個人ビジネスの尊いところ
お疲れ様です。
洋服選びが下手なとしぞーです^^
この時期「半袖でいけるっしょ!」と家を出て
後から後悔することが多々あります。
さて。
今日は少しだけ難しい話をします。
とはいえ難しくは書かないようにしますし、内容自体は非常に重要なものですので、ぜひ最後まで読んでほしい。
結論としては「個人ビジネスの素晴らしいところ」を提示したくて、その過程としてカール・マルクスの【資本論】を取り上げます。
個人ビジネスにおける『労働』には一体どんな性質があるのか?
そんなことを考えながら読んでいただけると幸いです。
音声でも喋りました。
Twitterやってます。
ブログもやってます。
カール・マルクスについて、改めて説明する必要はないでしょう。
もし「初めて聞いた!」と言う方がいましたら、それは流石に不勉強なのでざっくりとした経歴だけは(wikiでも良いので)調べておきましょう。
超超一般教養だと思います。(ディズニーランドの長はミッキーだぐらいのレベル)
彼の書いた超大作である【資本論】は非常に難解な内容ですし、同時に過去の(現在もか)悲劇を引き起こした大元と認識されることもありますから、敬遠される方も多いと思います。
しかし、内容はとても示唆に富んでいて(アンチ資本主義な内容だからこそ)資本主義にどっぷり浸かった我々が、自分のバランスを確認するために非常に有用な書籍です。資本論の一巻だけでも良いから興味があればぜひ読んでほしい。
とはいえ、この記事では資本論に深く立ち入るつもりはありません。
難しい話もしませんので、どうぞご安心ください。
マルクスは労働についてめちゃくちゃ深く考えた人でした。
そしてこんな結論を出します。
「資本主義が進めば進むほど、労働はつまらなくなるよ」
流石にここまで簡略化するとほうぼうから怒られそうなので、もう少しだけ詳しく説明します。
マルクスは『労働の本質的な楽しさ』を4つ挙げます。
①自己実現
→人間は労働を通して自己実現する。
労働がなければ自身の個性や独自性を伸ばすことができない。
②他者の欲求に応える喜び
→労働の結果他者に喜びを与えることは、自身の喜びにもつながる
③他者の自己実現に自身が必要とされる喜び
→自分が不可欠だという認識は承認欲求を満たしてくれる
④人間関係の中で人間の本質を知る喜び
→労働を通じた人間関係においては、時に人間の本質を発見することができる
なんとなく納得できる理論ですね。
確かに仕事には上記のような喜びが内包されている気がします。
しかし、マルクスが言う『仕事』は僕らが想像する『仕事』とはちょっと違います。彼は僕らが想像するよりもはるかに原始的な仕事を想定しています。例えば、靴職人とか、パン屋さんとか。
何かの商品を1から作ってそれを自分で販売するような仕事。
そのような仕事には上記のような喜びがあると言っているのですね。
一方で現代の仕事のほとんどはそのような形をとっていません。
もちろん、それに近い仕事もあるにはありますが、仕事のほとんどは『分業』されています。
コンビニで売っているパンは、コンビニの店員さんが焼いたものではありません。パンを運んだのもパンを焼いた人ではありません。袋詰めしたのもパンを焼いた人ではありません。なんならパンを焼いたのは人ではなかったりします。
このように、資本主義の流れによって仕事は見事に分業されました。
マルクスはこのような未来を予見して『分業』によって現れる弊害を3つ挙げました。
1、あらゆるものの商品化
マルクスは資本主義において、あらゆるものが商品化されると考えました。人間の労働はもともと人生の一部だったはずです。大袈裟な言い方をすればその人の要素の一つであり、その人自体でもあった。
しかし、資本主義が進んだことで人間の労働は商品化され、売り買いする対象となりました。今では多くの人が自分の労働を切り売りして生計を立てるようになっています。
また、そのような商品化の影響で、労働における人間関係に市場の原理が適応されるようになりました。人と人は商品と商品のような関係を構築するようになりました。
当然、自己実現や他者の期待に答える喜びは感じづらくなります。
2、労働の成果からの疎外
資本主義において分業化が進んだことによって、僕たちは自分の仕事が何を作っているのかわかりづらくなりました。
例えば食パンのパッケージのデザインを作っている人がいるとします。その人は食パンを購入する人の顔を見ないし、もしかしたら食パンの味すら知らないかもしれない。もちろん抽象的な想像で顧客の喜ぶ顔を思い浮かべることはできるかもしれませんが、1から食パンを作って顧客に手売りする人と比べたら、その喜びには大きな差があるはずです。
