師の言葉 /バチの自伝第二回
「自分に負い目の無い、お天道様に胸を張れる仕事をしよう、職人が重んじる些細な仕事」
を、...
対局にあるのは
「職人じゃないんだから、そんな面倒臭いことはしない」
という、二本のレール
私はあっち側にも行けるが、あっち側は決してこっち側には来れない。
経営者とはいつも孤独なのだと、いろんなことを師から教わった。職人とは師がなければ職人になれないということであるのなら、自分は人の師にはなれないのかもしれない。
昔、自分が師からいろんな技術を学んだ時に、しゃぶしゃぶ用の人参の皮を菜刃包丁で剥いて、その皮をゴミ箱に捨てていたら親方から、
「それじゃお前は一生職人にはなれない」
と、言われた。
だから自分は、次の日から人参の皮を剥く前に再度丁寧に洗い、向いた皮を、中華料理の基本的な切り方の、片(ピェン)、條(ティアオ)、絲(スー)、鬆(ソン)、丁(ディエン)、馬耳(マーアル)の練習に使った後に、それをキンピラにして昼のまかないで兄弟子達に出した。
「自分は師の期待には応えられたのであろうか?伝統日本料理の店で修業しているのに、中華料理の基本などを練習して、逆に失望させたのではないか?…」
そう考えると寝れない夜は多々あったが、その不安は自分が師の立場になった時は確固たる自信に変わった。
「日々之精進」
それを教え導いてくれた師
それを手探りで獲て職人となった自分
そんな自分は何かをガミガミ言って教えることはできても、人を導くことはまだ出来ないのかもしれない、だから、今の自分はまだ師にはなれないのかもしれない。
職人(プロ)とは、包丁だ、なんだという技術ではない、自分の中では、「自分の意思」で綺麗に掃除したトイレに野花の花一輪飾ることができれば、それでその人間は職人だと、仕事のプロであると思っている。
例えばこれ、炒め物用人参の雷片切り、昔はこの凹凸の隙間が完全に埋まらなければやり直しだった。
師匠に怒鳴られるのはいいが、呆れられ、何も言われないことが最大の苦痛だった、だからその苦痛から逃れるために必死に学んだ、ゆっくり、そして確実に…
そして今、50歳を越え歳をとったから、目が弱くなったから、集中力が衰えたから、久々に切ってみたらこんな感じ、言い訳をすればキリが無い、
自分が技術や何かを覚える時は必ず「急がない」ということに徹して来た、急いで中途半端に技術を得るということは、その技術を教えた師に対する最大の侮辱であり背信行為になるのだと昔師から教わった。
ただ、こうも教わった、
「テメェの店くらい持った時には、自分で自分を戒めれるくらいの失敗や手抜きをしてもいいんだ、誰も気がついてくれねぇし、叱っちゃくれないんだからよ。」
それを思い出しながらこう思うわけです、
だからこの人参の雷片切りは失敗したわけでも、手を抜いたわけではない、
全力でこのザマなんですよ師匠・・・(笑泣)
昔はあなたを
「いちいちやかましいんじゃハゲ!」
「でけへんもんはでけへんのじゃボケ!」
「んなことわかっるっちゅーねん!スナックじゃ鼻伸ばしてるデレデレオヤジやんけ!」
と何度も何度も何度も何度も心の中で悪態ついていたけど、敬意だけは持っていた、一線は越えなかった、世界で一番尊敬していた。
三井不動産販売を経て都内の一等地に6店舗も店を持ち、彩グループの経営者になった時、成金臭プンプンであなたに胸を張って会いに行った時に、あなたはすでに他界して青山墓地に眠っていたことが今では救いです。
あの時の傲慢さと根拠の無い自信に満ちた自分を見たらあなたは失望したであろうから…
あなたのおかげで今だにズルができなくて苦労しています。
でも、ズルをしなくても、失敗もしますが、それが仕事であり、それも仕事だと思っています。