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『後悔』のメカニズム



お疲れ様です。
多分この記事がアップされるのは4月中旬だと思うんですけど、記事を書いているの現在は3月中旬です。
2月の初旬に注文したMacBook Proが3日後にやっと届くということで、テンションがおかしくなっているとしぞーです^^

この1ヶ月仕事環境の再構築に取り組んでいまして、Macが届くとそれが概ね完了します。

気持ちよく仕事をするためにわりと考えぬいた環境なので、何か機会があれば紹介したいと思っています!


さて。

今回は『後悔』の話。


ビジネスである程度の結果を出している方に話を伺うと『後悔』みたいな要素がほとんどないことに気づくんですね。
(今年に入って全く活動していないですが、そうやってインタビューをコンテンツにしたチャンネルがあります。再会の予定も今のところありませんけど、よければご覧ください)



まぁもちろん「今うまく行っている」から「過去に後悔がない」という要素もあるのだと思うんですけど、どうもそれだけじゃなさそうなんですよね。

何か根本的に『後悔を感じないような性質がある』のではないかといつも考えていました。

で、今回したいのはそんな話です。


まず第一に後悔のメカニズムについて考えます。
当たり前ですけど、後悔はしない方がハッピーですよね。

後ろ向きな感情である後悔は、多くの場合何も生み出しません。
できるなら一生後悔せずに生きていたいわけです。

だから『後悔』の内実を検討してみて、それを排除できる要素に対してのアプローチを提案したい。


そして第二に、それがビジネスにも好影響を与えるという話をします。

前述の通り、比較的うまく行っている人には後悔が少ない傾向があります。

うまく行ったから後悔が少ない。
と考えることも可能ですが

後悔を感じずらい性質だからうまく行った。
という要素も絶対にあると思うんですね。

だから『後悔が発生しないようなアプローチ』は『ビジネスがうまく行きやすい性質の獲得』と関係しているかもしれない。

そんなことを検討していきます。


ぜひ最後までご覧ください^^


*ちなみに、僕は短期的には後悔ばっかりしています。
「家を出る前にあれやっとけばよかった」
「あの時にこう言葉をかければよかった」
「もう少し準備をすればよかった」
「大盛を頼まなければよかった」
多分、1日単位で100回は後悔しているんじゃないですかね?

ただ、その感情が継続しません。
昔からどんな感情も寝ると完全にリセットされます。
殺したいぐらい憎い人がいても翌日には無になります。
後悔も一緒で、どんなに激しく後悔したところで、寝たらリセットです。
それについて何にも感じなくなります。

これは「後悔する人」なんだろうか?
それとも「後悔しない人」なんだろうか?

謎です。



音声でも喋りました。


Twitterやってます。


ブログもやってます。



後悔の定義


まず最初に『後悔』の定義をしたいと思います。

後悔とは

過去にした行為・起きた事柄を「失敗」だと認識した上で
その「失敗」にネガティブな感情を抱いている状態

と定義して問題ないと思います。


例えば軽率な行動で友達と仲違いしてしまい、それを後悔しているAさんがいたとします。

この場合、Aさんは自身の軽率な行動を「失敗」とみなしています。
「失敗」とみなすからこそ、そこに負の感情が生まれるわけですね。

後悔のトリガーは「軽率な行動」で
後悔の間接原因は「仲違い」で
後悔の直接原因は「その状態に対する感情」なわけです。


この前提に立つと、後悔が現れる条件は

①失敗すること
②失敗に負の感情を抱くこと

この二つだと考えられますよね。


逆に言えば

・失敗しない
・失敗に負の感情を抱かない

この二つのどちらかが実行されれば、原理上後悔は表出しない。


もちろんそんな簡単な話ではないのですが、シンプルに考えるとこうやって仮説を立てることができそうです。


ということで、以上の仮説をもとに

・失敗が発生するメカニズム
・失敗を発生させないアプローチ
・失敗をマイナスに捉えるメカニズム
・失敗をマイナスに捉えないアプローチ

について検討していきたいと思います。


結果、そのロジックが『後悔をしない人』の分析になっていて、
つまりは『結果が出やすい人』になるためのヒントにもなるのだと思います。
(ならなかったらすんません)




失敗が発生するメカニズム



失敗はなぜ発生してしまうのでしょうか?

また、失敗を0にすることはできるのでしょうか?


