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[0円日記] ジパング列島漂流記

2024-08-20(火) 東京出発

二週間ほどの滞在でとっ散らかった実家の六畳間を片付けて夜九時、一週間出かけるだけなのに、長い旅に出るかのような気持ちで老母に別れを告げ、東京駅・鍛冶橋駐車場へ向かう。
盆明けのバスターミナルは若い人たちでごった返していた。
名古屋まで昼なら二千円、夜行でも二千七百円、価格破壊の具合がメガトン級か。

2024-08-21(水) 名古屋

朝五時過ぎに名古屋に着いて、今日は一日たっぷり遊んだ。
note.comで知り合った三人の方々と初めてお会いでき、とてもよい時間を過ごした。
九時過ぎ、高速バスの待合室で一時間ほど、酒精を入れてくつろぐ。明朝には広島。
(この項つぶやきより再掲)

2024-08-23(金) 広島

昨日は一日広島、午後二時に駅で待ち合わせて精神的に調子を崩している旧友の見舞いに訪れたのだが、残念ながら会える体調ではなかった。マンションの入口のインターホン越しに声が聞けただけでよしとする。

夜にはもう一人の旧友も加わり、駅ビルの店でビールを飲みながら、時に深く時にまったりと話し込む。

カプセルホテル初宿泊、ぐっすり眠り五時前に目が覚める。はっきり筋があり、くっきりとした映像の夢を見る。天からのゆるい啓示の感じられる吉夢。

よい旅が続いている。

2024-08-24(土) 広島から松山へ

昨日はまず広島市内から東広島に足を伸ばした。鉄道とバスを乗り継いで訪れた、ひなびた山里の道端で寝転び、青い空を行く雲を眺めた。

市内に戻って夕方、旧友と会い軽く飲む。天才的プログラマ兼数学者だが、もう年金暮らしでゆるいアルバイトをしながら悠々自適の日々を送っていた。

夜は東京の音楽友だちが、たまたま広島でライブをすることを直前になって知り、広島滞在を一日伸ばして急遽聴きに行くことに。

友だちはピアノ、そこにサックス二人が加わって得も言われぬ複雑な音の響き合いに、心震わされる。即興(インプロビゼーション)の醍醐味がようやく身に沁みた。

今朝はゆっくりと広島宇品港に路面電車で向かい、松山行きの船に乗る。呉を経由して島と島を結ぶ橋の下をくぐり、細い水路を走るフェリーの、ダイナミックな旋回をともなう航行が実に気持ちよい。

2024-08-25(日) 松山、佐田岬へ

昨日は昼過ぎ松山に着き、路面電車に乗ってネットで知り合った旧友と再会。北に松山城、南には愛媛大学、松山大学があり、交通の便もよい立地の集合住宅の一室に泊めてもらう。
夕方は道後温泉で熱めの湯に浸かり、旅の疲れで低めの気分になっていたのが一気に盛り返した。
一晩ぐっすり眠って、今日は車を借り、佐田岬を目指す予定。

2024-08-26(月) 八幡浜止まり

昨日、四国の西端に細く突き出した、佐田岬半島を目指した話の顛末。

ガッツレンタカーというのが格安で、初めそこの車を借りようと思って予約まではしたのだが、なぜか保険証が見当たらない。ガッツは保険証なしでは貸してくれないとのことで、その時点で一旦車を借りるのは諦めた。

そうしたら、泊めてもらってる友だちの部屋のそばで地元のレンタカー屋を見かけて、調べてみると十分安い。これで行こうと思った。

人の部屋に泊めてもらっていることと、旅先ゆえの調子の高さも手伝い、朝五時ごろから起き出していた。ありがたく朝飯をいただいて、六時すぎに部屋を出る。まだ市電は走ってませんよと言われたのだが、まあ、その辺をぶらぶらして行きますわ、などと答えて。

松山城のお山の裾を巡る道をぶらぶら行くと、やがて左手に二の丸へ登る道があった。

天守閣までは登らないまでも、とにかく少し登ろうと二の丸まで行くと、二の丸庭園は有料だが、九時まで開かず、入口の前に立派な石でベンチがあったので、そこでしばらく時間を過ごす。

ジョギングの人が時折り通るくらいで、とても静かな場所で、携帯コンロで湯を沸かし紅茶を淹れて飲んだ。心の静まり返り、至福のひとときだった。

八時がそろそろ近くなって下界に降りる。近所の地元スーパーに行って昼飯用に出来合いのうどんを買い、そこの休憩所でさらに時間を過ごす。

レンタカー屋を開店時間の九時少し前に訪れると、どうも開く気配がない。電話をかけてみるが出ない。しばらくしてもう一度かけると電話は通じたのだが、予約なしの貸し出しはやってないという。残念。

