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ニールと結晶の乙女たち

金属の大顎が砂漠の熱風で回り続ける風車の根元に食らいつく。突如、空中から飛来した油圧シャベルの解体用大顎バサミにはアームしかくっついていない。しかし大顎は生きたワニのように鋼の牙を風車の支柱に突き立て、軽々とへし折った。
ニールはアームと一緒に屋上から落ちていく風車を瞼の無いギョロ目でみつめた。

(お前らなんか匿うんやなかった! )

口をついて出そうになった言葉にニールは分厚い唇を歪ませる。予期せぬ客を受け入れたのは自分だ。言葉を必死に飲みこみ、ざぶんと音をたてて水の中に潜った。肺呼吸がエラ呼吸に滑らかに切り替わり、肺から押し出された空気が水の中をのぼっていく。水を含んだツナギの開いた胸もとで白と朱と黒の斑模様の鱗が鈍く光る。

冷たい地下水で満たされたFRP製の箱型タンクはニールの足がつかないほど深い。風車とポンプがこのタンクに冷たい地下水を運び続けていた。
水はタンクの中をめぐると排水管を通って地上に振りまかれる。酸化鉄交じりの赤い砂の砂漠の中にあっても、この廃校舎はだけはささやかな緑に囲まれていた。
ニールはたった一人で、十年もかけてこの楽園を作り上げた。ニールは乾燥に弱いサカナビトだ。白と朱色と黒のブチ模様の鱗がはがれないように、ボトルに入れた水をかぶりながら毎日毎日こつこつと作り上げたというのに。
ニールはしばらく冷たい水底に沈んでいた。もしかしたら水の中にいればこの災難が通り過ぎるかもしれない、という淡い期待に縋ったのかもしれない。
しかし何かが激しくタンクを側面から叩く振動にニールは驚き、タンクの底を蹴り一気に浮上した。水底からは光の門のようにみえる水面から顔を出すと灼熱の太陽で目が焼けそうだ。金魚藻のようにごわついた緑の髪の毛を振って、ニールはあたりに水滴をとばした。

全身真っ黒のゴリラのようなシルエットの巨漢がうっすら結露したタンクの側面を分厚いグローブで包まれた手のひらで叩いている。 標識のパイプを無理やり曲げて作った馬鹿でかい弓とドラム缶で作ったひしゃげた矢筒を背負った姿はおとぎ話の巨人のようだ。首に刻まれた認識番号は3596。その下に白いインクで『轟雷』と機種名が書き込まれている。戦時中に国を問わずあちこちにばらまかれた無人戦闘兵器の名前だ。

「ニール!そこはダメ、だ!はやくこい!」

安っぽい合成音声にはざらついたノイズが混ざっている。タンクを叩き続ける腕の反対側に抱かれた麻布の塊から、うっすら日焼けした女の腕が伸び、ゴウライの分厚いボディ包む合皮のジャケットの襟を引っ張った。ゴウライは黒いヘルメットのバイザーを上げる、そこ口も鼻もなく、暗闇の中に黄色の単眼が浮かんでいるだけだ。

「ゴウライ、クズリュウは生きている。仕留め損ねたようだ」

女の声はかすれている。黄色い単眼が闇の中で縦方向にひしゃげて一回転する。ゴウライは壁面がへこむほど強くタンクを殴りつけた。

「おい無茶せんで!僕がここを作るのにどれだけ手ぇかけたか……」
「ニール!飛び降りろ!」

かすれた叫びにニールはとっさにタンクのふちを蹴って飛んだ。着地に失敗し尻をうつ。鈍い痛みに立ち上がれないでいると、ニールがいたあたりに金属の大あごが突き刺さった。

「ひい……」

根元からちぎれたオレンジ色の油圧ショベルのアームが生き物のように顎を開閉させタンクを切り裂く。亀裂から水が幾筋もあふれる。

「うわわわわわがわぼばあ!」

超質量の水があっという間にタンクを内側から壊し、ニールを押し流した。悲鳴は半ばから水流に沈んだ。ゴウライはとっさに屋上のフェンスを掴んで水圧に耐える。しっかりと抱かれた麻布から伸びた腕が流されるニールのひれ付きの手のひらを掴む。ニールは必死に足をばたつかせ、水流にあらがった。 フェンスの隙間から大量の水が流れ落ちる。

