ヘルシンキ首都圏に移る
フィンランドの会社には基本的に転勤はありません。もし会社からどこかの街に転勤するよう指示されたら、フィンランドの人たちはその会社を辞めて他の会社に転職すると思います。
私は2018年3月に日本からフィンランド北部の町オウルに移り、そこで2年働いた後ヘルシンキの隣のエスポーに移りました。しかしそれは転勤ではなく、ヘルシンキ首都圏に住みたかったから自主的に移りました。今回はその時のことを書いてみます。
オウルに1年以上住んで「南下したい」という思いが強まる
フィンランド北部の町オウルの会社に転職して良かったことは季節によってはオーロラを見ることができたことでした。まさかオーロラを肉眼で見られるとは以前は考えてもみませんでした。オウルでのオーロラ体験については以下の記事をご参照ください。
またオウルのオフィスにはサウナ付きの会議室があり、会社のイベントでサウナに入ることができました。オウルのサウナ付き会議室については以下の記事をご参照ください。
また冬になると雪が降って街中が美しくなるのも好きでした。海が凍ってその上を歩いたり車で走ったりできるのもおもしろかったです。スキー好きなのでRukaスキー場まで車で200km走って行けるのも良かったです。
その一方で、オウルは人口20万人が住むフィンランド国内では6番目に大きな町と言われていますが首都ヘルシンキから約600km離れた北の田舎町なので日本の都会での生活に慣れた夫婦にとっては物足りないものでした。
個人的に一番問題だったのが、おいしいレストランがあまり多くないことでした。オウルのおすすめレストランについては転職前のオウル出張ですでにほぼすべて押さえていました。その時のことは以下の記事に書きました。
そして当時オウルには日本食レストランは一軒もありませんでした。寿司屋はあったのですが日本人経営ではなく味に大いに不満がありました。
また、中華料理店やアジア料理店は何軒かあるのですがどこもあまりおいしくありませんでした。(インドとネパールの料理はおいしい店何軒かあります。)
一度ヘルシンキに旅行した時においしい寿司屋や日本食レストランがあるのを知り、ヘルシンキの方に「南下したい」という思いが強くなりました。食いしん坊ですみません。
社内転職サイトでエスポーの職探し(1回目)
2019年6月の末ころ社内転職サイトで検索したらエスポーのOpenポジションがいくつか出てきました。エスポーは首都ヘルシンキの隣の市でN社の本社オフィスがあります。
当時オウルでは4G(LTE)のソフトウェア開発をしていたのですが、エスポーで5Gのソフトウェア開発チームが立ち上がりエンジニアやマネージャの募集を始めていました。なので自分の経歴で引っかかりそうなポジションいくつかに応募しました。
そのうち1件で書類選考通り面接まで行きましたがスキルが不足していたため不合格になりました。
5G開発のスキル&経験を得るためにオウルで転籍
それでちょっと考えてみました。日本からオウルに来れたのは日本でやっていた仕事で得られたスキルがちょうどオウルのポジションで求められていたからでした。なので、エスポーのポジションで求められているスキルや経験を理解して、それをオウルで得られないかと考えました。
調べたらオウルでも5Gのソフトウェア開発をやっているチームがあり人を募集してたので、さっそくポジションに応募すると同時にそこのラインマネージャに向けてメールを送りました。「応募はしたけど移る前に今の部署にいるまま手伝えないか?たくさんのソフトウェアの不具合を解決しないといけない状況だと理解しているのでそれを助けたい。」
そしたらジョブローテーションでやってみようという話が当時在籍していた部署と相手先の部署との間で始まりました。私も含めて何人かでやり方について議論していたのですが、マネージャがHRに確認したところ当時の会社のポリシーの変更で一時的にジョブローテーションがストップとなっていることがわかりました。それでジョブローテーションの話はなくなったのですが、相手先部署のマネージャと面接することになりました。
海外での転職活動においては、Webなどで応募した後ただ待つこともできますが、ハイヤリングマネージャが特定できる場合にはその人と直接メールでやりとりしてCVには書いていない思いや考えをアピールしたりすることは時には予想以上の効果を発揮することがあります。
2019年8月9日にオウルの5Gソフトウェア開発ポジションの面接をしました。CVを元に経歴を説明したと思いますが、この面接は何だか形式的なものでもう何か採用前提での面接のように感じました。
そして8月13日にマネージャがチャットで採用すると伝えてきました。移籍日は10月1日の予定。さっそく5Gの仕様についての勉強を始めました。8月16日に正式なオファー受領。
