新卒のワトソン3 株式会社プラリアその②
⑵
「次は……」
運転手のアナウンスで我に帰る。どうやら最寄りのバス停に着きそうだ。麻倉さんはと言えば私の肩を枕代わりにぐっすり眠っていた。面接前、間に合うか間に合わないかの瀬戸際で熟睡できるその神経が純粋に羨ましい。
「麻倉さん、起きて。バス停に着いたみたいだよ」
時刻は十時四十五分。弱くなりつつも相変わらず雨は降り続いていた。傘を持っていない私達にとっては憂鬱すぎる状況だ。
ここからは徒歩で行かなければならない。迷うことのないよう地図をちゃんと読み込んでおく。どうやら少し距離はありそうだが、バス停から会場までの道順は単純だった。頭に叩き込んで降りる準備をする。
が、鞄に用紙類をしまおうとして肩の重荷が邪魔になった。麻倉さんの頭部である。まだ寝てるのか!
「麻倉さん! 到着したから! 早く起きて! おーい!」
左肩だけを尋常じゃないスピードで上下させると、頭を揺らされた麻倉さんは頭を持ち上げた。
「ふああ?」
出た。電車の中でも聞いた気がする台詞。麻倉さんは見た目が絵になるからまだ許せるが、人によっては頭を叩きたくなるようなとぼけ具合だ。
寝ぼけ眼を擦る麻倉さんを引っ張ってバス停に降りる。と、同時に雨足が強さを増した。何でまたこのタイミングで……。
「雨強いね。どうする? 少し待ってから行く?」
「いや……そんな時間はないよ。もう面接開始の時間まで十五分しかないし。本当だったら二、三十分前に着いておくのがセオリーだしね」
私はふうっと息を吐き、麻倉さんの目を正面から見つめた。
「ダッシュ行ける? 麻倉さん」
私の問い掛けに一瞬反応が遅れたが、すぐに麻倉さんは頷いた。何となくドラマで見たことのある雨中のサラリーマンを思い出し、見よう見まねで鞄を頭の上に掲げて私は走り出した。
「ゴー! 地図は頭に入ってるから私について来て!」
水溜まりを避けながら私達は一心不乱に駆ける。
こういった場面でハイヒールは本当に辛い。就活をし始めて履き始めたが、私はこのハイヒールというものが本当に大嫌いだ。社会人になれば毎日履くのだろうし慣れるだろうが、今は中途半端に時々しか履かないため、履くたびに足が痛くなる。そして何より走りづらい。バランスが悪すぎてスニーカー時の七割も出ていないんじゃないかと思うくらいに足が遅くなる。
マンホールの蓋の穴にヒールがホールインワンしないように気を付けながら、角を曲がり、横断歩道を渡り、小さなトンネルを潜り、また角を曲がり。
雨は一向に止むことなく、むしろどんどん強さを増していった。鞄では防ぎきれない雨粒がスーツを濡らし、跳ねた泥水がストッキングを汚す。関係あるもんか。何度も言ってるような気がするけど、いくら綺麗でいたって面接を受けられなければ意味がないのだ。
時刻は十時五十一分。
遂に私達は辿り着いた。大きな塀の続く先に門が見える。面接会場となっているビルのものだ。
「はぁ、はぁ、やっと着いた」
そこで初めて後ろを振り返る。走っている間は気にかける余裕が皆無でそれどころではなかったからだ。麻倉さんは特別、疲れた様子も見せず自然体でそこに立っていた。意外と体育会系なのか。
「良かった。ありがとう。富和ちゃんのお陰だよ。富和ちゃんがいなかったら私、今頃まだ電車の中だったよ」
「い、いえいえ、どういたし、まして」
速度を緩めて門まで行ってみると、門は人一人分が通れるくらいにしか開いていなかった。そして、そこからビルの建物までまだ長い一直線の道が伸びている。まだラストスパートがあったのか。
一歩、足を踏み出してみると泥濘にヒールが捕まる。ビルまでの一本道はどうやら泥でびちゃびちゃになっているようだ。
一息つきかけた所に追い打ち。きついがここまで来れば最後まで頑張るしかない。
「行こう、麻倉さん!」
私達は最後の力を振り絞って、直線を駆け抜けた。
