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【研究と報告】 大阪池田小事件と宅間守と創価学会* 


    【研究と報告】
         大阪池田小事件と宅間守と創価学会* 
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    【key words】Ikeda elementary school, Spree killer, Psychopathie,  Mamoru takuma,  Soka-gakkai
     
    【はじめに】
     大阪池田小事件(2001年6月8日)
     この事件もスプリー殺人の典型的事例とされている。出刃包丁を持った男1名(宅間守・当時37歳)が、2時限目の授業が終わりに近づいた午前10時過ぎ ころ、自動車専用門から校内に侵入し、校舎1階にある第2学年と第1学年の教室などにおいて、児童8人を刺殺し、児童や教員10数人を傷害した。2003 年8月28日に大阪地裁は死刑を言い渡した。死刑確定から1年未満の2004年9月14日、執行された。(犯罪学雑誌:第74巻、第6号:2008)
     
    【生活歴】
     宅間守は刑務所入所と精神病院措置入院を繰り返していた。精神病院には中学生時代から強姦事件を繰り返し起こしたため、通院薬物療法及び精神療法を受けていた。そして父親と極めて不仲であった。両親は熱心な創価学会員であった。
     高校を中退した後、いつもの激しい暴力を伴った強姦事件を起こす。この強姦事件では被害者に告訴される。宅間守は精神病院を受診し、統合失調症の診断を 受け、閉鎖病棟に入院させられ、いつ退院できるか分からない状況に陥った。抗精神病薬の投与量は大量であった。
     統合失調症ではない健康な人ならば少量の抗精神病薬の投与によっても激しい倦怠感のため、長時間、横臥せざるを得なくなるものである。抗精神病薬はベン ゾジアゼピン系抗不安薬と異なり耐性は付きにくいため、いつまでも抗精神病薬の副作用に苦しむはずである。そして統合失調症ではない健康な人に大量の抗精 神病薬の投与は不可能である。もしも統合失調症ではない人に大量の抗精神病薬の投与をすると何日も昏睡状態に陥って横臥し続けるものである。
     ところが統合失調症の患者は普通の人間が服用するととても仕事などができない激しい倦怠感に襲われるにも拘わらず、ほとんど平気である。それどころか幻 聴や妄想が無くなり、却って明るく元気となる。ここで統合失調症との確定診断がつくものである。これは脳内ドーパミン系などの過活動が正常化されるためと 説明されている。
     宅間守は抗精神病薬の副作用にあまり苦しまなかったらしいことを考えると統合失調症であったことの確定的な証明になる。少なくとも脳内ドーパミン系などの過活動がそのときには存在したことの証明になる。
     この入院中、宅間守は五階屋上から飛び降り自殺を図る。しかし奇跡的に下顎骨骨折と上顎骨骨折のみであった。
     池田小事件の検察官は、この入院中のエピソードを強姦罪による逮捕・有罪判決を逃れるために精神病者を装ったもの、すなわち詐病で、飛び降りも自殺目的 ではなく、病院からの脱走目的としている。しかし、当時のカルテにも、その後の診断書にも宅間守の病名が一貫して統合失調症と記載されていること、実際に 強力な抗精神病薬が投与され続けていたこと、精神科医を騙して統合失調症の診断名を得ることは不可能であることを考えると、詐病ではない。実際に、少なく とも当時、統合失調症の症状を呈していたことは確実である。
     そして宅間守は先の激しい暴力を伴った強姦により3年間、奈良少年刑務所に服役している。初犯で、初めての服役であるにも拘わらず、仮釈放の恩恵も受け ず満期出所であったことは、入所中の行状がよほど芳しくなかったか、言葉の上だけでも改悛の情を示さなかったことを意味するものである。また、この服役期 間中に宅間守は両親に金銭的な要求をし、父親によって勘当された。
     宅間守は1999年に小学校教諭4人に差し出したお茶に抗精神病薬を混入させた事件で措置入院になっていた。このときは統合失調症に罹患していて心神耗弱状態とされたため、不起訴処分になっている。
     そしてこの措置入院は39日とあまりにも短く終わっている。精神病院といえども、あまりに凶暴な性格の宅間守を入院させておくことが困難であったのであ ろう。退院時の診断名は統合失調症ではなく妄想性人格障害と変わっていたが、これはこの極めて面倒な入院患者を退院させるための策略であった可能性または 担当の精神科医の誤診であった可能性は高い。また、この39日間の入院中に兄が自殺した。享年42歳であった。母親が統合失調症であり、事件当時、精神病 院に入院中であった。母親は宅間守が24歳の時、統合失調症を発症したが、頑固な父親が自宅で10年間、面倒を見ていた。しかし、10年後、父親は母親を 精神病院に入院させた。母親が精神病院に入院して3年後に池田小事件が起きた。
     退院より半年後、精神障害者保健福祉手帳の交付を申請し二級の手帳を取得している。精神障害者保健福祉手帳の二級を取得することは統合失調症または最重 度の妄想性人格障害でないと取得することは不可能である。中等度の妄想性人格障害という診断では三級の精神障害者保健福祉手帳を取得することが限界であ る。   
     宅間守は性格が極めて粗暴であり、職場でもトラブルを頻繁に起こし、転職を繰り返していた。離婚も3回し、4回目の妻も宅間の暴力と金をせびる習癖に耐えかねて5ヶ月後には離婚した。すなわち宅間守は離婚を4回したことになる。
     1999年の措置入院の後、宅間守は精神病院への任意入院(自ら望んでの入院)を三回繰り返していた。そして四回目の任意入院を予約している間に、池田小事件を起こした。
     池田小事件の起こった2001年には、司法書士の学校に通ったり、訴訟を起こしたり、精神科医の偽の名刺を作ってお見合いパーティーなどでナンパを繰り 返したり、数週間家に引き籠もって飲まず食わずの生活を送り、何回か精神科病院に短期間入院したり、ソーシャルワーカーにSOSの電話をしたり、その間に 数回の自殺未遂を繰り返したりしていた。このように軽躁状態と鬱状態の両面が現れていた。
     宅間守は統合失調症、妄想性人格障害、反社会性人格障害、境界性人格障害などの合併であると考えられる。精神鑑定に於いて一つの病名を示すようになって いることは精神医学を知らない裁判官の無知である。一つの病名に限定することが困難であることが多い。精神疾患は合併することが多いものである。宅間守は その他に気分障害(双極性障害)、不安障害、向精神薬依存症も合併していたと言われる。
     
