見出し画像

PBR1倍割れ企業はなぜ放置されるのか④:企業版セルフアサーションのすすめ

本テーマの最終回です。第1部はPBR1倍割れとなる投資家心理、第2部第3部はPBR1倍割れ企業の構造的問題点について書きました。今回は、①企業側でできること、②投資家側からの着目点を整理します。

IRの充実は「株価の下支え」効果には有用

PBR1倍割れへの対応が注目されてから、IRの重要性も指摘されてきました。特に製造業では重要です。世界シェアトップ3に入る製品をもつ製造業は多数ありますが、英語版IR資料は日本語版に比べてスカスカで魅力が伝わりません。とはいえ、IR人材を10人単位で抱える余裕のある企業はともかく、そこまで人手と費用をかけられない企業が多数でしょう。英語リリースが一部に限られるのも理解できます。他方、「良いものを作り、売っていれば、皆分かってくれるはず」という感覚も垣間見えます。

第一部で「投資家は『他の投資家の見立て』を気にする」と述べました。資金力があって機敏な海外投資家は「割安ならリターンが確保しやすいから、他の投資家に先んじたい」という思惑をもっています。そのような投資家にとってPBR1倍割れ企業は魅力的です。ただ、PBR1倍割れ企業は概して英語での情報開示が少なく、海外投資家も投資先の魅力を自分と投資委員会に納得させるだけの情報の収集に苦労します。

逆に言えば、発信の充実だけでも注目度は変わります。例えば、日本首位・世界4位の塗料会社である日本ペイントHDさんの場合、かつてのIRは伝統的製造業らしい控えめなものでしたが、現在は開示情報を日英で充実させ、第三者機関から高く評価されています。2016年5月の英語版資料と2023年4月の英語版資料を比較頂けるとご理解頂けるでしょう。同社は、アナリストミーティングもセル・バイ向けにそれぞれ開き、社外取締役によるQ&Aセッションも行っています。結果、ノルウェー政府基金やシンガポールGICなど海外の有名機関投資家からの注目も高まり、株価を下支えしています。

投資家と企業の間の「情報の非対称性」が高まるほど、投資行動の不確実性は高まります。ハイリスク・ハイリターン志向の投資家からすれば情報非対称性が大きいほど他の投資家を出し抜けますが、それでもリターンがとれるかどうかの情報が無ければ投資決定はできません。
IRは情報の非対称性の解消に効果があります。企業側が株価を下支えしてくれる投資家を重視するのであれば、競争優位を失わない程度の情報開示により非対称性を減らすことが肝要です。情報の非対称性が減るほど、投資家は「他の投資家の見立て」を気にする必要もなくなります

建設的な対話の方法:ラポールとアサーション

もとい、IRは情報を伝え、対話するためのハードウェアに過ぎません。ソフトウェアである「情報の中身」と「対話の方法」が大切です。
情報の中身はTMTと現場で練り上げれるかどうか次第で、シンプルです。一方、「対話の方法」は、投資家側はスチュワードシップ・コード、企業側はコーポレートガバナンス・コードにあるものの、基本的なマナーを示すのみで(これだけでも有用ですが)、方法論には触れていません。投資家も企業も個性があり、対話する人間にも個性がありますので、方法論も多種多様になり、ルール化できないのも自然なことです。

私が残念に思うのは、メディアで、投資家と企業のバトルがクローズアップされ過ぎるきらいがあることです。強圧的な投資家が相手にお構いなく株主還元策を要求⇒企業が防衛策を打ち出し、対話を拒否するか自社経営の正当性のみを主張⇒投資家が経営陣のすげ替えを要求⇒プロキシ―ファイト…。「いつか見た風景」がメディアで強調されてきたためか、投資家に対して最初から構える癖がついている企業の方も見受けられます。
投資実務の現場では、日系運用会社も外資系運用会社ももっと穏やかに進めます。機関投資家の中には、対話する人の個性に依存せず、一貫性をもたせるために対話の進め方を標準化する投資家もいます。例えば、大和アセットマネジメントさんアセットマネジメントOneさんの資料は、対話方針を分かりやすく説明されています。

投資家側の悩みの一つは、対話が、本当に企業の役に立っているのか、企業は関心をもって聞いてくれているのかが分からない点です。運用会社の方々はこの点について異口同音です。「結局バリュエーションだけで投資している」ファンドマネジャーさんもいらっしゃいます。投資家側がそう思ってしまう理由は、企業側、とりわけ経営トップの投資家側に対する疑心暗鬼や防衛本能ゆえではと私は考えています。