⑶
ビルの入口には人影が見えた。寄って行くと、その人影が人事担当の月野さんだということに気付く。
「すみません、遅くなりました!」
玄関口の屋根のある場所に入り、鞄を頭の上から下ろすと同時にお辞儀をした。
「こんにちは。ごめんね、急がせちゃったみたいなんだけど、先に一つ謝っておかなくちゃならないことがあってね」
きょとんとする私にタオルを渡しながら月野さんは困ったような笑顔を見せた。
「実はうちの都合で面接の時間が十五分遅れることになって、十一時から十一時十五分に変更になったの。花村さんにESを渡した時に連絡先を聞きそびれてて時間変更の連絡が出来なかったのよ。ごめんね、うちの不手際で。びしょ濡れになっちゃったね」
そんな。落胆なのか安心なのか、膝の力がすっと抜けそうになった。ここまでのダッシュの疲労が一気に全身に広がるような錯覚に陥る。でもまぁ、とりあえず余裕で間に合ったと考えればオッケーか。
「あはは……。そうだったんですね。むしろ助かりました。でも麻倉さんは? 麻倉さんも連絡先を知らなかったんですか?」
私が尋ねると月野さんの代わりに麻倉さんが答えた。
「私、携帯電話持ってないの。だから連絡の手段がなかったんでしょうね」
驚いた。今時、携帯を持っていない大学生がいるのか。やっぱり麻倉さんはどこか変わっている。
「そうなのよ。だから二人は十一時に来るだろうと思ってここで待ってたの。二人とも一番乗りだから、他のみんなが揃うまで控え室の方で待機して貰ってていいかしら?」
面接会場になっているビルは閑散としていた。私達の話し声だけがフロアに反響している。
「このビルがプラリアの本社ですか?」
「ううん。ここは貸会議室として使われているうちの会社とは何の関係もないビルよ。場所が辺鄙でしょう? だからあんまり使われてなくてね。大事なイベントがある時なんか穴場として重宝してるのよ。ちなみに今日もうちの貸切よ」
言われてみれば辺鄙な場所だからだろうか。テナントも全く入っていないようだ。そういえばビルの入口によくあるような観葉植物や傘立てすらもなかった。利用者が少ないからそういったものを設置する意味もあまりないのだろう。
二階に上がってすぐの部屋に通される。中は広く、長机が二つ、椅子が七つ置いてある。部屋の端、壁にも長机が付けてありお茶やらジュースやらのペットボトルが準備されていた。
「とりあえずみんなが揃うまでこの控え室で待っていて貰えるかしら? 喉が渇いたらお茶でもジュースでも置いてあるから自由に飲んでもらっていいし、トイレは部屋を出て右にあるから面接前に各自行っておいてね」
月野さんはそう言ってすぐに部屋を出て行こうとする。今まで受けてきた会社では控え室に人事担当の方がいて面接が始まるまで雑談をする、というのがお約束になっていたのだが。
「月野さんはどちらへ?」
「私はさっきみたいにこのビルの入口で待機しておかなきゃならないのよ。うちの会社ね、人事担当は私一人なの。笑えるでしょ。だから全部一人でやんなくちゃなの。まぁ、別に固くならなくていいから雑談でもしながらリラックスしておいて」
月野さんはそのまま階段を降りて行ってしまった。
「喉乾いちゃった。富和ちゃんはお茶とジュースどっちがいい?」
「あ、ありがとう。お茶もらえるかな。そういえばこれも聞いておきたかったんだけどさ。このプラリアって会社のこと、麻倉さんは知ってる?」
「ううん、全然。先生の紹介で受けることになって、先生からESを貰ったんだけど、よくよく考えると何の会社か聞いてなかったんだよね。先生が『この会社は君に合ってると思う』って言うからそのまま信じて結局何も調べなかったの」
麻倉さんは何も気にしてない様子で紙コップにお茶を注ぎながら笑った。本当に豪快な性格をしているな、と感心してしまう。私の方はESを書く際にプラリアの事は調べた。が、しかし。