このように資本主義における分業化によって、商品生産の成果から多くの人が排除されました。今している仕事が一体何になっているのか?何を生み出しているのか?それすら理解できないこともあります。
理解できたとしてもその成果に自分が貢献しているとは到底思えないような環境も数多くあります。
労働の成果から人間が阻害されたことによって、労働の面白さがなくなるロジックにはとても納得がいきます。
3、人間は機械の付属品になる
機械は人間の活動を助けるために生み出されました。
しかし経済が十分に発展した現在。商品化された労働者は機械が織りなすプロセスの一部として働くことになり、それはもう機械の一部として働いているのと変わりがありません。
実際、人間の仕事が機械に取って代わられるのはそういうことですし、ほとんどの仕事は機械で代用することができます。(今はまだコストが合わないフィールドが多数あるだけ)
プロセスの部分として組み込まれた労働を楽しいと感じるのは至難の業ですね。
マルクスはこんな感じで「資本主義はあかん!!」と声をあげました。
まぁ社会主義を提唱する人ですから、資本主義のどんな要素にも批判の意見を向けるのはわかります。
しかし実は「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミス(彼は当然、資本主義クラスタ)も資本主義における分業に対して「分業は人間の尊厳を奪う可能性がある」批判的な意見を残しています。彼の場合は「教育によってそれは解決可能」としていましたけど。
少し話をまとめます。
資本主義の発展によって僕たちは様々な恩恵を受けました。
だから、90%ぐらいは素晴らしいことです。
資本主義がなくなったら困るし(今更なくせないですし)
これからも続いてもらうことになるのだと思います。
しかし、それによる弊害も存在します。
資本主義の発展により仕事は細かく分業化されました。
そして僕たちは分業された一部分に労働として関わります。
これにより、その仕事がどんな価値を生んでいるのか認識しづらくなり
比例して労働に対する楽しみを毀損しているのです。
楽しいどころか苦しい思いをする人も少なくないでしょう。
そういう意味で、個人ビジネスは現在の一般的な労働に比べて、随分昔の労働っぽい要素を備えています。
もちろん、完全に成果を手中にできるわけではありません。
Amazonで転売をしている人なら、集客や顧客との窓口はAmazonが行うわけで、お客さんの顔が見えるわけでもありません。
しかしそれでも自分がやっている行為がなんなのかは理解しやすいです。
ビジネスの全体像を比較的把握しやすいですし、その分労働に楽しみを感じやすいのです。
もしそれでも楽しくないなら、さらに工夫することができます。
Amazonはどうやって集客をしているのか?自分が同じことをするには何が必要なのか?
商品はどうやって作られているのか?自分で商品を作ることはできるのか?
お客さんはどういう人たちなのか?自分で直接お客さんに販売することはできるのか?
このようにして新しい知識を身につけたり、ビジネスの質を高めたりすることで、より本来の労働に近い感覚を得られるようになります。
最終的にほとんどの工程を自分でこなす(もしくは知っている)状況ができれば、きっとその労働は現実的な実感を伴うはずですし、楽しいはずです。
実際、これまでやり取りをしたクライアントさんの中でも
「会社での仕事がつまらなかったけど、独立して毎日楽しい」
「勤めていたときには自分に価値を感じなかったけど、今はまぁまぁ自信がある」
「少なからず世の中に貢献しているという実感がある」
のような意見をいただくことが数えきれないぐらいあります。
一応補足しておきますが、別に勤めることを否定しているわけではありません。
勤めに比べて個人でビジネスを興すことは明らかに高いリスクを内包しています。
リスク管理をして安定した経営ができたとしても、勤めているときには感じようもなかった将来への不安を永遠に感じることになります。
だから勤めよりも個人ビジネスの方が圧倒的に優れているとは言わないし思ってもいません。あくまでも「労働の喜び」という要素においては個人ビジネスに論理的に分があるよねって話です。悪しからず。
だから今回の話は、個人ビジネスを選ぶ検討材料の一つにして良いと思うし、個人ビジネスをやっているんだったらそのメリットを生かさない手はないと思うんですよね。
せっかく仕事を楽しいと思える場所にいるんだから、つまらない仕事をしているのは勿体無い。
そして仕事を面白くするためには今回挙げたマルクスの指摘が、結構良いヒントになります。そんな意味でも参考にしてほしいなと思って書いた記事でした。
以上!
また次回お会いしましょう!!