失敗というのは選択に対する評価です。
何かの選択が前提にあり、その選択の評価の結果
失敗とか成功という概念が成立します。

『選択肢が前提にない失敗』

を想像してみてください。
多分、そんなの考えられないはずですから。


まぁすぐに思いつきそうなのは
「何も選択しなかったことに対する失敗という評価」
ですね。

実際、こういうパターンは多いと思います。

しかし、これも上記の条件に適合しちゃいます。

「何も選択をしない」というのは、意識的にか無意識的にか「何も選択をしない」という選択をしているわけです。
つまり「何も選択をしないという選択」に対する評価が発生してしまうのですね。


では『何も選択しない』ことは可能でしょうか?
これは考えるまでもなく不可能ですね。

生きている以上、人間は何かしらの選択をしなければなりません。
それが自由意志によるものなのかそうじゃないのかはあまり関係なく、
選択という行為は生に絶対的に付随するものなのです。

だから選択からは逃れられない。
選択を排除することで失敗を回避することは難しそうです。


では次に評価を排除することはできるでしょうか?
これも難しそうですよね。

僕らは、何かの物事を目の前にしたときに
どうしてもその対象を評価してしまいます。

そもそも事実を正しく認識するためには評価という行為が絶対に必要ですからね。
遠くから向かってくる車がどのぐらいのスピードで、どの方向に走っているのか?を評価しなければ命の危険につながる可能性もあります。

そう考えると評価も選択と同様に、人間に備え付けの性能っぽい。
つまり評価を排除することで失敗を回避するのは不可能そう。
(ちなみに初期仏教の教えではこの評価を捨て去ることが重要視されます。あらゆる評価から解放されれば苦しみは無くなります。これはロジック的にもめちゃくちゃ正しいです。しかしそれは至難の業なんで、ここでは不可能だとしておきましょう)


選択と評価を0にすることは難しそうなので、次に選択と評価が絶対にあるという前提で失敗の回避方法を考えてみましょう。


まずは選択から。

例えば全ての選択を最適に選び取ることはできるでしょうか?
生まれた瞬間から死ぬまで、無限にある選択肢に全部正解し続けて
なんの後悔もなく生を全うすることは可能でしょうか?

結論からいうと、それは可能です。
しかしそれを可能にするのは「選択の上手さ」ではありません。

冷静に考えるとわかるんですけど「正しい選択」って一体なんなんですかね?


例えばですけど、ドラクエ5というゲームがありまして。
このゲームでは物語中盤に主人公の結婚相手を選ぶイベントがあるんですね。

一人は幼馴染のビアンカ。
小さい頃に二人でお化けが出るお城を探検した経験もあります。
彼女のお父さんは病に侵されていて、そのお父さんの看病を続ける健気で強い女性です。

もう一人はフローラ。
お金持ちの家に生まれた生粋のお嬢様。
主人公とは数日前に出会ったばかり。
容姿端麗、お金持ち、まさに結婚相手としてのステータスは抜群です。


この二人の中から一人を選ばないといけないんですけど、これがまぁ意見が分かれるところでして、度々論争が起きるんです。
(僕が何派かは言わない)


で、この問題についての「正しい選択」って存在するでしょうか?
ビアンカを選ぶ方が絶対に正しい!みたいなことって言えないですよね。
もちろん誰それにとって正しいのようには表現できますが、どんな人にとっても正しいと言い切ることはどこまで行っても無理なのです。


同じことがあらゆる選択に適応できます。


だから、選択それ自体に正しいも正しくないもないんです。
同じ選択でもそれを感じる人によって、その正誤はバラバラに判定されます。

そしてその「正誤の判定」が『評価』です。


選択はそれ自体で価値を持ちません。
その選択を誰かが評価した時点で初めて価値が算出されます。

つまり選択という行為それ自体に失敗という要素は関連していない。
評価という行為に失敗という概念が付随していると言えるのです。

つまり『評価』にアプローチをすることで『失敗』を減らすことはできて、それができれば『後悔』も減らすことができるのです。




失敗にならないアプローチ


以上のことを考えると、まず重要だと言えそうなのが

「失敗はどこにでもある」

という認識です。


選択が必然な以上、それに伴った結果が必ず現れます。
全てにおいて完璧な選択をすることはできませんから、選択の連続の中では必ず意にそぐわない結果が排出されるのです。

