「クオリティ」とどう向き合うか?
お疲れ様です。
仕事環境を改善する一環で、スタンディングデスクを導入し、それがハマりにハマって仕事が少し楽しくなっているとしぞーです^^
よく考えたら、自分には多動な性質があるわけですから、じっと椅子に座るよりもふらふらと動きながら仕事をした方が集中できるんですよね。
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろうか。
もう少ししたら新しいPCも届くし、本棚も一新するし、楽しみなことが多くてたまりませんね。
さて。
今回は「クオリティ」の話。
仕事をする上で、どの程度クオリティを追求すれば良いのかってかなり難しい問題だと思います。
そんな問題に対して僕なりに設定している解釈がありまして、今回はそれを書こうかなと思っています。
音声でも喋りましたので、よろしければこちらも。
それでは本編にまいります。
Twitterやってます。
ブログもやってます。
「クオリティ」の程度について
何かの作業を進めるにあたって、その作業(または成果物)をどの程度のクオリティで仕上げるか?悩む方って多いと思います。
悩まないとしても、実はその判断が良い結果につながっていたりとか、逆に悪い結果を呼び寄せていたみたいなことって少なくないんですよね。
個人的に、この辺りの調整をバチッとつけることによって、ビジネスの結果にも良い影響が出るし、個人的な成長にも大きく貢献してくれると思っていて「どうしたらクオリティに折り合いがつくのか?」については結構真面目に考えたりしています。
ということで「クオリティ」について考えていきたいんですけど、まずは両極端なパターンを例に出してその性質を探ってみることとしましょう。
「クオリティ」が高すぎる
クオリティに対して高い目標を持ちすぎた状態。
これを一般的には『完璧主義』と表現します。
『完璧主義』な状態においては当然高いクオリティの成果物が生まれます。また、より高い水準を求めているわけですから、必然的にそれを達成するために自身の能力向上が要請され、それに伴って成長のスピードが速くなります。
一方で『完璧主義』であるが故にいつまで経ってもコンテンツが完成しない・作業が終わらないという状態にも陥りがちです。
その対象が完璧に趣味の範囲を出ないものであればそれでも問題はないでしょう。むしろそれぐらい突き詰めて向き合った方が面白いかもしれない。
しかしながら、その対象がビジネスだった場合。
これは割と困った問題です。
『完璧主義』に陥ると、作業の質向上の代わりにスピードが極端に遅くなります。
ビジネスにおいてスピードの欠落は致命傷です。
経験からも、度を超えた『完璧主義』は身を滅ぼす傾向があり、あかんです。
「クオリティ」が低すぎる
一方で、クオリティに対して目標が低すぎる状態
一般的にこれを『雑な仕事』と表現します。
これはもうパッと見で悪そうですよね。
もっとクオリティを上げることができるのにも関わらず、それをしない。
ある程度の成果でどんどん次に進んでしまう。
当然、ビジネス全体の質も悪くなります。
とはいえ『雑な仕事』にもメリットはあります。
作業や成果物に対して一定の諦めを持つことによって、そこそこのクオリティで次の作業に進むことができるため、ビジネスのスピードがとても速くなるのです。
一昔前に「雑で良いから速くやれ」的な本が流行ったりもしましたが、ビジネスにとってのスピードは生命線みたいなところがありますので、まぁそれも間違っていないと思います。
しかし経験上、度を超えた『雑な仕事』は、その後に自分の首を絞めることになります。あんまり良くないです。あかんです。
ちょうど良いところを見極めたい
ということで、極端な『完璧主義』でもダメだし、極端な『雑な仕事』も当然ダメなんですよね。
だから、その中間地点にある「いい感じのところ」を見つけて、そこに対応した仕事をするのが理想なわけです。
つまり
クオリティの質をキープしたまま、スピードを損ないたくない
というワガママを通したいわけです。
とはいえ、そんな都合よく「ちょうど良いところ」が見つかるわけはありません。
いや確かに、きっとちょうど良いところはあるんですよ。
何かの作業をしているときに
「このぐらいのクオリティまでは追求した方がよくて、これ以上でも以下でも効果が薄れてしまう」
という「ちょうど良いところ」は確実に存在している。
でも、じゃあそれがどのぐらいか?と考え出すと、そこにおける尺度がないもんだからどうしても思考が散らばってしまうわけです。
同時に、一つ一つの作業に対して時間をかけながら「ちょうど良いところ」を探すのって、その調査に時間がかかっているから本末転倒な部分があるじゃないですか?