「私は調べたんだけど……。このプラリアって会社は情報が全然出てこなかったのよ。普通は新卒採用をやってるような会社だったら、より多くの新卒を集めるために新卒採用専用のサイトを作ったり、そこまでしなくてもどこかに募集広告を出したりしてるはずなんだけど、それらの新卒採用関係どころか会社のホームページすら見つからなくて。変よね。今まで受けてきた会社ではそんなことなかったんだけど」
「へぇ~。そうなんだ。どんな会社かよく分かってもないのに受けにきてるってなんか不思議だよねぇ」
あはは、と麻倉さんは笑ったが私は全く笑えなかった。あれだけ調べたのだから、おそらくネット上にプラリアに関する情報はないはずだ。ただ、もし今日面接を受けに来る他の就活生がばっちりプラリアの予習ができていたとしたら。
就活生になってからというものの時々、恐ろしい夢を見るようになった。気付くと集団面接を受けている真っ最中。そして何故だか私の頭の中から今、面接を受けている会社の情報がすっぽりと抜け落ちている。事業内容、企業理念、社長の名前どころかそもそも社名すら思い出せない。周囲の就活生達が志望理由やこの会社でやりたい仕事を熱っぽく語る中で、私は一体何を話せば良いのかとパニックになりながら冷や汗を流す、というような夢だ。
まさかそれが正夢になるなんてことはないだろうか。私だけがプラリアについて全く答えられず、周囲がすらすらと答える地獄のような展開になるのでは……。
その時、控え室の扉が開いた。そこには月野さんと就活生であろう男の子が立っていた。それは就活的にセーフなのかと疑問を抱いてしまう鮮やかな紺色のスーツに同色のリュック、同色の傘を持って紺一色のコーディネイトを決め込んでいる。背丈は私と同じくらいで男性にしては少し小柄か。
「それじゃこちらが控え室になるので、面接開始の時間まで少し待機しててね。お茶とかは自由に飲んでもらって大丈夫。あとせっかくの機会で一緒になったんだし、就活生同士、自己紹介でもしてみたらどうかな。じゃあ、私はまた一階に降りるね」
月野さんが出て行き、部屋には私と麻倉さんと男の子の三人になった。
正直、面接で出会う人達と深い話を交わすことなんかないし、ましてや連絡先を交換することなんかもない。私はどうにも就活というステージ上で互いに皮を被った状態で初対面の人と仲良くなれる気がしなかった。結局、控え室なんかで就活生同士一緒になった時に口を開くのは「私は初めて会った人とでも会話を弾ませることができます」というアピールを企業にするためでしかないのだ。そうじゃない人間もいるかもしれないが少なくとも私はそうだ。
例のごとく、私が口火を切る。
「初めまして。星南大学から参りました花村富和と申します。今日はよろしくお願い致します」
就活を始めて何度繰り返したかわからない定型文。何も考えなくてもすらすら暗唱できる。
控え室の中にいる私が自己紹介をしたのだから、流れで言えば麻倉さんの番になるのだが、そこを待たずに男の子が笑った。
「うっすー。俺、聖フェアリー大学の内田。みんなからはうっちーって呼ばれてるから、気軽に呼んでねー」
軽い。軽すぎる。
就活をおよそ半年続けてきてこんな人は初めて見た。よく見ると髪も少し茶色に染めているように見える。そして大学で人柄を判断するのは良くないが、聖フェアリー大学は低偏差値でチャラい人やヤンキーみたいな人が多いとよく聞く。内田さん、通称うっちーも例に漏れずのようだ。私は心の中でだけ気軽に「うっちー」と呼ばせてもらう事にした。
「初めまして。皇成大学の麻倉ゆめみと申します。周囲からはゆめみとかゆめみちゃんとか呼ばれることが多いので気軽に呼んでください」
なんで麻倉さんまでその流れを踏襲するのか。気軽に呼んでくださいとか言って実際に面接中に気軽に呼ぶ人なんかいないのに!
