鍵のない部屋(27歳貧乏絵描きの住処) その4 絵で稼ぐ
僕は焦っていた。
少しでも早くプロの絵描きになりたくて。
バイトしている時間がもったいないと思っていた。
そんなある日、いつもの画材店に行くと、仲の良い店のオーナーが僕に言った。
「白石君、もし時間があったら、頼みたい仕事があるんだけど」
キ━━━━(≧∀≦)ノ━━━━タ!!!!!
肩章はまだ日本美術文化協会の入選しかなかったけれど、市の展示会に何度か招待作品を置いたことがあった。
その仲介役もしてくれたオーナーの口利きで、生まれて初めて絵で稼げるのだ!
内容も聞かず、僕ははしゃいだ。
しかし、内容を聞いてちょっとためらった。
亡くなったお爺さんの遺影を描いてくれと言うのだ (゚Д゚;)
料金は一万円。
オーナーのよく知っている人らしく、腕のいい画家さんを紹介してくれと言われたそうだ。テヘ(*´ω`*)ゞ (後で聞くと、暇そうだったから、と言われた・・・・・)
話しを聞きに、注文主のお婆さんの家に行く。
縁側に腰掛け、お婆さんの昔話を聞く。
続いて、お爺さんの思い出話。
これは僕がお願いしたのだ。
断片的なボケボケの写真しかなくて、その人となりを知りたかったのだ。
「お爺さんは写真が嫌いでねえ。撮らせてくれないのよ」
お婆さんがお爺さんの話をするときの眼差しは、いつも優しい。
話しを聞きながら、二人の愛情の深さを感じた。
さて、これからだ。
もしあなたなら、どうする?
A4の紙一枚と鉛筆一本で一万円を稼いでください。
と言われたら・・・。
逆に、あなたが一万円を出すときは、どんな時?
それぐらい・・・と言う恵まれた人は放って置いて、かなりの気合いがいるはず。
清水の舞台から、とまでは言わないまでも、朝礼台から飛び降りるぐらいの覚悟がいるだろう。
人に財布を開かせると言うのは、それぐらい大変なことなのだ。
かくいう僕も、その時、初めて知ったのだけれど。
描き始めはスムーズだ。
中心線を決め、輪郭を描いて行く。
目、鼻、口、眉、耳の位置を決める。
髪の生え際をなぞる。
ここまでは誰がやっても大して変わらない。
何も考えずに描ける。
大きな皺を書き込み、頬骨の出具合を確かめ、陰影を少しずつ付けて行く。
僕のデッサンスタイルは、鉛筆を寝かせない。
面を描く時も、常に鉛筆は立てている。
線の数と強さで影を描く。
鉛筆が鉛のように重くなってゆく。
大袈裟でなく、本当の話。
一本線を引くたび、絵に命が吹き込まれる。
一本線を引くたび、僕の命が削られる。
そんな思いで線を引く。
お婆さんから聞いたお爺さんの面影を求めて、想像力を最大限に発揮させる。
お爺さんは怖い顔をしている。
でも、心の中は、いつも純粋で優しさに溢れている。
「私にだけは優しかったのよ」
嬉しそうに語るお婆さんの瞳に、僕はお爺さんを見ていた。
気が付くと、僕はポロポロと泣いていた。
いかんいかん。感情的になり過ぎた。
プロとして、もっとちゃんとしないと。
芸術家として、もっと真実を見ないと。
描いても描いても満足できない。
僕は常々思っている。
作品に完璧はないのだ、と。
漸近線のように、限りなく完璧に近づくけれど、決して完璧には到達しないのだと。
一日目、腕が痺れて来る。
二日目、身体の節々が痛い。
三日目、目が霞み、手の感覚がなくなってきた・・・・。
その間、ほとんど寝ていない。
起きている間中、ずっと描いていた。
そして僕は筆を置いた。
もう限界だと。
僕の持っているものは全て出し切った。
もうこれ以上、何も出ない・・・。
フィキサチーフをかけて鉛筆の粉を固定して、パラフィン紙で包み、スケッチブックに挟んでお婆さんの家に向かう。
「そうね・・・このお爺さん、似ているけど・・・・若すぎるわ」
ああ! 僕は心の中で喘いだ。
余計なことをしてしまった。
少し若く見せようと、サービス精神を出してしまったのだ。
僕はバッグから鉛筆を取り出し、人差し指の腹を黒く塗り、スケッチブックの紙で濃さを調整した。
そして、お婆さんの見ている前で、お爺さんの目の輝きをさっとひとこすり・・・。
お爺さんの輝きは薄れ、一気に歳を重ねた。
「あ、あああ、お爺さん・・・・」
お婆さんの目から大粒の涙が溢れた。
「ああ、これよ。これがお爺さんなの。ああ、ありがとう。ありがとう」
お婆さんは僕の手を取って何度も礼を言った。
僕も泣きながらお婆さんの手を握り返し、何度も礼を言った。
「ありがとうございます。ありがとう・・・」
これが僕の初稼ぎ。
一生、忘れないだろうと思う。