この時は給与交渉しないでオファーを受けてしまったのですが、今考えると交渉してれば給与上がっていたかもしれません。
2019年10月1日にオウルの5Gソフトウェア開発チームでの業務を開始しました。開発言語は移籍前のチームと同じくC++とPythonでしたが、開発環境がだいぶ違いました。
新しいチームでは開発環境としてDockerコンテナを使っていました。また製品に使用するプロセッサが未完成だったために専用のハードウェアシミュレータを使っていました。なので5Gの仕様うんぬんの前にそれらの開発ツールを使いこなせるようになる必要がありました。とくにシミュレータの方が動作環境の設定がいろいろとあり最初はけっこう苦労しました。
しかし2~3ヶ月やっていればだいたいのことは慣れてくるし開発業務を普通にこなせるようになりました。
社内転職サイトでエスポーの職探し(2回目)
2020年2月3日月曜日に社内転職サイトでエスポーのOpenポジションを検索したらちょうどその時やっていた仕事と同様のものがあったので、シミュレータとDockerを使えることを強調したCVを作って応募しました。そしたら翌日の火曜日にエスポーのラインマネージャM氏から面接したいと連絡がありました。
エスポーのポジションの面接
2020年2月7日金曜日にビデオ会議形式で面接を受けました。エスポー側はM氏を含むラインマネージャ3人とその上のマネージャ1人。
例によってCVに沿って経歴を説明した後、仕様書の経験があるようだけどソフトウェア開発と仕様定義とどちらがやりたいのかとか、シミュレータ使えるというが今どういうことに使っているのかなどの質問をもらったのでそれに回答しました。
ソフトウェア開発職なのでコーディングテストあるかと思っていましたがそれはありませんでした。リファレンスを聞かれたので当時のラインマネージャと4Gのときのラインマネージャの名前を上げました。
翌週2月11日火曜日にエスポーのラインマネージャのM氏から電話があり、オファーしたいとのこと。正式なオファーは別途。そして同時に口頭で「給与を上げるのは難しい」と言ってきました。なのでこの時も給与交渉しませんでした。すればよかったと今は思います。
後でわかったことですがエスポーの部署はチーム拡大中でその後約3年間人を雇いまくってたので、同じような仕事の経験者で即戦力となると期待されて採用が超早だったのだと思います。
それからもう一つ、私の後に同じチームに入って来た人たちを見るとフィンランド人は少数でほとんどが外国人でした。どうもフィンランド国内はソフトウェアエンジニアが不足しているようで海外からもどんどん採用してました。その中ですでにフィンランドの在留許可を持ってた私は短時間でエスポーに移って業務開始できたので、それも売りになったのではないかと考えています。
オウルからエスポーへの引っ越し
その後正式なオファーをもらって承諾し、2020年4月1日からエスポー勤務と決まりました。
以下の記事にも書いたように日本法人からフィンランド現地法人に移るときはリロケーションパッケージがあり、引越し費用など会社がサポートしてくれたのですが、フィンランド国内での移動の場合はサポートはありませんでした。なので全て自分でする必要がありました。
まずはエスポーのアパート探しです。ヘルシンキには一度旅行で行きましたがエスポーには行ったことがなかったので土地勘もなく、地図アプリなどを頼りに会社から車で10~15分で通える場所で大きめのショッピングモールがある地域を探し、Webでその地域のアパートを検索して良さそうなところ何件かについて内見を申し込んでから、3月3日に単身エスポーに行ってまとめて内見しました。
アパートの近くのショッピングモールが大きくて、オウルで雪が積もったときに駐車場に止めた車の窓が凍って氷を剥がさないといけないという経験からの妻の助言のもと屋根付き立体駐車場がついているところを選択しました。
引越業者も自分で調べて連絡し、サービス内容や価格を比較しましたが、サービス内容はどこもそんなに変わらず。価格はいろいろ交渉しましたが、荷物の搬入と搬出にそれぞれ3人かかり、オウルからヘルシンキへのトラック運送も含めるとどこも3000ユーロ(当時のレートで36万円)くらいでした。日本の引越屋さんはなんであんなに安いんでしょうか?
オウルでは車をリースしてそのリース費用の半分を会社で補助してもらっていたのですが、その車をそのままエスポーに持っていけることがわかりました。なので3月26日の引っ越し当日オウルのアパートからの荷物の搬出が終わった後、夫婦で車でオウル駅に行きそこで車庫付きの寝台列車に乗ってヘルシンキまで移動して、翌朝ヘルシンキから車でエスポーに移動しました。
以上、フィンランド国内での社内転職とオウルからエスポーへの引っ越しの話でした。長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。