「良い名前じゃん。ゆめみちゃん、ゆめみちゃん。じゃあ略してゆーちゃんね! 決定!」
ここにいました。ザ・イレギュラーのうっちー。本人が言った呼び名をさらに崩すという気軽を超えた気軽。
と、そこまで考えた後で麻倉さんの言葉に引き戻された。
「えっ、麻倉さんって皇成大学なの?」
「うん」
「まじ? コーセイ? がっつり天才じゃん! すげえ。ゆーちゃんまじですげえ」
言い方があれだが、うっちーが「まじですげえ」と言うのには私も同意する。皇成大学は名の知れ渡った名門大学だ。お坊っちゃまお嬢様大学の代表と言っても過言ではない。無論、偏差値も高く私の通っていた星南大学よりもワンランク、どうかすればツーランク格上だ。
うう、ゼミの先生の推薦に加えて高学歴という強カード。麻倉さんはかなり強大なライバルかもしれない。
そこでふと先程のプラリアの情報があまりないという話を思い出した。うっちーは一体どうやってこのプラリアを知ったのだろうか。
「そういえば内田さんはどうやってこのプラリアを受けることになったんですか?」
「うっちーで良いのに。えーっと花村さんだからフラワーだよね。ふーちゃんだな。ふーちゃん。どう? 良くね?」
花村の『は』を取って『はーちゃん』と呼ばれることはあっても『ふーちゃん』とは呼ばれたことはない。ややこしいことこの上ないから変な呼び名を増やしてくれるな。
「で、プラリアのことだっけ。それがさ、マジで運命的な出会いだったんだよね。就活終わりになんか暇だったからさ、本屋に立ち寄ったわけよ。そん時ちょうど先輩が面白いって言ってた漫画があったからそれを探してたわけなんだけど、その途中でいきなり頭の上にバッて手を載せられて。やばくね? 俺本屋でヤンキーに絡まれたことなかったからさ。油断しててマジ失神するかと思ったよ」
「で、その人が人事の月野さんだったってわけですね」
「おーそうそう! よく分かったねー、ふーちゃん!」
私と全くの同パターンだ。就活終わりという状況。本屋という場所。頭に手を載せられるという導入まで完全に一致している。
この状況の一致は偶然とは思いにくい。プラリアは実は本に関わる会社で、そのために本屋さんで本好きな就活生を探しているのだろうか? でも、もしそうだとしたらその作戦は失敗だ。私は偽装読書家なのだから。
「はーい。こちらへどうぞー」
月野さんの声とともにまた扉が開く。今度は女性と男性が一人ずつ。
女性ははっきりした顔にバッチリ化粧をしたギャルに近い風貌だった。化粧に合わせてか髪色も明るい。かなり長身で私達の中でも一番大きい。太っているわけではないが肩幅が広いのか全体的にがっしりして見える。スーツもなかなかに窮屈そうだ。左手には鞄、右手には既にESを入れたファイルを持っている。
一方、男性は物静かな雰囲気だった。鞄だけを持っている。整髪料をつけておらず髪の毛はぺたんと潰れているし、スーツも少しよれているような気がする。一言で言ってしまえば草食系だろうか。同じ男であるうっちーと比べれば一目瞭然で、身体の大きさはそう変わらないのに、そこから発されるエネルギーが全然違う。まさに陰と陽といった感じだ。
「それじゃあ、ちょっと自己紹介をしておいてもらおうかしら。もうそろそろ時間になっちゃうんだけど、まだ一人来てなくてね。私はその子が来るまで下で待ってなくちゃいけないの」
時刻は十一時十分を過ぎていた。月野さんの話によれば面接開始は十一時十五分。もう既に開始まで五分を切っている。今来たばかりのこの二人もかなりギリギリだが、残りの一人はさらにギリギリだ。就活では最低でも三十分前集合を当たり前にしてきた私にとって、その感覚が理解できない。
「じゃあちょっと待っててね。お茶とかは自由に飲んでもらっていいから。私はちょっと下に降りて――」
「その必要はありません」
