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波待ちサーファー
学生の頃、深夜バイトが終わると、僕たちは波を求めて海に向かった。
ライトバンの屋根には、ロングのサーフボードが3枚。
関西には、近場にいい波のポイントは少ない。
主に和歌山、時には伊勢まで足を伸ばした。
近場には波は立っても1メートルがせいぜい。
僕のような初心者向きだ。
海水浴客がいない砂浜。
漁船やボートが所々に繋いである。
もちろん、トイレもシャワーもない。
頼りは、地元から持ってきたビニール製のタンクだけ。
防波堤に車を停める。
既に数台の車が停まっている。
恐らく、地元のサーファーだろう。
遠く水平線を見ながら車の陰で着替える。
「今日はダメかもな」
「まあ、こいつには丁度いいんじゃねえの」
「そうだな。付き合ってやるか。おい、今日こそは立ってみせろよ」
「ほほ~い」
「返事が軽いんだよ。ああ、ダメっぽい」
「ワックス塗りたてだから、Tシャツ着ろよ。乳首が腫れるぞ」
波があろうとなかろうと、僕らは海が好きだ。
これから海に入る、それだけで嬉しい。
熱い砂浜に足を着ける。
火傷しそうだ。
でも目の前の海の碧さが、痛みを忘れさせる。
はやる気持ち。
高鳴る胸の鼓動。
僕らはタオルやサングラスを投げ捨てるように置き、海を目指す。
僕らに必要なモノは、このでかいサーフボードだけだ。
押し黙る三人。
もう言葉はいらない。
ただ遥か水平線を見つめ、熱い砂の上を歩く。
波打ち際でビーサンを脱ぎ、遠くに投げ捨てる。
灼けた足に、冷たい海水が心地いい。
ボードを小脇に抱え、波しぶきを上げ、走り出す三人。
ボードを投げ、まるで愛人に飛びかかるように飛び付く。
パドリング。
ボードに寝たまま腕だけで前に進む。
長時間の運転で、凝り固まった身体が解れて行く。
波が来た。
ボードの先を波の下に押し込み、波をやり過ごす。
初心者の僕にとっては、大きな波だ。
少し遅れて二人に追いつく。
既に二人はボードの上に座り、遠くを見ている。
バイト先では冴えない二人が、海ではまるで別人だ。
惚れてしまいそうなほどカッコいい。
僕もその隣に陣取る。
いい波は、なかなか来そうにない。
灼きつける陽ざし、南の風が熱くなった身体を撫でて行く。
波の音。
それだけ。
それだけで、僕たちは満たされる。
ラジオもネットも何もない。
波の音だけが、僕らの音楽だ。
「おい、来たぞ。あれに乗れ」
ボードの尻を波に向ける。
「よし、行け!」
足が波で持ち上がった瞬間、僕は全力でパドリングする。
身体がふわっと浮き上がる。
乗った!
ボードのエッジに手をかけ、上半身を起こす。
すかさず、身体を浮かし立ち上がる。
立った!
「おおおおおおおお! 立ったぞ!」
僕は無意識のうちに叫んでいた。
次の瞬間、僕は真空状態なった。
何も聞こえない。
目の前に海面が広がっているだけ。
身体が流れて行く。
波と一緒に流されてゆく。
ザッブーン!
海面に叩きつけられた。
クルクルと身体が波に巻かれる。
上も下も分からない。
こういう時は、藻掻かずじっとしている。
必死でもがくと、海底に向かっていることがある。
肩が海底に当たった。
すかさず、海底を蹴る。
顔が海面に突き出した。
まだだ。油断してはいけない。
足に付けたボードを繋ぐゴムのストラップが、伸びている。
ドシン!
足の付け根にボードが突き刺さった瞬間、
偶然にもボードをつかむことが出来た。
足を引きずって浜に上がる。
「やったな! おめでとう!」
「やるじゃないか! 見直したぞ」
「ありがとう!」
足の付け根の痛みも忘れ、笑顔で答えた。
「大丈夫か?」
「うん、たぶん大丈夫だと思う」
「もうやめるか?」
「何でだよ」
「もう少し休め」
「ああ、そうするよ」
くだらない会話も、彼らの仲間になれたような気がして嬉しい。
立っていたのは、ほんの数秒。
でも確かに僕は、立ったんだ!
波と一体になったんだ!
彼らと沖で波を待っている瞬間、僕は胸を熱くする。
何も考えずに、ただ波を待つ。
彼らと言葉を交わすことはない。
全て、分かり合っている。
ただ、波の音だけが、三人の胸に響いていた。
ザザザ・・・ザザザ・・・
真上に陽が昇った頃、僕たちは家路につく。
デッキからはビーチボーイズが流れ、気怠い雰囲気を醸し出す。
陽に灼けた身体、
窓から流れ込む風、
ジーンと痺れるような疲れが心地いい。
あの瞬間、僕たちは生きていた。
紛れもなく、命が輝いていた。
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あれからウン十年。
僕は今、波に浮かぶサーファーのように、胸をときめかせている。
生活が変わる。
人生が変わる。
運命を変えるのだ。
溜め込んだエネルギーを解放する時が迫っている。
さあ、自信を持て。
前を見据えろ。
何も考えず、
ただ波を見つめるサーファーのように。
僕は、波待ちサーファー。
胸を昂ぶらせ、
その時を待っている。