だから、
クオリティの質をキープしたまま、スピードを損ないたくない
だけど、その「そのちょうど良いところ」を見つけるために時間は使いたくないし、とはいえある程度の精度で「ちょうど良いところ」を見つけたい
というハイパーワガママを通したいわけです。
で、あくまでもこれは僕個人の非常に抽象的な考え方なんですけど「こう考えると意外と上記の欲望を満たせるよ」って方法論があります。
最善を尽くす
これです。
目の前の仕事に対して「最善を尽くす」
このような意識を強く持っておくと、結果的に
クオリティの質をキープしたまま、スピードを損ないたくない
だけど、その「そのちょうど良いところ」を見つけるために時間は使いたくないし、とはいえある程度の精度で「ちょうど良いところ」を見つけたい
が実現できることが多いのです。
「完璧にやる」でも「早くやる」でもないです。
「最善を尽くす」です。
これを意識して仕事をすると、多分ちょっとだけ良い仕事ができる。
とは言え、これだけだと抽象的すぎるので、もう少しだけ具体度を上げて考えてみましょう。
「完璧」というのは今目の前にある作業や成果物に依存した概念です。
例えば絵を描くとして、その絵においての「完璧」には絵というジャンルにおける「完璧」という意味があるじゃないですか?
「完璧な絵」を目指すならば、ピカソやゴッホあたりもライバルになっちゃうわけですね。目の前の仕事に対してそういう性質の「完璧」を求めるのはどう考えてもしんどいし、不効率です。
そうじゃなくて「今の自分」目線で考えるべきなんです。
(少なくとも)今の自分にとっての完璧。これだったら目指しようがあります。
「今の自分にできることを追求する」言い換えると「今の自分にできないことは追求しない」です。
目指すべきはあくまでも今の自分に可能な範囲の「完璧」であり、自分の能力や技術や知識をはるかに超えた領域に関してはなるべく触らないようにする。(贅沢を言えばちょっとだけ触ってみる。ぐらいが成長にとっては良いんですけど、ここでは触れません)
つまり「ちょうど良い完璧さ」は「今の自分ができることを実行し、能力・技術・知識的にできないことを無理にやろうとしない」と定義できるかもしれません。
次に「ちょうど良いスピード」について考えてみましょう。
ビジネスにおいて、スピードは速ければ速いほど良いのですが、スピードが速いために他の要素がマイナスになったら意味がありません。
そしてクオリティの低さはビジネス全体の質を著しく落とします。
ここでは深く触れませんが、特に今後のビジネスの世界においては「その人がどんなクオリティの成果物を持っているか?」がとても重要な要素になります。
スピードを重視しすぎた結果、クオリティが低いものに囲まれている状態ができました。というのは結構しんどい状態なんです。
まぁ単純に考えても、少し雑な作業をしてしまったことが後になって10倍ぐらいの面倒として返ってきた。みたいな経験って誰しもが持っていると思います。
だから、スピードは大事なんだけど、一定のクオリティは保つ必要がある。
そしてその「一定のクオリティ」とは先ほど定義した「ちょうど良い完璧さ」なんですよね。
それよりもちょっとだけ手を抜いただけで、基本的には損します。
以上のことを総合してまとめると、
「今の自分ができることを実行し、能力・技術・知識的にできないことを無理にやろうとしない」
逆に言えば
「自分にできることは(どんなに急いでいても)必ずやる」
という意識を持って仕事に取り組むことが、結果的に
クオリティの質をキープしたまま、スピードを損ないたくない
だけど、その「そのちょうど良いところ」を見つけるために時間は使いたくないし、とはいえある程度の精度で「ちょうど良いところ」を見つけたい
につながる考え方なのです。
そしてこれらの要素を一言で表しているのが
最善を尽くす
という言葉だと思うんですよね。
この言葉には「自分の中のすべての能力をぶつける」という強い意味と「でもできないことには一定の諦めを持つ」という柔らかい意味が含まれていて、すごく好きです。
まぁ、かなり抽象的かつ効果のほども測りづらい類の話なので、あんまりピンとこないと思うんですけど、
実際に毎日の仕事において
「目の前のことに最善を尽くそう」
「自分の最善ってどのぐらいだ?」
「やりすぎにもやらなすぎにも注意しよう」
って意識をしていると、きっと何か良い影響があると思います。
少なくとも、僕自身はそんなことを考えながら仕事をしていますし、それが長年食えている一つの秘訣だとも思っています。
何かしらの参考になるとすごく嬉しいです^^
それではまた次回。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?