突如、控え室の中にはっきりとした声が響き渡った。月野さんの後方、控え室の入口に
新たな人影が見えた。
もじゃもじゃの頭。まず目に入ってきたのはそれだった。もうひと放置すれば黒人ダンサー顔負けのアフロに育つのではないかと思うくらいに強いパーマがかかっている。いやもしくは天然物なのかもしれない。
俗にオシャレ眼鏡と呼ばれている正円の縁なし眼鏡を掛け、左手をパンツのポケットに突っ込んで、右手には折り畳み傘とバッグ。無表情でその男性は佇んでいた。気取っている感じが強い。でも歯が大きいのか、少しだけ口から前歯がはみ出しているのが立ち姿とそぐわない。世代ではないが子供の頃に親からよく見せられていた『ガンバの冒険』にこんなキャラクターがいたような気がする。瓶底眼鏡を掛けていて尻尾が短くて頭脳明晰で出っ歯なネズミ……そうだ、確か『ガクシャ』だ。
彼は大袈裟な動作でポケットから左手を抜き、腕時計を見た。
「時刻は十一時十三分五十二秒。少しギリギリになってしまいましたが、定刻には間に合っていますよね。さぁ、面接とやらを始めましょうか」
少し偉そうな言い方が引っ掛かったが、月野さんは微笑んだ。
「よかった。時間内にみんな揃ったね。じゃあ始めましょうか。実は言ってなかったんだけど、今日はグループディスカッションをやってもらいます。そこから面接という感じかな」
グループディスカッション。日本語で言えば集団討論。普段の生活の中ではなかなか耳にすることはないが、就活の中ではかなりポピュラーなワードだ。
名前の通り、提示されたテーマに沿って何人かの就活生で討論するのがグループディスカッション。私も何度か経験したことがあるが、テーマは「仕事を選ぶにあたって重視するべきものはお金か、やりがいか」や「プロとアマチュアの違いとは何か」など答えが明確に定められていないフワッとしたものから、はたまた「人材不足で困っている会社がある。人材不足を解消するためにどういった施策を取るべきか」など具体的に頭脳を使って考えなければならないものまでさまざまだ。
与えられた僅かな時間の中、メンバー達とテーマについて話し合い、チームとしての結論をまとめ上げ発表するというのが一連の流れであり、その討論の中での発言や役割などが面接官に採点されるポイントだろう。個人的な戦績を言えばグループディスカッションに関しては、勝率七割と言ったところ。特に私自身苦手意識を持っているわけではない。
「グループディスカッションは隣の部屋でやります。この部屋は控え室として施錠しておくからみんな荷物は置いてもらって大丈夫です。あ、ESも置いといてもらって大丈夫だよ。持って行くのは筆記用具だけでオッケー」
月野さんの一声で全員が控え室から隣の別室に移動した。中に入ると小さな前室があり、そこから扉を開けると先程の控え室より一回り小さな部屋があった。
室内はシンプルで、部屋の中心に長机に椅子が六つ用意されていた。机の上には紙を立体の三角形に折って作られたものが置いてある。おそらく名札だろう。あとは議論するにあたってのメモ用だろうか。白紙のA3用紙が置いてある。
「じゃあ早速ですけど、皆さんにはこの部屋でグループディスカッションをしてもらいます。席順は……」
白紙の名札が置いてあったので席は決まってないものかと思いきや、どうやら決まっていたらしい。私達は一人ずつ月野さんに指示された位置に座った。
三人ずつそれぞれ向かい合う形で私は部屋の奥側の端に座らせられた。私の隣、こちらの列の真ん中に麻倉さん、その隣にギャルの女の子、木暮さん。木暮さんは控え室からこちらに移動する間にわざわざ声を掛けてくれた。気さくな人らしい。
向かい側は男性陣。私の目の前がうっちー。その隣、男性陣の真ん中が遅れてきた『ガクシャ』似のもじゃもじゃ。一番端が頼りなさそうな草食系。男女に綺麗に別れているせいでなんだか合コン感が凄い。