    【創価学会との関係】
     雑誌に載っていた宅間守の部屋の中央に御厨子が置かれており扉が開いていて中の御本尊が写真に写っていた。この御本尊は日顕上人の御本尊であり、当時は 創価学会が宗門より破門され、創価学会独自の御本尊を配布され初めて数年が経っており、創価学会は日顕上人の御本尊の回収と創価学会独自の御本尊の配布を ほぼ終了していた。
     日顕上人の御本尊が宅間守の部屋の中央にある御厨子に懸かっていることより山崎正友氏は法華講員または妙観講員であることを疑い本山に問い合わせた。し かし(創価学会・公明党の犯罪白書:山崎正友:第三書館:2001:p39)において「本山の名簿に宅間守の名は載っていなかった」と書かれている。山崎 正友氏は日達上人と非常に親しく、本山(宗門)に非常に近い存在であり、法華講総講頭(法華講で最も高い位)にまでなった人物である。本山に宅間守が法華 講員または妙観講員かどうかを非常に詳しく調べさせたと推測される。本山は宅間守のことについて間違いの無いように綿密に調べたことは確実である。
     宅間守のような極めて粗暴な性格の者には創価学会員であっても「決して近づくな!創価学会員と見なすな!創価学会に大変な迷惑がかかる!実質上、創価学 会員ではないと見なせ!」と内部伝達され、放置されるものである(誰見境なく折伏することが昔は多かったため、こういう学会員は多いのである)。御本尊が 日顕上人のものであったことは放置されていたからである。また、母親は事件の13年前に統合失調症となり、以来自宅で父親が付きっきりで看病していた。後 に父親が音を上げて精神病院入院となるが、父親は10年間、母親を一人で看病していた。そして事件が起こったときは母親が精神病院に入院して3年が経過し ていた10)。
     御厨子が開かれていたままだったということは、宅間が勤行唱題中に急性精神病状態に陥り、御厨子を閉める余裕無く、車に乗り大阪池田小へ向かったと推定 される。普通、勤行唱題が終わると御厨子は閉めるものである。(筆者注:一般の人は御厨子は普通は閉めておくものという認識がないため、宅間守が勤行唱題 中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったという意見は未だ全く見られない。数多い宅間守についての論文に於いて、このことに言及しているものはな い)
      両親は熱心な創価学会員である。宅間守は勤行唱題中に祈祷性精神病すなわち急性精神病状態に陥ったものと推測される。
     会合にも参加していなかった。すなわち連絡が来ていなかったと推測される。あまりにも性格粗暴(精神異常)で同じ学会員として扱うことに男子部の幹部が拒否(反対)したものと思われる。
     “妄想性人格障害”という診断は誤りである。精神科医は普通、統合失調症という在り来たりの診断名は付けたがらない。普通の人が分からないような診断名を付けようとするものである。
     学会員も近寄り難かった(仲間であることを拒否した)ことは容易に推察できる。
     そういう精神障害者は創価学会員にはたくさん存在する。それは池田大作が創価学会に招き入れた“魔”によるものと考えるしかない。それほど創価学会には 精神障害が極めて多い。創価学会員が三百万人としても、その割合は異常と言えるほど多い。
     重度の精神障害者は創価学会としても会合に来て貰っては迷惑である。自分の過去の経験からしても、そういう人は会合には呼ばないし、会合に来ることを遠 慮して貰う。第一、宅間守は学会の組織に付いていなかった(付かされていなかった)。故に、御本尊が日顕上人の御本尊のままであったのである。
     第一、創価学会員は三百万人。法華講員は二十万人である。そして創価学会には精神障害が非常に多発していることを考慮しなければならない。
     死刑の判決を受けたとき「池田先生、バンザーイ!」と叫んだことは有名である。宅間守は生活の苦しさと遣り場のない苦しさから創価学会の信仰を熱心に 行っていたと思われる。それは部屋の中央に御厨子が扉を開けて置かれていたことからも推察される。または幻聴に苦しみ、神仏に頼っていたとも思われる。
     ただ、性格の余りもの凶暴さと強姦などの犯罪を繰り返し刑務所と精神病院措置入院を繰り返していることから、創価学会員は創価学会の幹部より創価学会に迷惑をかける要注意人物として接触を禁止されていたと推定される。
     宅間はインターネットにて創価学会を誹謗中傷していたということであるが、妄想性人格障害と診断されていることからも創価学会員から接触を拒否されてい ることを強く恨みに持ち、または統合失調症の被害妄想のために、また熱心な創価学会員である父親への憎しみのため、インターネットにて創価学会を誹謗して いたと思われる。
     
