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18 水溜りで昼寝楽しき豚の国 - なぜインドには野良豚がいるのか
北インドのハリドワルで寄宿しているヒンズー寺は、その周りがかなり広い空き地になっていて、その一部は駐車場として使われているのだが、ある部分はほとんどごみ捨て場と化している。
そして、そこに住みついている豚の一家がいる。
なぜインドに野良豚がいるのかは、やや不思議なことである。
多数派であるヒンズー系の人々はどちらかと言えば菜食で、間違っても聖なる牛は食べない。
また2番目に人口が多いイスラム系の人は普通に肉を食うが、間違っても不浄の豚は食べない。
そこでこの2つの文化が共存するインドでは、肉といえば基本的に鶏か山羊なのである。
したがってこの国には豚の出番はないはずなのだが……。
この野良豚の謎について、今まで見てきた範囲のことで勝手に推測してみると、
1. 豚は放し飼いではあるが、野良豚ではなく、飼い主がいる。(子豚を作の中で飼っている人がいたので、多分こういうことだろう)
2. ある街で豚を捕獲している風景を見かけた。多分あの豚はどこかに売られていったのだろう。
結論、一見野良豚のように見えるが、実際は放し飼いの飼い豚で、大きくなったらどこかに連れ去られて屠殺される。豚肉として流通するのではなく、加工されて輸出されるのではないかと、勝手に推測。
というようなことで、以上はインドの人に聞いた結果の話ではないので、すべて私の想像と妄想である。
極端なコミュニケーション障害系の人格を持つわたしは、この野良豚の問題の真相を知りたいという欲求は持つのだが、それをわざわざインドの人に聞いてまで確かめようとまでは思わないのである。
じゃあ、そんな不完全な情報に基づく妄想をこんなふうに書いて何になるのかって?
もちろん何にもならないのである。
役に立つとか、儲かるとか、知恵がつくという意味ではまったく何にもならないのだが、「小人閑居して不善をなす」のを防ぐためには多少なりと意味があるかもしれない。
つまりは、人生の空き時間を埋める詰め草としての、暇つぶしである。
心安らかに生きるためには、自分にとって満足のいく、無害な暇つぶしというものが実は大切なのだ。
情動を過度に刺激しない、あるいは刺激したとしてもそれがストレスの発散につながり、結果として心の落ち着きをもたらすような上質の暇つぶしは、あなたの人生に安らぎをもたらすだろう。
小説をはじめとする芸術や、宗教を含む様々な思想、心情、果ては経済学などの社会科学や最新の科学技術に至るまで、想念に関わる技芸の本質は、実はこの良質の暇つぶしという点にあるのだと、勝手に決めている。
もちろんこの小文は、多くの方にとってそれほど上等の暇つぶしとはならないであろうが、それはさておいて、自分のことなど棚に上げて。
以上、堂々たる巨体の豚が、空き地の水溜りで気持ちよさそうに寝ているのを見かけたことから小文をしたためることとなった。
それではみなさん、ナマステジーっ♬
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