「じゃあみんな手元にある名札に自分で名前を書いてもらっていいかしら? 書き終わったらみんなに見えるように自分の前に置いておいてね」
書き終えると皆が一斉に名札を正面に向ける。
うっちーは『内田太陽』。なるほど、名は体を表すとはよく言ったものだ。
『ガクシャ』は『金田一太郎』。あー、なんかどっかで見たことある苗字。読み方も最近知ったような気がする。
小暮さんは『小暮玲子』。草食系は『津古九十九』と書いてあった。なんと読むのか分からない。最近流行りのキラキラネームというやつか。
「じゃあ早速グループディスカッションを始めましょう。時間は三十分。終わるまではこの部屋からは出れないようになってるからね。三十分後に討論の結果をまとめてもらって発表してもらうという流れです。それではお待ちかねのテーマの方を発表しようかな。テーマは……」
その時、月野さんの声を遮ってチャイムが鳴った。この建物内の部屋全体に流れるアナウンスのようだ。
「えー、緊急放送。緊急放送。建物内の皆様にお知らせ致します。本建物内に侵入者あり。本建物内に侵入者あり。棟内においては警戒を怠らぬようお気を付けください」
「ええっ! 侵入者! 大変。これは一大事ね。みんな、絶対にこの部屋からは出ちゃうだめよ! 私はちょっと外の様子を見てくるから。いい? 部屋の外には出ちゃダメだからね」
言い残して月野さんは慌てて部屋の外に出て行ってしまった。
えっ? どうするのこの状況?
ディスカッションの開始を告げられていないせいで、みんな無言のまま。まるで本当に合コンの始まりみたい。でも、こういう所でも社会人としての資質は問われているんだと私は思う。
「なんだかトラブル発生みたいですね」
とりあえずこういったときは場を和ませるのがいい。私は無難な一言を場に投げかけた。
グループディスカッションというのは、チーム戦というわけではない。かと言って完全な個人プレーを競う場でもない。あくまでも調和を重んじる中で、全体の議論の方向性を調整しながら、自分の意見と周囲の意見の落し所を探っていくのが大事だ。……と就活サイトに書いてあった。
そのためにはある程度議論が活発である必要があるし、協調性を大事にするという心掛けが全員に求められる。そして協調性を大事にするためには、何より議論が始まる前にお互いの心の距離を近付けておくことが大事だ、と私は思っている。
心の距離を近付けるのにはコミュニケーション。つまり雑談が一番有効だ。
「ね、こんなの初めて。てか何? さっきのアナウンス」
反応してくれたのは木暮さんだ。会話を切り出した身として、こういう時のレスポンスはすごく助かる。
「私、今日に結構賭けてるんでびっくりしちゃいました。せっかくここまで来たのに、これで中止なんかになっちゃったら、たまりませんよね」
「そうだよね。私は他にも最終までいってる会社いくつかあるし、最終終わって結果待ちのところも三社くらいあるし余裕はあるんだけど」
出た。木暮さんはマウンティング系就活生だ。
就活をやっているといろんな人間を見ることができる。中でもよく見るのが『マウンティング系』だ。手持ちの駒や内定数や大学のランクなんかで他の就活生に対して優位を示す。無意識でやってしまっている人が多いような気がする。
「えーまじで! すげーじゃん。俺なんかまだブラックみたいなとこ一社しか持ってないよ」
会話に入って来たのはうっちーだ。こういう時、嫉妬することなく自然と会話ができる人も有難い。うっちーはいい感じに場を暖めてくれそうだ。
「すごくなんかないよぉ」
木暮さんは頬を両手で包みながらはにかんだ。キラリと指先が光る。なんだろう、と思ったが木暮さんが手をすぐに引っ込めたのでわからなかった。
うっちーと木暮さんが中心となり、私と麻倉さんがちょこちょこ話に入る形で会話は続いていた。しかし残りの二人は全く会話に参加する気配がない。