    【おわりに】
     宅間は小学生の時に大阪教育大付属池田中学への進学を望んだが母親がお金を出してくれないため断念したとされている。しかし、大阪教育大付属池田中学は 難関であり、普通の小学校ではクラスで1番でも合格することは困難であり、学年で1番か2番でないと入学できない難関である。宅間守が勉強がそれほどでき ていたとは考えられず、宅間守が大阪教育大付属池田中学への進学を望んだということは事実ではないと思われる。
    「家庭が安定し、恵まれ、勉強できた人間でも、アホで大怪我して展望のない腐り切った自分のようなおっさんに、たかだか5~6秒で刺されて死ぬ。そんな不 条理さを分からせてやりたかった。いくら勉強ができようが、いつ死ぬかわからんのが人生。世の中、勉強だけじゃちゃうぞ、と一撃を与えたかった」「そこら の子を殺すより、裕福で頭のええ、将来有望な人間を殺す方が自己満足がある」と宅間は公判で述べている。
     
    【文献】
    1)岡田尊司:自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム:医学書院、1994
    2)岡田尊司:パーソナリティー障害、PHP新書、東京、2001
    3)岡田尊司:人格障害の時代:平凡社新書:2004
    4)岡田尊司:パーソナリティー障害がわかる本:株式会社法研:2008
    5)笠原嘉:精神病、岩波書店、東京、1998
    6)松下正明:新世紀の精神科治療(5)、現代医療文化の中の人格障害:中山書店、東京、2002
    7)福島章:犯罪精神医学入門:中公新書:2005
    8) 福島章:精神鑑定 脳から心を読む:講談社:2006
    9) 岩波明:精神障害者をどう裁くか:光文社新書:2009
    10)殺ったのはおまえだ:「新潮45」編集部:新潮社:2002
    11)中谷陽二:精神鑑定の事件史:中公新書:1997
    12) 磯部潮:人格障害かもしれない:光文社新書:2003
    13) 伊東高麗夫:病跡学とオカルト:勁草書房:1980
    14) 中安信夫:初期分裂病/補稿:星和書店:1996
    15) E.クレッチュマー:天才の心理学:岩波書店:1981
    16) DSM-4-TR、精神疾患の分類と診断の手引き:医学書院、東京、2007
     
    *An incident Ikeda elementary school, Mamoru takuma, and Soka-gakkai
    **どんぐり病院(〒000-0000 どんぐり市どんぐり町000-00)

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toshiro man 
ありがとうございます。