仕方がないので、鉄道とバスを乗り継ぎ、佐田岬を目指すことにした。

がしかし、路面電車を降りる駅を間違えて、八幡浜へ行く列車に乗り遅れる。次の鈍行は一時間後。これでは八幡浜から先、佐田岬へ行くバスに間に合わない。

仕方がないので駅の待合室で時間を過ごし、とにかく八幡浜までは行くことにした。

この伊予灘線が最高だった。伊予市を過ぎると瀬戸内海沿いを走り、実に眺めがいい。

運転手さんが長い髪をひっつめにした若い爽やかな女性だったのも印象的で。

一時間ほどして着いた八幡浜はいい感じにひなびていた。九州へ向かうフェリーの出る港までは少し距離があったので足を伸ばすのはやめて、その道筋の半分ほどのところにある図書館まで行った。

和田誠の装丁を集めた大型本が目についてぱらぱらとめくる。自分の生きた時代の一面がその本に書き出されているようで、いま改めて感慨深い。

その他は郷土資料の棚から適当に本を選んで拾い読みする。地元出身で敗戦後ソ連に抑留された方の手記が、心に刺さって痛みを残す。

2024-08-27(火) 岡山、そして東京・新宿

昨日の午前中は松山城の天守閣を見に行った。

城は平地にぽっこりと立ち上がった小山の上にあるのだが、西端の古町口というところからちょっとした山歩きが楽しめる。高さはさしてないのだが、山は切り立っているので、体力のない還暦目前の中年にはよい運動になった。

夏休みだから観光客もかなり来ていて、人混みを嫌い天守閣に登るのはやめた。城という巨大な構築物を間近に見るだけで、人類の複雑怪奇な歴史に思いを馳せるには十分だった。

昼飯は、精神障害の方のための作業所でいただく。ここの所長の方とはネットで知り合い、お会いするのは今回が二度目。

午後三時すぎのバスで松山へ向かう。

途中の田んぼと山、海の眺めもよく、岡山に午後六時半着。

そして商店街の横ちょにある素敵に小さなお店で、東京の知り合いのライブを観る。

いつもはギターのミニマルなインストゥルメンタルのみなのだが、この日は歌も二曲聴けてそれがまたよし。

地元の女性との掛け合いの二曲も素晴らしかった。

演奏終了後は店主・出演者・客のへだてなく、ゆっくりとお喋りをしながら時間を過ごした。

二十三時過ぎの夜行バスで東京・新宿に向かう。

今は朝の六時前、足柄で最後の休憩を終え、じき小さな旅の幕が降りる。

2024-08-28(水) 新宿・渋谷・世田谷、旅の終わりに

昨日の朝は東名から首都高にかけての渋滞に引っかかり、バスは四十分ほど遅れて九時過ぎ、新宿バスタに着いた。
前に東広島に一年半住んだとき、やはり夜行バスで久しぶりに新宿に着いたときは、初めてのバスタが物珍しくておしゃれなベーカリーカフェに入ったのを思い出す。
今回は山手線ももうラッシュは終わっているだろうと思い、新宿は素通りして渋谷に向かった。新宿南口から乗ったので、渋谷は銀座線口に出た。こっち方面はずっと来ていないので、工事中の仮設通路がどうつながっているのか、さっぱり分からない。井の頭線方面に行こうとしたら階段があるので、左に折れて旧東急プラザの方へ連絡橋を歩く。
用が足したかったのだが、旧プラザのビルは十一時まで開かない。仕方がないので地上に降り隣のセブンに行くが駅前の狭い店だから手洗いがない。裏手にコンビニがあったかと思い歩くが、コンビニは見当たらない。マークシティまで行くとダイソーがすでに営業中。こんなところにダイソーがあるのも知らなかったが、入ってみるとばかでかい。そこで用をぶじ済ませて、井の頭線の改札方面に歩いた。二階通路の岡本太郎「明日の神話」を久しぶりに拝む。
再び二階通路で旧プラザに戻って写真を一・二枚。地上に降りてセブンに寄り、朝飯として缶チューハイ・おにぎり・野菜ジュースを買う。
旧プラザの敷地の端っこで朝飯を済ませる。肌の黒い外人さんの女性二人連れが携帯とにらめっこしている。年齢に少し差があるのは、母娘だろうか、姉妹だろうか、それとも友だちか。
「どこに行くんですか(ウェア・アー・ユー・ゴーイン?)」と声をかけてみる。「ハ・シ・ク」という答えが返ってきたので、そりゃ分からんと思い、携帯を身振りで示すと地図を見せてくれて、ハチ公なのが分かった。
「オー、ハチコー・イズ・オーバ・ゼア」と言ってハチ公の辺りを指差すと、爽やかに「サンキュー」と言って二人は歩き去った。
人の助けができてこちらも爽やかな気分になり、新玉川線で駒沢大学へ向かう。いつもの道を歩いて実家に帰り、居間に一人いる母にただいまと言うと、「あら、としちゃん」と笑顔で手を振りながら迎えてくれた。

[表紙写真は名古屋の四間道]

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