「もういやや」
濡れたコンクリートにへたり込むと水を含んだ空色のつなぎから湿った音がたった。タンクはほとんど両断され、底にたまった水の中では使役者とのリンクが途切れた油圧ショベルのアームがびくびくと死にかけた魚のように痙攣している。ニールが廃校舎の図書館で選びの抜いた本は本棚ごと流されてきっと地上でバラバラになっている。毎日、水を与えて育てたヒマワリも朝顔もマリーゴールドもダメになった。ニールの魚眼は涙を流せない。

「ニール、スピネルの、側にいろ」

ゴウライが布に包まれた女をそっと地面に下ろした。スピネルと呼ばれた布の塊はうなずき、防砂ブーツの堅牢な作りに似合わない細い足を地面につけた。ごわついた麻の一枚布の側面を縫い合わせた粗末なマントをかぶった女は杖に体を預けている。杖の横から伸びたグリップと左ひじ下あたりを支えるU時のパーツが特徴的なロフストランド杖はあちこちに傷があり、彼女の過酷な旅を映す。

不自由な右足を引きずるようにしてスピネルはへたり込んだニールの側に歩み寄った。

「すまない。わたしの側にいれば危険はおよばないはずだ」

フードの隙間からのぞき見えるスピネルの瞳はその名の通り赤い宝石のようだ。フードとマントに隠れて髪色や体形はほとんどわからないが、歳のわりに手足はやせて肌に生気が乏しい。ニールは立ち上がることもできずにスピネルを見つめた。スピネルの長身がニールの顔に影を落とす。

「ゴウライ!頼む!」
「まかせ、ろ」

スピネルの言葉にゴウライの単眼が光を放った。分厚い手のひらがフェンスの網とフレームをまるで紙のように引きちぎる。単眼がせわしなく拡大と収縮を繰りかえし、空に何かを探している。

「なんやあれ…」

赤茶色の砂漠と対照的な真っ青な空。そこに汚い墨色の文様が浮かぶ。それはニールの肉眼でも確認できるほどの大きさになっていく。

「鉄山会の転送、紋…!」

水に落ちたインクのように渦を書いて広がる文様。いくつかの円の中央からオレンジ色の、黄色の、青緑色の油圧ショベルのアームが、おもちゃの蛇のようにうごめきながら現れた。そのそれぞれの鋼鉄のバケットや大あごを振り上げている。 すべてアームだけでその油圧回路はどこにもつながっていない。しかし自在に動き回っている。

「クズリュウのやつも後がないようだな……」

スピネルが苦々しくつぶやく。 ゴウライはうなずき、背中の弓をかまえ矢をつがえた。交通標識のパイプを切断して曲げ、太い金属線の弦を張った原始的な弓。矢もコンクリートに埋まった鉄骨を引き出したもので間に合わせている。ゴウライの人ならざる力で無理やり弦を引き、強い反発力で無理やり軌道を安定させる武器だ。矢の先端には矢じり代わりにダクトテープが巻かれている。ニールは首を振った。そんなものが大した威力になるとは思えなかった。

(この糞アマどもぉ!!てめえは生きたままバラバラにしてボスに引き渡す!!鉄くず野郎はぶち殺して砂漠にまく!!)

転送紋の中央から男が中空に落ちてきた。ゴウライは単眼を収縮させる。距離は約一キロメータ。ゴウライの目には男のボロボロのブラックスーツと焼け爛れた半身が見える。追跡者クズリュウは届きもしない声で何かをわめき散らしていた。クズリュウの火傷まみれの手のひらが、周囲に浮くアームに触れる。クズリュウは体内の臓器、通称魔袋で練った超自然的な力をアームに流し込んだ。金属の顎たちが痙攣して吠える。
ゴウライは矢をつがえ、クズリュウの頭を狙って放つ。それが届かないうちに心臓を狙った二本目を放つ。
クズリュウは充血した目を見開いた。周囲を回遊していたアームが二本ずつクロスし、矢を打ち落とす。着弾の瞬間、すさまじい閃光と爆音が響き、アームが粉々になって熱砂に降り注いだ。
ニールは連続した轟音におびえて耳をふさぐ。スピネルは崩れるようにニールの側に座り込むと。羽飾りが巻かれた左の手のひらでニールの肩を抱いた。

転送紋から次々と現れるアームとゴウライが放つ矢がいくつも衝突しては光と熱が炸裂する。クズリュウは口と鼻から血を流しながら鉄山式召喚呪を唱え続ける。心臓の真下の臓器が激しく痛む。おそらく勝利をおさめたとしても二度と元の体には戻れないだろう。しかしクズリュウに逃げ帰るべき場所などない。敗走は許されていなかった。

