noteが書けんくなったのや
昨年9月ごろにcakesの有料購読をやめた。
コンテンツが面白くない、と言うか背筋に寒さを感じ始めていた。ジェンダーとかその他もろもろにとにかくセンシティブな吾輩には安心して読める記事がゴリゴリ減り、「ヤバい」としか言えない皮膚感覚が漂い始め、とてもじゃないが田房永子と佐伯ポインティ以外は安心して開けもしない。
有料会員の閲覧数が収入に反映される、とのcakesマンガ家の記事を見たこともあり、自分の感覚に合わない記事でも開いた瞬間ペイされるのかと思うと、こちらの使用料金が定額でもおいそれと閲覧できなくなっていた。それなら応援したい作家の本を買った方が良いじゃないか。
それから間もなく人生相談記事で炎上案件があり、他に諸々炎上を避けたいあまりに思考停止したとしか思えないcakesが一律にエロとみなされるコンテンツを削除することになったそうで佐伯ポインティが自主撤退(英断)、そして最近再び炎上である。
noteも普及するうちに胡散臭いマーケティングや情報教材、スピリチュアルや謎のコーチング、カウンセリング等の有料記事、文章のマネタイズがどーのこーのが増え、こちらにスキしてくれた人を見に行っても明らかにそういうコンテンツの人の営業のことが多くなった。
運営は、書き手のことをクリエイタークリエイターとかしましい。知らんがな、私はクリエイターではない。この場にブログ使いは向いてないのか。
スキが多くついている記事を見ても、いい話然とした「いい話」でしかなかったり感動秘話のあまりグロテスクな自意識が爆発していて、あまり新たな発見はない。
Twitterで著名人が書いた記事のリンクがあれば見に行くが、良いと思うものはnote書きというよりは、元々きちんとした識者の記事であることが多い。つまりnoteでなくてもよい人の記事である。ここには有象無象玉石混交のブログ群から光る書き手を見つけるような悦びがなく、自分も誰かにとってそうであるかもしれない、という希望がない。
ようわからん広告が表示されないから書き物に使っていたけど、クリエイションへの喧しさというか、追い立てられるような感覚に、これはもうアカン、私の感性が根を上げた。
偉そうに言うているが、本物のクリエイター様方の絶対数がnoteというフィールドに増えたことで、わたしには何も世間様に伝えたいことなんかなかった、それが露見しただけかもしれない。
あえてnoteという場で書きたいことって何だろうか、と考え、昨年10月以降は映像作品のレビューなど、いわゆるハッシュタグをつけることのできる「記事」を書いてはみたが、どうも気は乗らなかった。その時その時では、書きたいことを自己ベストで書いてはいるつもりだったが、全体として。
ハッシュタグをつけてまで書いて分類して検索してたどり着いて欲しいことなんかなかったのかもしれない。
そうこう言っているうちにnoteでも炎上が散見されるようになってきた。Twitterで炎上するのはTwitterのせいではないような気がするのに(Twitter日本法人はカスだと思うが)、noteの炎上はnoteのガバナンスの問題もあるように感じてしまうのは私の方がおかしいのだろうか。運営おすすめ記事とかをサジェストしてクリエイターやのなんやの言ってくるものだから、媒体としての意志を強く感じるのかしら。
もっと短い文章を書こう、推敲なんかせずに、読ませる文章なんかクリエイター様に任せて、とりあえずさ、と思って書いたのがコレである。偉そうやな。アカンわ。
※私がフォローしていたりスキしたりする数少ない方々は、もちろん私が好きな光る文章を書く方々だと思っていますので、あしからずよろしくお願いいたします。