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【閉鎖病棟】⓪保護室で過ごす日のこと

わかったのは、私は、生きているということ。

よかった。
今は、それだけでいい。

そう言えば、病院へ向かうタクシーの中。とても寒くて、酷く喉が渇いていたのは、こんな妄想があったから。


私は、さっき死んだのよ。
今から、お墓に入るわ。

だから、

綺麗にお化粧をして頂戴ね。
沢山お水をかけて頂戴ね。

「自分」について、
とても冷静に、不思議と心穏やかでした。

既に、どこまでが現実なのか、
そんなことは、もう、どうでもよくなっていたのかもしれません。

ただ、とにかく今は、進めばいい。
そうすれば、きっと全てが戻る。

そんなこと思いながら、当時の私は、
「ぐるっと回って戻ってくるよ」
そう表現していたのだと思います。

母は、いつもその時の様子を、こう話します。

「あなたは、既に観念したかのようだったわ。
散々暴れて、きっと気が済んだのよ。」

確かに、
私は、そのすぐ後に自ら治療を望んでいます。

そして、精神科病院での入院生活が始まります。

まず、安全な病衣へ着替えをして。
そして、
何らかの処置があったのでしょうね…。

再び、私が感覚を取り戻した時は保護室で、しばらく私はここで過ごします。

私を刺激するもの一切を、排除したような空間。

呼吸の音。
病衣がすれる音。

聞こえるのは、
自分がここにいることで、作り出された音。

簡素な寝床。
手の届かない時計。

見えるもの、触れるものは、
今、確実にそこにあるもの。


この部屋で過ごすのは、1つ1つを確実に取り戻していくような感覚で。

とても不思議な空間でした。
とても不思議な時間でした。


まず、

ガラスの向こうに置かれた時計は、私には何の意味もない。
時々見ると、針の位置が変わっていたことが、ただ不思議でした。

トイレには、用を足したいと思えば座るが、水は流さない。
それでも、次に座る時には綺麗になっていたことが、ただ不思議でした。

私はその空間で、
ひたすら自分の抜けた髪の毛を拾い集めては、不安を感じていたのをよく覚えています。

私には、あとどれくらいの髪が残っているのだろう?


ところで、
私は、幻覚や妄想の内容、その時の場所や景色が、今も多く記憶に残っています。
しかし、何をたべていたのか、食についての記憶は、殆ど残っていません。

そもそも、きちんと食べることができていたのだろうか…。

もしかしたら、入院するまでの間。
症状が酷くなるにつれて、私は殆ど食事を摂っていなかったのかもしれません。

「必要な時は、ドアを叩いて教えてください。」そんなことを伝えられた気がするんです。

だから、
私は、何度もドアを叩きました。

髪が沢山抜けます。
人の声が聞こえます。
嫌な音が聞こえます。
だから、助けてください…。

用を足しました。
だから、助けてください…。

ここは嫌です。
だから、出してください…。

って。

だけど、叩いても叩いても、誰も来てはくれませんでした。

今思えば、これは当然のことだとわかります。
しかし、この時の私には、それらを理解するのに少し時間がかかりました。

そのうちに、
ガラス越しに小さく聞こえる時を刻む音。
定期的にすぐ近くで勢いよく流れる水の音。

私に、新しい音が加わるようになりました。
ただ、遠くに聞こえていた音は、いくつかがそのままでした。

でも、それは、
別の部屋にいる誰かが、ドアを叩く音。
別の部屋にいる誰かが、大声で叫ぶ声。

そういう事も、少しづつ理解できるようになりました。

そうか、
髪の毛は、毎日これくらいは自然と抜ける。
トイレは、時間になればきちんと流れる。

食べるものは、待っていれば出てくる。
白衣の女性は、待っていればまた来る。

「ドアを叩く事も、大声で叫び誰かを呼ぶことも、やめよう。」


部屋の外に出て、歯を磨く。
1つ、可能になった時。

やっと「私の部屋」を少し理解できたような気がします。



これが、保護室(隔離室)での日のことです。

もちろん面会は許されません。
しばらく会えない間、私はここにいました。


元気?
今、何してる?
暇なら出て
こない?

しばらく後になって、手元に戻ってきた携帯電話には、
思ったよりも未読メールは残っていなくて。

そんなものよね。
って、なんだか少し、気が抜けました。

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