そして、その結果を評価した際に失敗だと思えば、それが失敗になる。


こう考えていくと失敗するのは当然すぎることだって理解できますが、実際のところ多くの人はこのようには考えられません。

どこかで失敗は特殊なことだと思っている。

特殊なことだと思っているから失敗がクローズアップされて、そこに余計な感情を抱くことになるのです。


一方で失敗(の元になる結果)が当たり前の自然現象だと認識していたらどうでしょう?
きっと、それに対して余計な感情は抱かないと思うんですよね。

風が吹くことが何やら特殊なことだと思っていたら、風に吹かれたらイライラするのかもしれません。でも、風に吹かれてイライラする人はそういないですよね。なぜかというと、それは自然現象であり、当然のことだと認識しているから。

『失敗』に関してもそのように向き合えば良いんです。


まず大前提として失敗を当たり前のこととして認識する。

その認識ができたら失敗をニュートラルに受け止めることができます。


そしてできればそこからもう一歩先に進みましょう。
今度は失敗をポジティブなものとして受け止めるのです。


トライエラーという言葉がありますが、まさにこの概念は失敗をポジティブに受け止めるためのものです。

トライとエラーがくっついている言葉ですから、ここにおけるトライにはエラーが前提として内包されています。
もっと言えば「エラーを目的としたトライ」とも表現できるのです。

トライエラーの最大の目的は改善です。
何かのアクション(トライ)を起こし、そこから現れる結果(エラー)を受けて、改善点をあぶり出し、次のアクションを設定する。

つまり最初のアクションは失敗するために行っているわけですね。

失敗が現れなければアクションの意味がないのです。


だから、トライエラーという概念は原理的に失敗をポジティブに捉えています。


このトライエラーの感覚をしっかりと心に刻み込むと、それだけで『失敗』は圧倒的に減ります。
失敗はポジティブに評価された時点で失敗ではなくなるからです。

ビジネスでうまくいっている人に失敗が少ないように感じるのは、この要素によるところが大きいと思います。


とはいえ、人生における大きな決断における失敗に関しては少しだけ様子が違います。

例えば、誰かと結婚をするという判断をしたとしましょう。
そしてその判断がどうやら間違っていたみたいだと。

普通のトライエラーなら、悪い結果が出てもそのダメージは限定的です。
限定的なダメージを材料にもっと大きなリターンを得られれば、それでOKだからこそ失敗をポジティブに捉えられるわけですね。

でも、結婚とか住宅購入とか転職とか。
それよりも圧倒的に大きな判断の場合は、一回の失敗が取り返しのつかないダメージを生み出したりします。
この失敗に関してもこれまでと同様にポジティブに捉えて良いのか?

僕は捉えて良い。と思っています。


ビジネスのトライエラーで何かしらの失敗が発生し、それを改善することで同じビジネスでそれより大きなリターンを得る。のと同様に

結婚で大きな失敗をし、それを改善することで
同じ結婚でそれより大きなリターンを得る。ことは難しいかもしれません。
(だから大きな失敗は失敗として残る傾向がある)

しかし、トライエラーの本質はそこにはありません。


トライエラーというのはトライした事柄におけるクオリティの向上だけを収穫にするものではありません。

トライエラーを繰り返すことで、自分固有の『失敗の法則』『成功の法則』というもっと本質的な要素を学習していける。これが一番重要なことなのです。


そういう意味では、人生における大きな失敗というのは、そのダメージが大きいだけにより本質を感じ取れるチャンスが眠っている現象なのです。
だからどんなに大きな失敗をしたとしても(「死」だけは別です)
その失敗から残りの人生においてより大きなプラスを得るための要素を得ることは絶対に可能なのです。


こう考えていくと、もはや失敗にネガティブな感情を抱く必要がどこにもないことがわかりますよね。

少し語弊があるかもしれませんが、あえて表現すると

「失敗にネガティブな感情を感じるのは勘違い」

なのです。


ここまでの概念をしっかりと備え持っていると、そんじょそこらの失敗(とされるもの)で精神を乱されることはほとんどなくなります。




負の感情を感じる



失敗を失敗だと認識しなければ失敗は消え去る。
確かにそれは正しい気がするんだけど、実際可能かどうかと考えるとわりと難しいですよね。

手痛い失恋をした人に「時間が解決するよ」「異性は星の数ほどいるんだから」とアドバイスしても何も意味がないように、実際に感情が動いてしまったらロジックでは修繕不可能なことも多いです。

では、もう少しだけ「なぜ失敗に負の感情を抱くのか?」を考えてみましょう。


先ほど「失敗の手前には評価と選択がある」としました。
そして『評価』に関してのパラダイムシフトを行えば、失敗が必ずしもマイナスになるわけではない。むしろポジティブに捉えることもできる。そういう話でしたね。
しかし、評価については非常に精神的なものですから、ここに介入するのは結構難しいです。

では『選択』については何か介入の余地があるでしょうか?