キラキラネームの草食系は一人一人の顔をキョロキョロ伺いながら、会話はきちんと聞いているみたいだが口を開きそうな様子はない。私達を観察しているように見える。
モジャモジャ頭の『ガクシャ』系は腕を組んだまま目を閉じている。おい。遅れてきたときの態度と言い、どうなってるんだ。面接を受けにきた就活生という自覚があるのか。
「私結構新しいもの好きで~」
木暮さんは相変わらず喋りまくっている。と、そのとき突然室内に携帯の着信音が響き渡った。
私は携帯を鞄に入れたまま控え室に置いてきた。麻倉さんは携帯電話を持っていないと言っていた。とすれば私と麻倉さん以外の四人の誰かの携帯だということになる。
みんな一様に懐を探り出した。キラキラネームの草食系が一番早く携帯電話を取り出し、この着信音が自分の携帯電話から発せられたものではないことに気付いたらしく、平静を取り戻す。次にうっちーが内ポケットから携帯を取り出した。
「あぶねー。時々電源切り忘れるから今回もそれかと思ったわー」
どうやらうっちーでもなかったらしい。木暮さんは携帯を取り出すことなく、気付いたようで携帯を探すのをやめた。
となればあとは一人しかいない。
『ガクシャ』がゆっくりと懐から携帯電話を取り出して着信音を止めた。そしてゆっくり携帯電話を机の上に置く。
彼は遅れてきたときにお詫びの一言も発さなかった。その時はまぁ、面接開始時間には間に合っていたのだから私達に迷惑を掛けたわけではなかった。
ただ今回の状況は違う。自分の携帯が鳴ってしまったことによって周囲のみんなを驚かせてしまっている。ましてや面接会場なのだ。ある程度常識のある人間ならばここは流石に謝るだろう。
しばしの沈黙。ただ明らかに場の雰囲気は『ガクシャ』の言葉を求めている。
そしてその静寂はすぐに破られた。
「それじゃあ早速始めるか。ここでダラダラしてても時間の無駄だしな」
はっ? 詫びのフレーズは欠片もない。それに加えてなんて言ったの、この人?
「始める? って何を?」
無邪気に私と同じ疑問を口にするうっちー。そんなうっちーを見ることもなく彼は「はっ」と笑って言葉を続ける。
「何を? 逆に聞くがこの状況で『始める』と言ってグループディスカッション以外の何を始めようって言うんだ? さっきみたいなくだらん雑談か?」
私は本当に驚いた。昔、コンビニでバイトしてた時にいた鬱陶しい客にそっくりだ。
「お箸お付けしますか?」という店員からのサービスに対して「は? 箸付けなかったらこっちはどうやって食えばいいんだよ。手で食えってのお前?」とか言ってくる屁理屈野郎。欲しいんだったらごちゃごちゃ言わずに「はい」の一言でいいじゃないか、と言いたくなる。
この彼からもその屁理屈客と同じ匂いがする。「何を?」と聞かれたら「グループディスカッションだよ」と優しく言えばいいではないか。この人、謝罪するどころか周りに喧嘩を売ってるのか。
ただうっちーは凄い。今の明らかに険のある言い方にも不快感を抱いた様子はない。さらに純粋にみんなが疑問に抱いてるであろう事を訊いてくれる。
「えっ? グループディスカッション? でも今、月野さんは外してるよね。まだテーマも発表されてないのにどうやってグループディスカッション始めんの?」
至極もっともな疑問だ。始めると言ったってまだテーマを提示されていないではないか。
その言葉に彼は心底呆れたような顔を見せた。
「本気で言ってるのか? ということは何か? あんな茶番を真に受けてここで三十分間ぼーっとしてる気だったのか。はっ、笑えるな。これは『プラリア』の採用面接なんだぞ。もっと頭を使えよ」
相変わらず挑発するような言い方をしてくるが、私は虚を衝かれて硬直してしまった。
彼の口ぶりはこの会社『プラリア』が何の会社であるかわかっているようなニュアンスが含まれている。
彼だけが『プラリア』の実体を知っている?
