#8 だだだと文をこねる
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なんしろ字なんか書くって奴はいとも面倒くさいもんであるよ、みんなよくもまあながながとことや細かくつまんねえ屁理屈やつまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、すべったとかひっくりかえったとか凡そベラボーでちんぷでなさけなくはては臍茶なもんやないか
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-- 辻潤「だだをこねる」(昭和八年五月)
辻潤は、大正から昭和にかけて文筆によって身を立て損なった人物です。(なんて書いたら怒られちゃうかしら)
小学校の代用教員をしたり、3年ほど女子高の英語教員をしたほかは定職につかず、翻訳や売文のほか、尺八を吹いてあちこちと放浪し、友人からの喜捨によって何とか食いつなぎ、敗戦の前年、還暦を迎えた年にアパートの一室で餓死していたという不遇の人です。
無政府主義者(アナキスト)の知り合いも多い人ですが、活動家ではなく、無為徒食の世捨て人とでもいうべき人生を送っており、精神的な症状から入院した経歴もあるものの、ある種の境地に至っていることがその文章からはうかがわれ、その達観と世俗的な価値観を捨て去った姿勢に、ぼくのような世を捨てきれぬ半端者は、深く共感し、敬愛の念をいだくのです。
辻潤はダダイストを名乗った時期もあり、西洋の合理主義と効率主義を越えた地平で生きた人に違いないのですが、今風に言えば発達障害的な人物ということになるでしょう。
敗戦前年の昭和19年に60歳で亡くなったことは、当時の寿命を考えれば十分長く生きたとも言え、アパートの一室での孤独死という点では痛ましいものがありますが、世俗的関係を捨てた彼の心境を考えれば、むしろ静かな大団円と捉えたほうがいいのかもしれません。
辻の最期をこうして改めて考えてみると、芥川・太宰・三島という自死を選んだ文士たちと、山頭火や放哉のように放浪のあげく寺に住みついて死んでいった俳人の、はざまにある死の形という感があります。
そのどれもが、大きな苦しみを伴いながらも、それぞれの人生に苦労の末に打ちつけたピリオドの印なのだなと、そんな想いも湧いてくるのでした。
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今日は辻潤の随想を種にして、だだだと勢いよく文をこねてみようかと思ったのですが、辻の紹介文をこねることに思いのほか時間がかかって、自動筆記的な文章の湧出に回すエネルギーが出てきませんでした。
ダダという無意味性の芸術と、その後継の無意識を探るシュールレアリスム、そしてその方法論としての自動筆記など、種々雑多のお膳立ては無意識の領域に放り込んで、がらくた同士が化学反応を起こし、長期熟成されるのを棚ぼた式に期待しながら、本日の記事はこの辺で締めることにいたしましょう。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
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