これも先ほど触れた通り、毎回完璧な選択をすることは原理的に不可能ですから(失敗しない割合を増やすことは可能とはいえ)ここをどうこうしようとするのは苦しそうです。ただ、僕自身は選択には質があると思っています。

その選択に至るまでのプロセス。
これによって選択の質が違い、その質の違いによってその後に現れる結果に対しての評価が変化するのではないか?

具体例を挙げると

・誰かに言われるままにした選択
・自分で考え抜いてした選択

この二つによって同様の結果が出た場合、そこに対する評価は全く同じになるでしょうか?きっとならないんじゃないですかね。
多くの場合「誰かに言われるままにした選択」における失敗の方が大きな後悔を生むし、「自分で考え抜いてした選択」における失敗は許容できるのではないでしょうか?

このように「自分の考えなしで選択してしまったこと」「他者または自分の外の要因(流行など)で選択してしまったこと」など、何かしら自分以外の影響でなされた選択には後悔が付属しやすい傾向があります。(あくまでも私見)

評価のプロセス自体をまるっきり変えるよりも、選択の質を変える方が何倍も簡単です。



負の感情を感じないアプローチ



先ほどの話を総合すると、選択の質を変えるためには

・大事な選択は自分で考え抜いて行う
・周りに流されない(責任転嫁をしない)
・自分の判断に矜持を持つ

このような要素を持って選択をする習慣を身につければ、選択によって現れる結果に対してマイナスな感情が芽生える確率がグッと下がります。(0にすることはおそらく不可能)

「一つ一つの選択をちゃんと考えて行おう」とも言い換えられますね。
ここでいう「考える」は「論理的に思考する」という意味だけではありません。人間は論理と感情の生き物ですので、論理的に考える(どちらの方が自分にとって得か)のはもちろんのこと、感情的に考える(どちらの方が自分にとって気持ち良いか)のもとても重要です。

論理と感情を駆使して一生懸命考える、そして自分の選択を他者に委ねない。そうしてした選択に矜持を持ち、責任転嫁をしない。
こうした性質を備えていれば後悔はかなり減るはずですし、ビジネスでうまくいっている人はこうした性質を備えていることが多いです。



「後悔しない」はビジネスを前に進める



以上、後悔について勢いで検討してみました。

ざっくりまとめると

・失敗的なことは絶対に起こる自然法則だと認知する
・トライエラーを前提に選択を行う
・失敗を改善に繋げることで長期的にプラスに変換する
・他者に流されずに自分で考えて選択を行う
・その選択にプライドを持ち、責任転嫁しない

このような姿勢を持つことで、後悔を減らせる可能性があるという内容でした。


これをそのままビジネスに転換してみましょう。


ビジネスでうまくいくための姿勢とは・・・

・失敗的なことは絶対に起こる自然法則だと認知する
・トライエラーを前提に選択を行う
・失敗を改善に繋げることで長期的にプラスに変換する
・他者に流されずに自分で考えて選択を行う
・その選択にプライドを持ち、責任転嫁しない

そうですね。ほとんど違和感がないです。


こうして考えてみると『後悔をしない性質』が『ビジネスで上手くいく性質』と相関していると言えなくもなさそうです。


まぁ、これらの要素ってビジネスを長いことやっていると、少なからず身についていく要素でもありますので、現在うまく行っている人が最初からこのような性質を持っていたかどうかは検証不可能です。
(少なくとも僕はこういった性質を持っていますが、起業当初は持っていませんでした。10年を超える個人生活の中でじっくり醸成されていったものと思われます。)


ただ、少なくともこれらの要素を取り入れることに意味はあります。
ビジネスで結果を出すためには失敗をうまく付き合わなければいけないからです。

厳しいことを言うと、後悔をしている時点で明らかに失敗を誤認しています。

後悔は過去を見る行為です。そして過去は取り戻せません。取り戻せないものに時間をかけるのは(少なくともビジネス的には)不正解ですよね?

だから未来を見ないといけない。
未来を見るとは、失敗を次に活かす方法を模索することです。
そしてそれ自体がビジネスを前に進める原動力です。


人間は弱いので、後悔を0にすることはできないかもしれません。
でも、そこに対して争うことはいくらでもできる。
今回の記事が何かしらのアクションのきっかけになったら嬉しいです^^



以上!!

また次回お会いしましょう!!!


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