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鍵のない部屋(27歳貧乏絵描きの住処)  序章 餓死と乞食と資本論

餓死・・・ほとんどの日本人には関係ないだろうけど、
でも僕にとっては、身近だった。

二年間の商社務めを辞し、親の反対を押し切り絵画一筋で行こうとしていた頃の話。
僕は絵を描いてた。三日間、寝るのも食べる時間も惜しんで。

でも、ある時、筆が手からポロポロ落ちるようになった。
最後は、ガムテで手に縛り付けて描いてたんだけど、腕を上げられなくなって・・・。
お仕舞には、座っていることも出来なくなって、僕は畳の上に横になったんだ。

なんでだ?! どうしたんだ、俺の身体は?!
自問自答を重ねるうち、ある事に思いついた。
そう言えば、三日間、何も食べてないなあ、と。
喉が渇いた時だけ蛇口から水を飲んだだけだもんな。

なるほど・・・僕はポケットから財布を出して覗き込んだ。
入っていたのは、十円玉と五円玉だけ。
最後にパンを買った時に、15円になったんだっけ。

啖呵を切った手前、親には泣きつけないし・・・。

這いずるように台所へ行き、冷蔵庫を開けてみる。
醤油とソースが入っているだけ・・・・。
仕方ない。水でも飲んで誤魔化すか。
しかし、いくら水を飲んでも、誤魔化せそうにない。

身体に必要なのは、糖分と塩分。
僕は、塩と砂糖を手の平に一振りずつして舐めてみた。
ほんのちょっと空腹感が減った・・・ような気がするw

とうとう立っていられなくなり、炬燵に身体を突っ込んだ。
時は大晦日。冬の寒さはしんしんと僕の命を削って行く。

ゴーンゴーン・・・どこからから除夜の鐘が聞こえる。
身体が余りに震えるので、頭からすっぽりと炬燵に入った。

新聞の見出しが目に浮かんだ。
赤貧の無名画家、炬燵に入り餓死・・・。

ああ、これで俺の人生も終わりか・・・。
その時、僕は微笑んだ

サラリーマンを辞めて好きなことをやって来た。
親や親戚、そして友人が止めるのも聞かず、僕は商社を辞め、絵にのめり込んだ。

気が向けば、一人、屋根に穴の開いたポンコツで旅に出、車を停めたところで絵を描いた。
そして、金がなくなれば、半年か一年、黙々と働き、金が貯まったら辞めて、また創作活動に入った。

何者にも縛られず、楽しい人生だったな。
走馬灯のように短い人生を振り返った。

走馬灯

意識が遠くなって、本当に覚悟を決めたその時、誰かが僕の足を引っ張った。
死神だ! 咄嗟に思った。
炬燵の中から引っ張り出される! しかし、手に力が入らない。

「おい、生きてるか? 何も食ってないんだろ!? これでも食え」
僕を引っ張り出したのは、パン屋の友人だった。
年中鍵をかけていない僕の部屋は、誰でも出入り自由だ。

僕は座ることも出来ず、横になったままパンを食べた。
いつもは不味い友人のパンが、今日は美味しく感じられた。

買って来てくれた缶コーヒーを飲ませてもらい、僕はやっと生き返った。
「ヤバい。もう少しで逝きそうだった」
「そんなことだろうと思った。何日食ってないんだ?」
「今日は何日?」
「1月2日だよ」
「ああ、だったら、五日間食べてなかった」
炬燵に入ってから二日も経ってたのかあ・・・・。

その翌日の深夜、僕はコンビニで働いていた。
僕はそこで、余剰生産物が捨てられるという資本主義の歪みを見た。
そして赤色がかった先輩が、僕に資本主義の愚かさを教えてくれた。
共産主義なら欠かせない「資本論」を読み、マルクスについて一晩中語り合った。
そして僕は・・・共産主義って嫌だなあ、と思ったwww

で、僕の胃の話。
毎日、友人のパンに頼ってはいられない。かと言って、給料までは長い。
それで僕は、店長に、廃棄係を担当することを申し出た。
本来は店長の仕事なのだが、嫌がっているのを知っていたから、店長は大喜び。

初日だけ、店長の目の前で、大きなゴミ箱に捨てた残り物の弁当を踏みつぶした。心で泣いたよ・・・・。
でも翌日から、僕は廃棄弁当を丁寧にビニール袋に入れ、ゴミ箱のごみの上にそっと置いて蓋を閉めた。
部屋に戻ってすぐに食べる今日と翌日の分だ。
深夜勤務が終わったら、表から裏に回り、持って帰るつもりだ。

もうこれで暫くは飢える心配はない。僕はほっとしていた。
ところが、だ。
深夜勤務を終え、まだ暗い裏口に回り、手探りでゴミ箱の蓋を取って弁当を持ったところ、反対側から誰かが引っ張るではないか!