その想いに思わず口が動いてしまった。
「『プラリア』がどんな会社だか、あなたは知っているの?」
「知らずにここまでノコノコやって来るわけがないだろ。お前らは違うのか?」
彼の言葉には「お前らが知っていることをどうして俺が知らないと思うんだ?」というニュアンスが強く含まれていたが、私達は、いや少なくとも私は本当にプラリアが何なのかわかっていないのだ。
私の表情から困惑を読み取ったのか、さらに彼は続ける。
「え? おいおいちょっと待てよ。マジか? 『プラリア』が何の会社でどういうことをやってるか知らないってのか? 他の奴らはまさかそんなこと言わねえよな?」
しかし周囲も一様に沈黙し俯いた。やはり私だけではない。彼以外の全員が『プラリア』に対して無知なのだ。
彼は大きな溜め息をついてグッと背を伸ばした。あくび混じりに口を開く。
「悪いが俺には理解不能だな。今日の面接次第では入社して働くんだろ? 何をやってるのかわからないのにどういう熱意を持ってここに来るんだよ。あーあ、グループディスカッションって聞いてちょっとは面白いことになるかな、なんて期待してたけど、会社自体知らない奴らの集まりなんてたかが知れてるな」
ぐっ。悔しいが、彼の言うことはごもっともだ。私が彼の立場でも『どんな会社か知らないのに、どうしてこの会社を受けようと思ったの?』と言うだろう。
でも、しょうがないじゃないか。いくら検索したって情報が出なかったんだから。知ろうとはしたが見つけられなかったのだ。おそらく他のみんなも同じだろう。『何で知りもしない会社を受けるのか』と問われればノー内定だからとしか言いようがない。とにかく今はどんな会社でも内定が欲しいのだ。
「色々検索したけど全然この会社の情報が出てこなかったんだよ。どんな会社なのか知っているんだったら是非教えて欲しいなぁ! 俺たち同じ会社を受験するいわば仲間じゃん? グループディスカッションも一種の協力ゲームだしさぁ」
ナイスうっちー。情報は知りたかったが、私はこんな癪に触る人には頭を下げたくなかった。全員を代表してうっちーが情報提供をお願いしてくれた。
「そうだな。今の状態じゃ埒が明かないし、時間はまだある。軽く説明してやるからよく聞いとけ」
慌てて懐から小型メモを取り出す。ここで聞いたことは絶対に忘れてはならない。
「株式会社プラリア。プラリアってのは略語だ。プライベート・アイ・オブ・オール・エリア。略してプラリア。これで無知なお前らにもわかるんじゃないか」
オブ・オール・エリア。英語が苦手な私でもここは流石に分かる。「全ての領域の」という意味だろう。
ただこの「全ての領域の」という修飾語が掛かっている「プライベート・アイ」の部分が分からない。みんなそうだったのだろう。場は沈黙に包まれた。
全員のシンキングタイムをしっかり設けるわけでもなく彼は言葉を繋ぐ。
「プライベート・アイってのは探偵。オールエリアってのは全ての範囲。つまるところ和訳すれば『全てを網羅する探偵』ってところだ。これでわかっただろう。『プラリア』は探偵派遣会社だ。恐らくお前らネットか何かで検索して、情報を見つけられなかったんだろうがそれもそうだろう。『プラリア』は会員制で会員の紹介でしか利用できないスタイルだからな」
その言葉を聞いて広がる各者の動揺は、沈黙が物語っていた。
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