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私の統合失調症の治療について。寛解へのステップは、思えばここが始まりでした。

寛解は限りなく回復に近づくもの。

例えば、
私の場合はこんな感じ。

統合失調症には、「完治」という概念がない。だけど、それは絶望的という意味ではありません。


自分の病気について。
私が、きちんと理解できるようになるまでには、少し時間がかかりました。

精神科病院に入院することになった私は、しばらく保護室で過ごしていました。
ここは、とても不思議な空間で、その時の感覚は今でもよく記憶しています。(その時の記憶は、別のnoteにて綴っています。)

統合失調症の病名を告げると、続けて、医師はこんな話をすると思うのです。

統合失調症は慢性疾患です。
つまり、この病には「完治」という概念がありません。
だからこの先、病とは上手に付き合っていきましょう。

そうすれば、
元の生活と変わらない日常が送れる方も多くいらっしゃいます。


で、結局…。

私はもう、治らない。

そういうことね?


一生病気と付き合っていく。
その意味もまるでわからない。

ただ、悲観的に、絶望的に。
もうこの先の全てを、諦めるかのように…。

悔しくて。
悲しくて。


だけど、それでも私は、

その時の自分。
その時の体験。
その時の景色。

何だか、今この状況の全てが真新しく、興味深くもありました。


入院してから1週間程が過ぎた頃でしょうか…。

保護室で過ごす毎日にも、少しづつ変化がでてきました。

行動範囲や行動時間は、1つづつ確実に増えていき、

15分
30分

ホール
食堂

と、「部屋」以外で過ごす時間を持てるようになりました。

ゆっくりと確実に変わっていく自分。それを受け入れるには、少し時間がかかりました。


せっかく外へ出ることが許された日も。

「早く、中に戻りたい。」

そう言って、部屋を出てすぐに座り込んでいたことを覚えています。


他人の存在や視線に。
騒々しく息苦しい空間に。

酷い眩暈を感じていました。


それから、
私は数カ月の入院生活の途中で、
保護室
閉鎖病棟
解放病棟
と、何度か病棟を移動しながら約4か月間を過ごしました。


次第に、病棟内で様々な方と話をする機会も増えました。

「今回は3回目の入院なのよ。」
と、ここに来ることの意味を教えてもらったり。

「私はもう、10年近くここにいるのよ。」
と、ここでの過ごし方を教えてもらったり。

「あなたは、何をしてここに来たの?」
と、私の妄想を興味深く聞いてもらったり。

そして、病棟内の様々な方と毎日の習慣を楽しむことも増えました。

早朝に、目覚めのコーヒーを飲んでいたり。
夜中に、こっそりと煙草を吸いに行ったり。

もちろん、他にも…。

話をする訳でもなく、ただ近くにいるだけだったり。
話をしても、まるで辻褄の合わない作り話だったり。


精神科病棟には、実に様々な方がいらっしゃいます。


女性も男性も。
私よりも明らかに若い方も。
私よりも歳上だと思う方も。

時には、
とても辛そうで。
とても苦しそうで。
とても不安そうで。

お互いに、そんな表情もありました。

だけど、入院期間中に知り合うことができた多くの方が、
自分の病気をきちんと自覚されていて、向き合おうとしている方でもありました。

同じ病。
だけど、それぞれに違う。


まずは、病気を自覚しよう。
そして、病気を理解しよう。


私の寛解へ近づくためのステップ。それは、きっとここから始まったのだと思います。

私にとっての寛解へのプロセス。
そのためには、予兆、早期発見、適切な治療はとても重要でした。


そして、
少し時間はかかりましたが、自分が安心できる状態をより良く保つための様々な調整。

現在、
医師は、私に投薬の必要はないと言っています。

しかし、それは決して完治ではありません。
そして、目指すのは薬をやめることだけではありません。

ただ、
今の私において、最も必要となるのは自覚とコントロールであり、投薬ではないということ。

そういうことなのだと思います。

頂いたサポートは、より沢山の方へお伝えできることを目指して、今後の活動に、大切に使わせて頂きます。