも、患者も、彼女の人生の一部だった。しかし、彼女の決意は揺るがなかった。

「私自身が成り立たなくなってしまうんです。このままでは、いい医療ができない気がして。」

そう語る朋美の声は、揺らぎのない強さを帯びていた。

SNS上で退職を発表した途端、再び炎上が巻き起こった。「無責任」「患者を裏切るのか」という批判が飛び交い、一部では彼女の選択を理解する声もあったが、それは少数派だった。朋美は批判の嵐を目にしながらも、それに飲み込まれることはなかった。

「批判は私が選んだ道の証拠だ。」

そう自分に言い聞かせることで、彼女は前に進む力を得た。

朋美は退職後、地方の医療現場に再び足を運んだ。今回は、過疎地域の診療所だけでなく、災害医療や緩和ケアの現場にも足を伸ばした。どの現場も、医療資源の不足や過酷な労働環境に直面していたが、その中で働く医師たちは不思議な充実感を漂わせていた。

ある日、緩和ケア病棟で出会った60代の女性患者が朋美にこう語った。

「先生、ありがとうね。話を聞いてくれるだけで、救われる気がするの。」

朋美はその言葉に胸を打たれた。自分の手で形を変える医療もあれば、ただ寄り添うだけの医療もある。それぞれが同じ価値を持つことに気づき始めていた。

彼女の生活は一変した。豪華なオフィスや有名人の来院はなくなり、日々の仕事は地味で疲れるものだった。しかし、朋美は以前よりも穏やかな心で夜を迎えることができた。

退職から半年後、朋美は伊坂に手紙を書いた。


伊坂さんへ

突然のご連絡、失礼します。朋美です。

私は美容外科を辞めてから、地方医療や緩和ケアの現場で新しい道を歩み始めました。初めは不安だらけでしたが、今はこの選択が間違っていなかったと確信しています。

先生に喫茶店で出会い、「答えを急ぐ必要はない」と言われたあの日から、私の人生は静かに変わり始めました。感謝してもしきれません。

これからも、自分なりのペースで歩んでいこうと思います。

どうぞお体にお気をつけて。


手紙を出した後、朋美は夜空を見上げた。星がゆっくりと瞬く中、彼女は心の中で新しい地図を描き続けていた。その地図にはまだ未知の部分が多かったが、彼女はその道を歩むことに確かな喜びを感じていた。

物語はここで静かに幕を下ろす。だが、朋美の人生はこれからも続いていくのだ。


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