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「濠端の住まい」 志賀直哉  感想文

現代の家は外の気配も感じられないくらい気密性が高いようだ。今や蚊や蝿が入ろうものなら大騒ぎである。

「濠端の住まい」は、旧い日本家屋の特長である家の内と外との関係が曖昧で、家の中にいながら自然の中で暮らしているような開放的な住まいなのだ。
建具があってないような、外の生き物の出入りに寛容であり、時には蛙までが座敷に鎮座するなどと、そんな生き生きした昔の家の長閑(のどか)さがとてもゆったりしていて、我が身に振りかからなければ微笑ましいのだが、家守、蛾や甲虫、殿様蛙が座敷にいたら私は卒倒するにちがいない。

「人と人と人との交渉で疲れ切った都会」(p.216)、三度も「人」と書くほどに嫌気が差していたのだと思うと、ここの生活は、
「虫と鳥と魚と水と草と空と、それから最後に人間との交渉のある暮らしだった」(p.216) とある。
人間が一番最後に来るという、その環境は、さぞ快適であっただろうと、山陰松江の水を臨む濠端の景色を想像してみた。
簡素な暮らしを心がけ、バターは上等なものなどと、とても志賀先生らしい矛盾である。

お隣りの若い大工夫婦との関係も、彼らの副業である養鶏で飼われている熊坂長範という雄鶏、雌鶏、雛鳥などとの関係も、境界線の曖昧なその庭から始まる。開けっぴろげな解放感から湧き出る主(あるじ)の観察が面白かった。

手ずから育てて、ましてや雛を庇(かば)って猫に殺された母鶏への大工夫婦の悔しさは、若さ故か猫に向けての仇討ちのように勇ましかった。

一方、志賀先生らしき「私」は、「雛鶏を庇って」の一言に、一瞬猫を仇(かたき)のように思うのだか、時が経つにつれて変化して行く心の様子が、何とも志賀先生らしく正直で、頑固さの奥に素直で実直なところがあり、ある部分脆(もろ)いところもいつも通りで、惹かれるところであった。

当事者である大工夫婦、可哀想な母鶏へ悲しい感情は一瞬の出来事であって、既に母鶏は、夫婦のその日の菜、「おかず」になってしまうのだから。
猫が残酷なのか、人間が残酷なのか、「雛を庇って」というその母鶏への思いは、現実には勝てないのだなと、大工夫婦の猫への恨みと母鶏への思いとの割り切りの早さが、その時の夫婦の生活自体なのだと思われた。

放り出された母鶏の首を啄(ついば)
む雛にも、自分の子以外世話をしない他の母鶏にも、自然の残酷さを見せつけらる思いで読んだ。
猫はおとしにかかり、やがて濠に沈められる。
志賀先生らしき「私」も、「雛を庇って」という言葉に猫を逃した事を「残念なことをしましたね」と、そこまでは猫を捕まえる側に立っていたのだった。

やがてそこに今いる息をしているものが死んでしまう淋しさを感じ、鶏小屋の蓋を閉め忘れた者の落ち度であると見る方が本統なのだ、という気持ちになるのだが、猫を沈めるのをやめさせるという行動には至らなかった。

引用はじめ

「私は何事も出来なかった。指ひとつ加えられないことのような気がするのだ。こういう場合どうすればいいかを知らない。ー中略ー 私の猫に対する気持ちが実際、事に働きかけていくべくは、其処に些(さ)の余地もないように思われた。私は黙ってそれを観ているより仕方がない」p.224.225

引用終わり

鶏達の領域、猫の領域、人間(他人の)領域、侵してはならない領域があるのだと思う。
毎日見ていて気付いても口に出せないことが沢山あり、迷い自分を責めることは事実ある。

「不可抗な運命」p.225
人の力ではどうにもならないことがあるのかもしれないということを作者は語っていたのだ。

浅はかな私は猫を助けてしまったかもしれない。


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