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ちょっとせまくて、かなり深い
京都はちょっとせまい。
京都は右京区西院に生まれ育った僕は、大学生になったぐらいからそう感じるようになった。
僕の育った西向きのマンションのベランダから見えるのは、正面に嵐山、右手には左大文字。
ちなみにマンションの4階からでも天神川とか桂川の向こうにある嵐山が見える。今思うとせまいだけじゃなくてひくい。
山に囲まれたこの町は、地元ながらせまいなあ…と、僕は少し物足りなさすら感じていた。
22年も過ごした京都を離れて就職で東京に出る時は、地元を離れる寂しさもあったが、広くて最先端の大都会に出られることはとても刺激的でわくわくした。(本当は東京にはいきたくなくて、大阪がよかったんだけど。)
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京都では、お盆には五山の送り火で山が点火される(実は五山の送り火って名前だけど、実際は6か所燃える)。
ウチのマンションでは、左大文字に火がつく頃になると住民はみんな西大路通に出て、歩道に近所の人がわらわらと集まってなにか話しながら送り火を見る。
意味もなく西大路通が青信号になったらゆっくり渡ったりした。
もしくは、マンションの最上階の共用部から右大文字と妙法を見て、ちょっと見たら家に帰ってKBS京都の中継で火が消えるまで眺めてる。
僕にとってお盆の五山の送り火はそういう年一行事だった。
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国内外からこぞって人が集まる祇園祭。
祇園祭の時は四条堀川から東の道路が通行止めになる。
大学生当時、ピザ屋の宅配バイトをやっていた僕にとっては、四条油小路に住んでいる常連客のところに行くのにバイクを降りて押していかないといけなくて、混んでるしすごい厄介だな…って思ったのがすごく記憶に残っている。
祇園祭本番より、ちょっと前の6月ぐらいになると夕方にコンチキチンの練習がいろんな保存会の町内で聞こえはじめるのなんかは、すごく風情があって好きだった。
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京都では、遊ぶ場所が木屋町、河原町、新京極、寺町、御幸町の5本しかない。(そんなことはない)
中学・高校のときは河原町のラウンドワンか京劇ボウル、もしくは地元のカラオケ。
大学生になると木屋町で飲んで、みよしでラーメン食べて三条大橋のそばでだべる。
御幸町の古着屋とかカフェに行ってみるのも大学生ぐらいから。
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だいたいどこ見ても山だなー、
毎年同じような行事ずっと繰り返してるなー、
流行りものとかライブとかイベントそんなにこないなー、
でもまあ、地元ってどこもそうなんかなー、
って、22歳の僕は思ってました。
東京に住んで春になったら丸10年。
もともと毎年京都には帰っていたけど、結婚したことで妻と京都に行く機会も増えて、東京の人として京都に行く機会が最近増えた。
自分ひとりだったら、結局地元だなーって思いながら過ごしてしまうのだが、妻と一緒にいると、今まで知らなかった京都の深さに触れられることがわかってきた。
22年間暮らしていた当時は見落としまくっていた京都のおもしろいところ、暮らしやすさがさらにわかるようになってきた。
以下のnoteで京都の財政うんぬんと言っているけど、こんなことを調べるようになったのも、一度外の人になって客観的に、でも自分事として京都の事を考えられているからだと思ってる。
だいたいどこ見ても山だけど、The 都会な街にはない繁華街と自然の距離感の近さがある。
毎年同じような行事を繰り返してるけど、資本主義的なものとは一線を画す、文化を継承するプライドがある。
流行りもののイベントとかそんなにこないけど、そう簡単に変わらない器のでかさがある。
うちの地元はちょっとせまいのだが、新しいものを受け入れるが飲み込まれないしなやかな強さをもったまちである。
京都を離れて10年経ってその味わい深さに気づき始めている。
、、気づくまでに10年かかるのは時間かかりすぎやろ。
#京都偏愛 という投稿イベントを見かけたので、突貫で書いてみました。