いじめの本質
いじめの本質は以下の2点だと思う。
1. 自分が成りたくない姿を攻撃する
2. 集団を守るために異質なものを排除する
1個目は、例えば、自分が親からきれいな字を書きなさいと言われているのに、とても字が汚い友達がいたら、その字が汚いことを認めてしまうと自分が成りたい(=親が喜んでくれる)姿がぼやけてしまうため、字が汚いことを全力で否定する。
例えば、鼻くそ食べたらだめとか、お行儀よく食べなさいとか言われている子供が、それをできていない友達を否定するのは仕方ないと思う。それをしないと自己否定になるのだから。
それがいじめの本質のひとつめ。
2個目は、自分が集団に属するために、長いものにまかれること。それが、この中野信子さんが言っていることで、集団として制裁が必要かどうかを決めてしまい実行すること。
共同体の輪を乱すことは、悪なので、制裁します。
輪を乱しているかどうかは共同体が決めます。
で、何となく、あいつは輪を乱している気がするから、制裁しておこうという感覚でいじめられる。
これが本質の二つ目だと思う。
共同体を作る意義っていうのは私たちにはものすごく大きいわけです。いわば、共同体を作るということが、ヒトの唯一の武器であったといってもいいかもしれません。
すると、それを壊すという行為は、種の保存にとってきわめて都合が悪い。これを「悪」「好ましからざるもの」と感じる機能が発達していくことで、共同体を守りやすくなり、種として生き延びるのがより有利になるというわけです。
ネットで誰かを吊し上げて叩くと快感が得られる–脳科学者・中野信子氏が解説する「シャーデンフロイデ」という感情
これは、仕事をできないおじさん社員を首にしようぜという空気とか、ゴミ屋敷のおばさんを町から排除しようとするとか、そういうのも、本当に同じ仕組みだと思う。