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Vancouver物語13

【Vancouver物語13】  
**帰国編**

いよいよ出発の朝が来た。5時半に起床し、最後の荷物チェックを行う。朝食のために買っておいたお寿司は、どうやら子供たちが昨夜のうちに食べてしまったらしいので、朝食はなし。空港で食べることにした。6時30分にチェックアウトし、6時45分に送迎サービスのドライバーと合流。行きの送迎サービスと同じドライバーで少し安心した。

空港に着き、チェックインと出国手続きを済ませるまでに2時間ほどあったので、フードコートで娘と過ごした。旅行中、娘がずっと食べたがっていたティムホートンのドーナツをやっと食べることができた。娘のお勧めはとても美味しく、しっかりと味わった。同時に、旅行中はほとんど麺を食べず、スープもクラムチャウダーだけだったので、スープ麺が食べたくて仕方なかった。フードコートにはフォー屋さんがあったが、8時前から準備をしていたので8時にオープンするかと思いきや、実際には9時にオープンした。牛肉のフォーとシーフードのフォーを頼んだ。本場のベトナムと比べるのは申し訳ない味だったが、それでもスープ麺は美味しかった。1つ20ドル(約2300円)で、2つで5000円という価格だったが、すっかり金銭感覚が麻痺していて全く気にならなくなっていた。日本でも工夫次第では、このような価格設定にシフトできるのではないかと考えた。

そして、いよいよ出国手続きで娘とお別れの時が来た。1月に娘を成田空港から見送った時のことを思い出し、言葉にならない寂しさを感じたが、今回は少し違った。成長した娘と素晴らしいホストファミリー、多様で寛容なバンクーバーの文化に触れ、もちろん寂しさもあったが、どちらかというと娘を応援したくなる別れだった。あと4ヶ月、1年の留学期間の2/3が過ぎた。残りの期間でさらに多くのことを吸収し、色んな意味で成長して帰ってくることを期待している。そんな娘を家族全員で応援している気持ちで、ひとりひとりが娘とハグをして別れた。ゲートで娘が見えなくなっても、娘と息子の掛け合いが続き、ほろりとした最後だった。

もし娘がバンクーバーに留学しなかったら、私は一生この街に訪れることはなかっただろう。Vancouverは世界の多様性が寛容に集まった素晴らしい街だった(物価は高いけれど)。Vancouverに住む多くの人たちの気持ちが少しわかった気がする。そして、正直、日本に帰るのが億劫に感じた。日本のポテンシャルを認めつつも、どこか終わりに向かっているような感覚を抱いてしまう。そうならないように、楽しく街づくりをしたいと思うが、その「そうならないように」という思いから変えなければならないのかもしれない。


アシックとリアンナに「趣味は何か?」と問われたとき、自律自転の街づくりやコミュニティづくりが趣味とは言えなかった。自分のワクワクを簡単に説明できないもどかしさを感じたが、歌や絵を描くことが趣味という生活も悪くないのかもしれない。金持ちも浮浪者もドラッグクイーンも、顔中にタトゥーを入れた人も、何のために生きているのか?その日その日をどんな気持ちで過ごしているのか?日本とバンクーバーの違いは何か?このモヤモヤを次に繋げていきたい。

来年はカンボジアに行く。あの地にあの人に会いに。それまでに世界はどう変化するのか?その変化の中で私たちの生活はどうなるのか?高く深い視座と広い視野を持って、いかに今を生きるのか、波を感じ乗れるのか、試される時代だと感じている。隣には息子の健やかな寝顔、そして笑顔。子供たちの未来へ、そっと背中を押してあげたいと思って窓の外を見ると、雲がサムズアップしていてそっと私の背中を押してくれた。

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