えっ!?!
僕は焦って強く廃棄弁当の入ったビニール袋を引いた。
すると向こうからも同じように引っ張るではないか!
「誰だよ、俺の弁当だぞ」
僕は暗闇で叫んだ。

「俺のだよ!」
ええーっ!
どこの誰かは知らないが、僕たちは暗闇の中、じっと相手を見つめ合った。

時間が経ち、目が慣れてくると、それは・・・薄汚い身なりをした浮浪者だった。
「俺のテリトリーだ。お前は新入りか!?」
男が言った。
「はあ!?! 違うわ! ここのバイトだよ! 放せよ!」
「バイトのくせに生意気な! お前こそ放せ!」
「俺がここに置いておいたんだ。だからこれは俺のモノなの!」
「バカ野郎! ゴミ箱の中の物は、俺たちのモノなんだよ!」
「うるさい! 俺の主食なんだよ。放せよ!」
「俺たちだって命がかかってるんだ。お前はバイトしているんだろう!? だったら買って食え! 俺たちのテリトリーまで手を出すんじゃねえ!」

僕はそこで思いついた。
「わかった。じゃあ、今日は一個お前にやるよ。明日からはおまえの分も用意しといてやる。それでいいだろ!?」

「えっ!?!」
男はきょとんとして僕を見ている。そして暫くたってから言った。
「いいのか!? 悪いな、分けてもらって。明日も・・・」
「うん、この時間に来いよ。二つ用意しておくから、一つだけ置いといてくれよ」

その日から、僕は残り物の廃棄弁当を二つ、袋に入れて用意するようになった。
時には、残った廃棄牛乳や廃棄オカズ、廃棄菓子などを一緒に入れて。

そらからひと月ほど経ったある日、すっかり明るくなった早朝の店に、如何にも汚い身なりをした男が入ってきた。
うえっ! 僕は慌てて、店長を呼んだ。

「追い出しますか?」
「いや、追い出すのは不味い。格好で人を判断していると評判に傷がつく。どこを触ったかようく見ておいて、後で消毒するんだ。いいな!?」

もうすぐ上がりだって言うのに、余計な仕事を増やしやがって!
僕は心の中で毒づいた。

男は、店内をクルリと一回りして僕に近づいてきた。
「よう。明るい時間に会うのは初めてだな」

この男! 僕が毎晩、弁当を上げている・・・・!?!

「あ、ああ・・・ど、ど、どうして来たの?」
「いつも気を使ってもらっているから、その礼に来た」
「い、いや、礼なんて・・・・」
早く帰れとも言えないし・・・・。

男はガムをひとつカウンターに置き、ポケットをもぞもぞやってお金を置いた。
それは、元五百円札だった、と言った方がいいかも知れない小さくたたまれた黒い紙のようなモノ、だった。

店長をちらっと盗み見る。
早くお釣りを渡して出て行ってもらえ・・・そう目が語っていた。

僕はレジスターから450円の硬貨を取り出し、カウンターに置いた。
すると男はお釣りとガムをポケットに入れ、出て行った。

そして安心したのも束の間、男がまた入って来たのだ。
今度はロープを首にくくった薄汚い犬を連れて!

「お客さん! 犬は店内には・・・」
「これ、お前にやろうと思って」
「えっ!? ぼ、僕にですか・・・・」
「俺の大切な相棒だけど、お前にやろうと思って」

乞食の恩返し・・・・
しかし、受け取るわけには行かない・・・と言うか、いらないw

「いやいやいや・・・大切な相棒をもらう訳にはいかないよ」
「いいよ、遠慮しないで」
「ダメだよ、僕は家で飼えないんだ」
「そうか、ダメなのか・・・。じゃあ、代わりに何かを買ってやろうか?」
「いやいや、いいよ。気にしないで。さあ、犬を入れちゃあいけないんだ。早く出て」
「わかった。じゃあまたな」

男は犬を連れて帰って行った。


それから一年、僕はずっと男の弁当も用意してゴミ箱に入れた。
男は空気を読んだのか、たまに店の前に佇み、僕に手を振るようになった。
いつの間にか、バイト仲間では、その乞食のことを僕の友達と言うようになった。「友達が来たよ」ってみんな僕に教えてくれるw

今頃彼は、どうしているのだろうか・・・・?

資本主義における余剰生産物・・・これも世の中の底辺を支えていることを、共産主義者は知らない・・・・。



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