ゴウライの目は黒煙の向こうを見通そうと激しく動く。クズリュウはまだ生きている。正確な狙いも矢じりの爆散も決定打に欠けていた。
一瞬、単眼から光が失せた。ゴウライは矢筒から取り出した矢をつがえず、矢じりの反対側を向けてスピネルに差し出した。

「スピネ、ル」
「わかった。問題ない」

スピネルは矢を受け取ると、肩から麻布のマントを落とした。ニールは小さな悲鳴を上げた。
 
露出したスピネルの右肩から胸元、そして右腕にはトゲのように淡いオレンジ色の水晶様の物質が生えていた。フードに隠れていた柔らかい灰色の髪の隙間からも角のように何本も。ニールは尻を地面についたまま後ずさる。スピネルはあきらめたように笑った。

「怯えないでほしい。これは遺伝病だ。うつる心配はない。触れても問題はない」

スピネルは左手で結晶まみれのろくに動かない右手をさする。

「わたしたちの一族は臓器が作る魔力の量が多い。だが極端に巡りが悪い。だから成長するにつれ、こうやって皮膚を突き破って出てきてしまう」

ニールにゆっくりと語りかけながらスピネルは地面に落とした麻布の裏からペンチを外して手に取り、鎖骨の下に生えた親指ほどの結晶を挟んだ。

「うぅ!」
「お、おいなにしとんや!」

ニールは慌ててスピネルの細い手首をつかむ、額から油汗を流したスピネルは強く首を振った。

「魔力の結晶は……旧世代の燃料や火薬のかわりになる。これが砕けるときに周りを巻き込んで激しく燃える。わたしたちに魔法は使えない。だがこれは使いようによっては金にも武器にもなる」
「え……」
「わたしの体から……生え続ける結晶をあいつらは狙っている。ふふ、こんな体だ。あいつらもわたしを生かして捕らえるのは困難だろうな。さあ放してくれ。クズリュウの息の根を止めなくてならない」
「だめや!そんなんしたら痛いやろが」
「ニール!てつだえ」

たえず矢を放ちながらゴウライがジャケットの懐から取り出したダクトテープをニールに投げる。とっさにそれを受け取ったしまった隙にスピネルはペンチを拾い上げた。

「わたしは故郷に姉を残してきてしまった。ルビセル……もうすでに歩くこともかなわぬ我が姉。姉とこの身を救うためにわたしは成し遂げないといけない……」

スピネルは太い結晶をペンチで挟むと一息に抜き取った。ぽっかりと鎖骨の下に穴が開き、赤い血と微かに輝くオレンジ色の体液があふれる。スピネルは歯を食いしばり、ニールが情けない悲鳴を上げ、傷口をおさえつけた。真っ白なうろこにおおわれた手のひらに暖色の水玉模様ができる。

「大丈夫だ……すぐに塞がる」
「ひい、ほんとや」

恐る恐るニールが手をどけると傷口には薄オレンジの氷のような膜が張っている。スピネルは同じぐらいの大きさの結晶を再びペンチで挟んだ。

「もういいやろ!」
「だめだ!足りない。せめてもう一つ」

はあはあと肩で息をしながら震える手でスピネルは結晶を引き抜こうとするがうまくいかなかった。血濡れのペンチがひび割れたコンクリートの床に落ちる。スピネルは歯噛みしうめいた。

「ルビセル……わたしに力を貸してくれ……」

こわばりつつある半身を引きずりスピネルはペンチを拾おうとする。ニールは自分の頬を殴って、ペンチを奪った。

「ニール!」
「僕がやる!」

スピネルをフェンスに寄りかからせるとニールはぷるぷると震えながらスピネルが指さす結晶をペンチで挟む。スピネルは一息にやってくれとつぶやいた。

「目えつぶっといてや……」
「わかった。頼むぞ」

ニールはもう一度、自分の頬を殴るとペンチに力を入れた。硬いものが柔らかいものを引きはがしなら抜けていく嫌な感覚がペンチを掴む手にまで伝わる。ニールは瞳を歪ませた。

「ありがとう。すこしだけ…眠る」

スピネルは新しい傷口に触れると、指に絡んだ鮮やかなオレンジと赤を確認するように目を細め、そのまま瞼を下ろした。

「ニール!よくやった!早くそれを矢の先端に、テープで巻け。そしてよこ、せ」

ゴウライが単眼を輝かせる。ニールは血で汚れた結晶を拾い上げた。

続く


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