通知表を読む

わたし苦手なんです。
子どもの学校の支度とか、プリント整理とか、その他諸々。
忘れ物がないようにチェックしたり、前日に時間割りを揃えたりがどうにも苦手で。


出来ない親で育たざるを得ない子たち

兎に角苦手であるが、長女が低学年の頃はなんとか必死に頑張っていた。
でも、結局頑張りはいつまでも効かず…。
わたしの出来が悪い分、娘達はすっかり自分達で支度をこなすようになって行った。

『生きる力が付いている。』

そう言えば聞こえは良いだろうが…。

出来ない自分を恨んだことは多々ある。
罪悪感に苛まれ、普通にこなせる親だったらどんなによかっただろうと…。

ちゃんとした親を持つ子を恨めしいとも思ったり。
我ながら歪んでるなー…。


息子とわたしでは限界がある

折に触れて話題に出しているが、息子は発達遅滞がある。
物事を覚えられず、また、思い出すことも困難だ。
だが、何も分からない訳ではないのだ。

やらなくちゃならないこと。
持っていかないといけないこと。
忘れたら怒られること。

宿題はやらなくてはならない。
でも自分にはできない。

息子に付いてわたしも必死にやっていた。
でも、やっぱりボロが出る。
出来ない。
出来ない。
出来ない。

わたしと息子は苦しむ。
でも、誰が助けてくれるわけじゃない。
限界はとっくに来ていた。

だらしない親

夫と再婚して決定的になった。
だらしない親…そのレッテルをはられるのにそう時間はかからなかった。

『新しい人が出来たから』
『男にうつつを抜かしてる』
『だらしなくなった』
『見てくれが派手になった』

わたしは今迄と何一つ変わらないのに。

離婚した。
シングルマザーになった。
可哀想。
1人で頑張ってて偉いね。

再婚した。
子どもたちの事考えてるの?
だらしない。
いい加減。
子どもが可哀想。

たった一つの事柄で世界は変わるんだと痛感した。

ツライわたしは誰に頼ればいい?

みんな、みんな知らないで勝手なことばかり言う。
長年のモラハラ被害でボロボロのわたしが夫と出会い支えてもらうことは悪なのだろうか?

『お母さんなんだから。』

その一言で片付けられてしまう。
お母さんが1人の人間としての感情を持つことは許さないのだろうか。

子どもを思ってないと言われたことがある。
だから子どもが荒れるんだと言われたことがある。
心配してくれているであろう、その言葉のナイフにわたしは殺される。
もうすっかり息の仕方は忘れてしまった。


出来ないを埋め合おう

今迄、自分がしなければならなかった事が苦手だと言うことを夫に相談してみた。

軽蔑されるかな…?
だらしないと呆れられるかな…?

いとも簡単に彼は言う。

『じゃあ、俺がやるよ。それで分からないとこは聞くから教えて。』

あっさりと言い放ち、息子の通知表を読みはじめる。
その柔らかい横顔を見た瞬間に自分の中のつかえていたものがサラサラと流れ出して行くような感覚がした。

『なんかね〜、カブの水遣りでね…』

嬉しそうに話し出す夫。

あぁ。

通知表を読む。

そんな簡単なことを簡単に出来ない自分がいる。
それを"簡単なこと"と、片付ける自分がいる。
自分では出来ないくせに。

『出来ないことは埋め合えばいいじゃない。』

そんな夫に今日も救われる。


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