投資家はラポールの形成を

この緊張関係を解消する唯一の方法は、企業と投資家の間で安心して話せる関係「ラポール」を構築することです(ラポールについてはHRプロさんが分かりやすく整理されています)。投資家は自らがカウンセラーになり、経営トップの言いたいことをまず傾聴し、聞いた話を整理して経営トップに戻す、というプロセスを繰り返すことです。その中で投資家側も「私は第三者的にこう考える(I message)」と支援的なメッセージを伝えます。
経営トップ以上に自社のことを知っている投資家はいません。自社が何をすべきか、一番考え、悩んでいるのは経営トップです。答えは心の中にあり、それを言語化し切れない、言語化できていてもどう伝え、実行するかが整理し切れていないだけです。
この投資家の役割は、社外取締役においても同様です。前編の最後にご紹介した創業社長さんのお話のように、経営トップと社外取締役の間でラポールを構築することで、結果的には、経営トップと投資家(および取引先)との対話も建設的なものになっていきます。

経営トップはプレゼンではなくアサーションを

企業側、経営トップも伝え方に工夫が必要でしょう。カウンセリング心理学では、セルフ・プレゼンテーション(self-presentation)とセルフ・アサーション(self-assertion)という言葉があります。自分の考えを相手に伝えることでは共通しますが、相手の立場を考えるか否かの点で異なります。前者は「相手がどう捉えるかに関わらず、自分の考えを主張すること」で、後者は「相手の立場や考えを理解しながら、自分の考えを伝えること」です。

私は、日本の上場企業のIRがセルフ・プレゼンテーションに寄っている印象をもっています。企業は自社の実績と計画を一方的に伝えるだけです。Q&Aセッションもあっさりです。投資家や取引先など「カメラの目」は気にせず、外の知見を得ようとする気持ちはあまりないのでしょうか。
機関投資家向け説明会に参加を認めるアナリストを選択する企業もあると聞きます。セルフ・プレゼンテーションに不都合なのでしょうか。そのような企業は、スチュワードシップ・コードに従って機関投資家が対話をしようとしても、暖簾に腕押しかも知れません。

IRで望ましいのはセルフ・アサーションです。投資家が自社にどのような期待をし、どのような情報を望んでいるかに関心を寄せた上で、経営トップが自ら語ることです。相互尊重の対話が基本です。対話の中身についてお互いが納得できるとベストですが、見解の相違があっても仕方ない、お互いの立場や考えの違いを認めるスタンスも大切です。
経営トップは、投資家の考えに全面同意し、従う必要はありません。投資家は、限られた開示情報や人伝の非公式情報をもとに推論で話しかけてきています。情報の非対称性ゆえの誤解・誤謬もあるでしょう。実務的にも、投資家の全ての意見やリクエストに対処し始めるとキリがありません。

経営トップの方がアサーションする上でもう一つ大切なことがあります。目の前の投資家やメディア記者の「向こう側」にいる、個人・機関投資家、読者・視聴者に語り掛ける意識をもつことです。ビジネスコミュニケーションを研究されている法政大学の中谷安男先生によれば、「向こう側にいる人に語り掛ける」意識は、欧米の政治家や大企業経営者がスピーチやディベートでよく訓練されることだそうです。投資家やメディア記者は「仲介者」に過ぎません。一流の投資家やメディア記者はそのことを弁えています。

PBR1倍割れをクリアできるか:着目点

PBR1倍割れが続く理由は複合的なものです。①業績改善のための外科的処置もさることながら、②持続的に組織を活性化し、強くするための内科的処置も十分になされていないかも知れません。③情報の非対称性が大き過ぎ、経営陣の考え、企業の将来が見えないこともあります。④経営トップの発信力、投資家との対話力もあるでしょう。
以上を考えれば、PBR1倍割れ企業の中で投資する価値があるか否かは自ずと決まってきます。バリュー投資家が好む指標(PER、EV/EBITDA、配当利回り、ネットデット、総資産・現金同等物割合、営業利益率)や、業績に影響する経済金融政策動向とともに、見るべきチェックポイントは三つです。

1.外科的・内科的処置を公表し、継続的に取り組んでいることが窺えるか
2.処置の現状や将来について経営トップがアサーションしているか
3.情報開示が進み、「他の投資家の見立て」を気にする必要がない状況か

(写真:セントルシアの世界自然遺産・ピトン山)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?