15 たちつてきすとで、江戸弁、江戸川区、ぷち自伝。
さっき読んでた記事に標準語の成立、というか江戸ことばの歴史について書いてあって、もともと江戸の辺りに住んでた人は、〜ダベエとか、〜ダッペとか言ってたのが、家康がやってきたことで、西の言葉が混ざり込んで江戸の武士言葉ができあがった、というような話なのだった。
西の言葉の影響で「大きなアリがおります」となるが、もともとの江戸弁では「でかいアリがいる」となるとかいうのだ。
かつての東京オリンピックの年に、世田谷で生まれ育ったぼくは東京弁を話すわけたが、母親が文京区の下町育ちなので、やや下町の言葉が混ざっている。布団をひいてしまったり、常夜灯がジョヤトウになったりする。
ちなみにうちの母は、知らない人にでもぺらぺら喋りかけるので、子ども心に何だか恥ずかしい気がしたものだ。
世田谷辺りではそういう人はあまりいないのである。それが大人になって江戸川区に住んでみると、下町の人としてはそういう気さくさは割と普通なのだと知った。
小さな商店の人も人懐こく、世田谷辺りの礼儀正しいかもしれないけれど、どこかよそよそしい感じとは違う。
そういう下町の人情を味わって、ぼくはなんとなくほっとした。
母から下町の血を受け継いでいるのだなと思った。
江戸川に住んでいるときは、身体や精神の障害を持つ人のための作業所などとも関わりがあって、しかもぼくがお世話になったところは障害者を保護するべき存在と見るのではなく、ケアをする側も可能な限り対等に関わろうとするようなところだったから、日本社会の主流的価値観とはずいぶん違う空気を吸わせてもらった。
もともとr.d.レインなどの本には親しんでいて、精神医学や心理学にも興味があったが、現場で実際に障害を持つ人から学ばせていただいた経験は何物にも変えがたい貴重な経験である。
そういえば、その精神の界隈で出会ったメンバー(障害を持つ利用者の方のことである)やスタッフの人との交流を通して、文章を書いたり、ギターを弾いたりといった表現の活動をほそぼそとではあるが続けてきているわけで、江戸川時代なくして今のとしべえなしだなと、こうして振り返ってみて改めて思う。
何がたちつてきすとだかはまったく意味不明だが、辻潤に感化されてダダ風のナンセンスをもって大いによしとする気分なので、大してまとまらないままに今日の記事はこの辺で終わりとする。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
(北インド・ハリドワル、2021-09-02)
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