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「妊娠しても元気な人」という呪縛
予定日3か月前に、小さな娘を出産しました。出産までの記録と出産後のことを書いています。
今回は、切迫早産で入院から自宅安静になっていましたが、その安静も解けて、いよいよ仕事復帰した頃のことを書きます。
「妊娠しても元気な人」そんな女性に憧れていました。「自転車に乗る妊婦さん」。かっこいい。自分もそんなのしたいな。
常日頃から、しんどい状況でも、多少無理してでも、頑張っているのがかっこいいと思っていました。
だから自宅安静している自分が腑に落ちてなかった。
仕事は忙しく、往復2時間の通勤も体にこたえていたので、自宅安静できることを身体は喜んでいました。
出血したのも、身体と心のサインだったと思います。もうちょっとペース落としてのんびりいこうぜ~っていう。
でも頭は、そんな自分に待ったをかけていました。気付かないフリをしていました。まだまだできる!こんなの大変に入らない!自転車に乗れる妊婦さんもいる!仕事してる妊婦さんなんて、数えきれないくらい、いやほとんどの妊婦さんはそうに違いない!出産ぎりぎりまで働いてて、無事に出産してる人、沢山知ってる!
・・・みたいな。誰の話を自分に当てはめて、苦しんでたんだろう。
仕事復帰。
主人から「まだ早いんじゃない?もうちょっと休んだら?」と言われ、毎日自宅のソファでごろごろしてて、最低限の家事育児しかしてない私は、主人からもうっとおしがられてるに違いない!と勝手に想像していたので、ちょっとひるみました。でも職場には迷惑かけてるに違いない!職場は私を待っているはず!と、ここでも自分を追い詰めて出勤しました。
ところが職場でも、「このまま出産まで休むと思ってた~」と言われたりして拍子抜け。あ、そんなに求められてなかった。。。私の代わりはいくらでもいるのね~。
自分が思ってるほど、みんな私のことを怠けてるとは思ってないんだ、私のことを怒ってないんだ、もっとお腹の子どものために、自分の身体を甘やかせてもよかったのかな、と反省しました。
本当に、もっと自分の心と身体を大切にするべきでした。つまらない意地やプライドに縛られることなく、今の自分に素直にあるべきでした。
仕事に戻ったら、もう止められませんでした。
やりがいのある好きな仕事で、新しい企画を出して、上司からゴーサインをもらっていたのに、それを途中で放って休んだ形になっていたので、申し訳ない気持ちもありました。
やすんでた分も取り戻さなきゃ~とばかりに、どんどん仕事にのめりこんで、最初のうちこそセーブしていましたが、そのうちに外回りや休日出勤もするようになっていきました。
長男の幼稚園の送迎のために時短をとり、昼休憩は1時間から30分間に短縮していました。
行き帰りの電車通勤は、座れることもあれば立ちっぱなしのこともあり、職場に着けばノンストップで仕事し、家に帰れば、家事に育児に追われる。
自分の時間、ゆっくりと息つく時間はありませんでした。
重たい物を持つとか、激しい運動はしてないけど、こんな生活ではお腹の子のためによくないよな、と頭の片隅で思っていたけど、「かっこいい妊婦さん」への憧れ、あるいは呪縛から、そんな思いに蓋をしていました。
ある日所長から呼ばれて、所長室でふたりきりで話しました。
「復帰後の体調、仕事の様子はどうですか」と聞かれ、
「けっこう大丈夫です!動けます!」と私。
『かっこいい妊婦さん』をやってる気分でした。すると、
「動けるって、自分を優先してない?そういう時こそ、お腹の赤ちゃんの声に耳を傾けて、ゆっくりしてあげたほうがいいんじゃない?」と言われたのです。
ズギュンと胸に突き刺さりました。本当にそう。一瞬そう思いました。一瞬。所長室をの扉を閉めると、また戦士の自分に戻っていました。
何かに急かされるように、一生懸命動き回っていました。自分の身体、お腹の赤ちゃんことを置いてけぼりにしていました。「ついてこい」とばかりに振り回していた。
「かっこいい妊婦さん」幻想です。
一カ月前の出勤時に、多量に出血をして入院したことなど、もうずっと前の出来事のようでした。「こうあるべき」じゃなくて、今の自分の身体の声にもっと正直にあるべきでした。
そしたらきっと思ったはず。
「そんなに頑張らなくてもいいよ」って。